新たな道を歩み始めた田中知之の音楽|MUSIC
LOUNGE / MUSIC
2020年7月9日

新たな道を歩み始めた田中知之の音楽|MUSIC

田中知之インタビュー(2)

影響を受けてきた音楽や、音楽家への恩返し

現時点では、<Alone>以降の3曲すべて本名の田中知之名義でリリースされている。聴いてもらればわかるが、これまでのFPM作品とは一線を画す楽曲となっている。それは、コツコツと作り上げてきた、その他の楽曲に関しても共通している点だ。
「当初から、究極のリスニングのアルバムというか、『自分が死ぬときに聴きたいレコードを作ろう』という意識があったんです。つまり、今まで影響を受けてきた音楽とか音楽家に、恩返しをしたいという気持ちがあって作り始めた。その取っ掛かりとして、いろんなお題を自分にかすわけです。クラシック、ダブ、エキゾチックサウンド、フォーク・・・、さらには大好きなエリック・サティとかマーティン・デニーとか、自分が影響受けてきた音楽をしっかりと取り込んだうえで、それらを各々0.5歩でも前進させたサウンドを生み出せないかなって」
そのひとつに、6月10日に第3弾として発表されたベートーヴェンのピアノ・ソナタ<Beethoven : “Moonlight Sonata” by 137 Pianists>がある。これは、「究極のラウンジミュージック」を目指した楽曲だ。「田中知之が手がけるべきピアノ・ソナタとは何か?」 悩んだ挙句に出した答えは、古今東西、有名な演奏家から普通のおじいさん、おばあさん、子どもまで、たくさんの人が演奏している<月光>の膨大なアーカイブをネットから抜き出し、ピアノのチューニング、レコーディングの状況、ノリも速さも音質も変えずに切って並べた怪作となった。その数、137人分。その現代音楽的な試みとサウンドは、不思議な揺らぎと心地よさをまとっている。

純粋に多くの人に聴いてほしいし、広めたい

「これまで、自分が音楽を作るうえでずっとやってきたことはサンプリングの手法なんです。そこは残しつつ、これまでとはまったく違う観点から音楽を生み出したかった。そこそが、いま考えうる自分にとっての究極のポップでもあるんです。売れるかどうかはどうでもよくて、純粋に多くの人に聴いてほしいし、広めたいという気持ちがあるんです。繰り返しになりますが、そうこうしているうちに新型コロナ騒動が起きたんですよ」
自分の「遺書」、「遺作」、「遺影」と語るほどの意気込みで生み出し、磨き上げてきた楽曲の数々。その全体像をいつ、どのように発表するかはまだ決まっていない。それは、CDなどのフィジカルパッケージの時代からストリーミングの時代に変わってきたことなど、従来の構造が崩壊しているという点も大きい。そして、作品の発表方法が無数にある現代だからこそ、何がベストな状態なのかをDJ的な感性で見計らっているともいえる。

商業活動ではないから自由に実験ができる

「あまりにも社会状況が刻々と変化するので、全曲をいますぐ発表したいと思ったり、数年後くらいがいいのかなと思ったり、毎日のように揺れ動いています。DJはフロアの反応を見て、次にかける曲を決めていくもの。それこそがDJに問われる技術でもあるので、作品の出しどころはすごく悩んでいます。でも、最近はそれすらもクリエイティブだと思えるようになっているんです。そこで、<Alone>と<Change the World Again>は配信とMVいうカタチでリリースしましたが、<Beethoven : “Moonlight Sonata” by 137 Pianists>に関しては、より実験的なアプローチをすることで、商業活動とは無縁な活動であることを示そうと思いました」
用意されているすべての曲を聴いたわけではないが、どれもバラエテイに富んだ作品であり、それぞれが深みと軽快さを併せ持ちながら、不思議と心を浄化するようなサウンドに仕上がっている。これこそが、FPMというコスプレを脱いだ田中知之本来の姿なのだろう。どのようなカタチで発表されるにせよ、音楽家としての新たなスタートになることは間違いない。
アパレルブランド『NEXUSⅦ.(ネクサスセブン)』のTシャツやカットソーでも馴染みのイラストレーター、NABSF氏描き下ろしによる、毒ガスマスクを被ったベートーヴェン。その下には無造作にQRコードが置かれ、アクセスすると動画とともに<Beethoven : “Moonlight Sonata” by 137 Pianists>が聴けるというのが、新曲のリリース手法となった。
「かつて、京都のバンドであるEP-4が、ライブをするにあたり『EP-4 5・21』とだけ描かれたステッカーを京都、名古屋、東京の公衆電話に貼りまくって社会問題化したことがあるんです。そういう原体験や、ベルリンの公衆トイレに入ったら何も書かれていない五線譜が貼られていて、それがクリスチャン・マークレーのインスタレーションだったり。そういう活動に感銘を受けていたし、今回の一連の楽曲群は、売り上げや再生数、権利関係から解放されているので、そういう実験がやれるチャンスでもあったんです」
現時点(2020年6月下旬)ではまだ3曲しか発表されていないが、すでに数多くの楽曲が用意されている状況。そのどれもが、深みと軽快さを併せ持ち、それでいて心を浄化するようなサウンドとなっている。今後、どのようなカタチで発表されるにせよ、音楽家・田中知之の新たな道程となることは間違いない。
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