SEIKO|セイコーウオッチ 服部真二 社長 スペシャルインタビュー
SEIKO|セイコー
セイコーウオッチ 服部真二 社長 スペシャルインタビュー
腕時計製造開始から100年。そして、次の100年へ(1)
世界中のあらゆる人々の“人生を豊かにする”時計ブランドへ。今年セイコーは、国産初の腕時計として誕生した「ローレル」の製造開始から、ちょうど1世紀を迎えた。1881年に東京・銀座に設立した服部時計店からはじまったセイコーの歴史。これまでの100年、そして次の100年へ向けた想いをセイコーウオッチの社長、服部真二氏に伺った。
Text by SHIBUYA Yasuhito
この100年の発展、最大の原動力は“お客様の信頼”
──国内における腕時計の第1号製品であり、国産初の腕時計として誕生した「ローレル」の製造開始から、今年でちょうど1世紀を迎えました。今振り返ってみると、この100年間に渡る発展の大きなきっかけになった重要な出来事や製品は何でしょうか?
会社の創立から数えると、今年で132年という年月が経ったことになります。この100年の基礎になった大きな出来事は、私は3つあると考えています。
ひとつは、私が知らない昔のことですが、1923年に起きた関東大震災のときの、創業者・服部金太郎翁の決断です。震災で店舗から工場がすべて灰に。さらに修理のためにお預かりしていた時計の大半が灰になった。この時、翁はお預かりしていた時計の代わりに、新品の時計に無償で交換してお客様にお返しした。この時に得たお客様の厚い信頼が、今日のセイコーの何よりの基礎になっていると考えています。
そしてふたつめは、やはり1964年の東京オリンピックです。アジアで最初に開催されたオリンピックで、セイコーは初めて公式計時を担当。見事に成功させました。電子計時システムを導入した初のオリンピックで、機械式でバックアップを取っていたわけですが、そのどちらもセイコーが独自に開発したもの。男子マラソンではアベベ・ビキラ選手がその前のローマ大会に続いて金メダルを獲得しましたが、アベベ選手の前を走るマラソンの先導車の「セイコー」の4つの文字が印象的で、今も鮮明に覚えています。
この東京オリンピックをきっかけに「SEIKO」の名は世界に認知されました。さらにもうひとつが、時計の世界のことになりますが、1967年のスイス・ニューシャテル天文台コンクールと、1968年のジュネーブ天文台コンクールというふたつの精度コンクールでの上位入賞。そして1969年、世界初のクォーツ腕時計「クォーツ アストロン」の発売という一連の出来事です。このことで、セイコーは機械式でもクォーツでも世界の最高峰に到達したことが証明されました。当時は高校生だったので、後日、本を読んで知ったことではありますが、このことは今振り返ると大きな出来事だったと考えています。
製品で申し上げれば、やはり1913年の最初の腕時計「ローレル」。そして1969年の世界初のクォーツ腕時計「クオーツ アストロン」。機械式腕時計とはケタ違いの精度が、世界の人々の生活スタイルまで一変させました。
さらに昨年2012年発売の世界初のGPSソーラー腕時計「セイコー アストロン」です。こちらも今、世界中の人々の腕時計に対する常識やライフスタイルを一変させています。そしてこれらの製品にはすべて、創業者の服部金太郎翁の「常に時代の1歩先へ」という信念が息づいていると思います。
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腕時計製造開始から100年。そして、次の100年へ(2)
次の100年で「若い人にも愛される、遊び心のあるグローバルブランド」に
――では次の100年に向けて服部社長が現在、課題だと考え、解決に取り組んでいることは何でしょうか?
次の100年に向かう私たちセイコーウオッチの課題・目標も、やはり3つあります。ひとつめの課題・目標は「SEIKO」というブランドを、他に比較するもののない独自の存在、インターナショナルブランドとして、改めて確立することです。
東京オリンピックから世界初のクォーツ腕時計に象徴されるクォーツ技術で、セイコーは世界的なブランドになりました。しかし、クォーツ技術のコモディティ化でブランド力は低下。その後、キネティック(自動巻き発電クォーツ)やスプリングドライブという新技術も開発・登場させましたが、クオーツ腕時計が登場した1969年当時ほどのインパクトはありません。海外、ヨーロッパではブランド名は知られているものの、残念なことですが「中級品」というイメージであることは否定できません。
こうしたイメージを「グランドセイコー」と「セイコー アストロン」を2大看板にして払拭。「SEIKO」を、スイスの時計ブランドとはまったく違う“独自の位置を占めるインターナショナルブランド”として確立したいと思います。
続いてふたつ目の課題・目標が「技術のセイコー」というブランドイメージの発展・革新です。これまでの100年間、セイコーは「時代の1歩先を行く」という創業者の信念に基づいて、休むことなく技術革新を続けてきた結果、「セイコーの腕時計は精密で正確で信頼性がある、壊れない」という評価を頂いてきました。
もちろんこの評価は素晴らしいことなのですが、しかしこれからの時代、それだけでは不十分だと私は考えています。技術の革新性を追い求めることは大事なのですが、これからの技術にはそれにくわえて「遊び心」がなければならない、それこそが大切だと思うのです。
私はこうした技術の新しいありかたを「感性に訴える技術」、英語では「エモーショナルテクノロジー」と呼んでいます。「セイコー アストロン」でいえば、GPS衛星からの電波受信の際に捕捉した衛星の数を表示してみせるなど、着けている人が「ワクワク、ドキドキする」、オーナーの心を躍らせる何かを技術の中に織り込んでいく。卓越した技術にくわえて“遊び心もあるセイコー”のイメージをぜひ確立したいですね。
そして3つ目の課題・目標が、比較的シニア層に偏り気味だった「セイコー」のファンの拡大、具体的には若年層のファンの獲得です。たとえば、インターナショナルブランドとしてすでに展開を開始している「グランドセイコー」は、かつては50代から60代が購入者の中心でした。
しかし現在では、アメリカ大リーグで活躍するダルビッシュ有を宣伝キャラクターに起用するなど、若者を含めた幅広い年代にアピールするプロモーションをおこなうことで、すでに購入者の半数以上が40歳以下になっています。今後は、SNSなどデジタルメディアの力も活用して、この人気を20代から30代に、そして他のブランドにも拡大し“若年が憧れるセイコー”というイメージを確立していければと考えています。
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腕時計製造開始から100年。そして、次の100年へ(3)
“人生を豊かにする腕時計”の創造へ
――機械式にはじまり、クォーツ、スプリングドライブ、キネティック、そしてGPSソーラー。このように多様で高度な先進技術を自社内で開発し製品化できる時計ブランドは、セイコー以外世界のどこにもありません。その技術力を活かして「セイコー」はこれからの100年、どのようなブランドを目指すのでしょうか?
たとえば時計愛好家の中には、機械式でも世界最高峰の技術を活かした、スイスの名門時計ブランドを凌駕するメカニズムを備えたコンプリケーション(複雑機構)を期待する声もあります。実際「スプリングドライブ ソヌリ」のように、スプリングドライブで駆動するコンプリケーション(複雑機構搭載)モデルもこれまでに発売されています。
「セイコー」は、限られた人のための腕時計ではなく、世界中のあらゆる人々の大事な人生に寄り添う、あらゆる人々を豊かに、幸福にする腕時計でありたい。私はそう考えています。
ですから、ヨーロッパのラグジュアリーな時計ブランドと同じ土俵で真っ向勝負を挑む、ということはありません。そうしたブランドとは競争しない領域で、他社にはない独自の技術を活かして、総合力で、他社には真似のできない、時代の先を行く高い付加価値を備えた腕時計を、世界中の皆様にお届けしたい。
世界初のGPSソーラー腕時計「セイコー アストロン」は、まさにこの総合力から生まれた腕時計です。元々のアイデアはセイコーエプソンとおこなった「未来時計」の開発プロジェクトがルーツで、さまざまな部門の技術が合体して実現したものです。またスプリングドライブは、スイスがやろうとしてもできなかった“第3の機械式ムーブメント”であり、スプリングドライブのコンプリケーションモデルは、実用的で独自性のある製品として開発・発売しました。
今後の開発予定については今は申し上げられないのですが、スイスの時計ブランドとは違う独自の考え方で引き続き取り組んでいきたいと思います。
HATTORI Shinji|服部真二
昭和28年(1953年)1月1日生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。昭和59年7月に精工舎へ入社し、平成4年にはイギリスのSeikoshaへ赴任する。平成15年6月にはセイコーウオッチ代表取締役社長を務め、平成24年10月、セイコーホールディングス代表取締役会長兼グループCEOに就任。現在に至る。
セイコーウオッチ
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