新たな道を歩み始めた田中知之の音楽|MUSIC
LOUNGE / MUSIC
2020年7月9日

新たな道を歩み始めた田中知之の音楽|MUSIC

MUSIC|田中知之「Alone」

田中知之インタビュー(1)

去る4月22日、本名の田中知之名義では初となる楽曲<Alone>が、各種サブスクリプション音楽サービスで配信された。リリースの一文には本人のコメントとして、「このカオスの中、音楽が人の命を救ったり健康を守ったり、そんなロマンチックな考えが通用するのかどうかすらわかりません。でも、楽曲がこのタイミングで出来上がってしまったことは、何かからの啓示であると私は思います」と書かれていた。以来、現在までほぼ1ヶ月ごとに新曲を発表している田中知之。その真意を訊いた。

Edit & Text by TOMIYAMA Eizaburo

図らずも時代とシンクロし、大きな意味を持ってしまった

「約3年間、遺言のような気持ちで楽曲を作り続けていたんです」
このインタビューは、時間をおいて2度行われている。最初のタイミングは、新型コロナ禍で社会が騒然としていた4月中旬。ソーシャルディスタンスを保った打ち合わせスペースに、マスク姿であらわれた本人は明らかに戸惑いの表情を見せていた。そこから再び顔を合わせたのは6月初旬。その間に3曲の楽曲が発表されることとなった。
「FPM(ファンタスティック・プラスチック・マシーン)名義で、2016年にベスト盤『Motions [Best Killer Remixes & Produce works by FPM]』を発売して以来、実はずっと曲を作り続けていたんですよ。50歳を過ぎたというのもあって、これが最後のアルバムになってもいいと思えるくらいの意気込みで。ある種の『遺言』のように、約3年間試行錯誤しながら多くの楽曲を磨いてきましたが、そういうタイミングでこのコロナ騒ぎが起きて・・・・、図らずも時代とシンクロしてしまった。想定以上に”大きな意味”がドーンと乗っかってしまったんです」

新たな一面を見せるべく、丁寧に作り続けていた楽曲に予想外の「大きな意味がのってしまった」というのは、4月22日に配信リリースされた<Alone>からもうかがい知ることができる。

Alone / 田中知之 Tomoyuki Tanaka

4月22日に配信がスタートした<Alone>
あらゆるところから、「Alone」という言葉をサンプリングすることで生まれた同曲。単音のピアノとともに、最初は点のように置かれた言葉が、最終的にはたくさんの「Alone」となって溢れ出し、最後には「Nobody is Alone」という言葉で締められる。
そこには、みんなひとりで生まれては死んでいく、誰もが孤独だけれども、裏を返せば「キミだけが孤独なわけではない」という普遍的なメッセージが込められている。しかし今の状況下では、ソーシャルディスタンスなど、時代性を色濃く反映させたかのようにも受け取ることができる。

3.11 書けずにいた歌詞が突然降ってきた

「もちろん、作っていたのはこんな騒動になるよりも全然前ですよ。不景気になって追い詰められて自殺をしてしまう人とか、そういう人たちに、何らかのメッセージを、と思ったんです。おこがましいかもしれませんが・・・・」
3月上旬にはすでにアルバムとして発表できるほど多くの楽曲を完成させていた田中知之。その一方で、今回の騒動を受けて突然「歌詞」が降りてきたことで完成した曲もある。それが、5月13日に配信した第2弾楽曲<Change the World Again>だ。
「震災から9年目の3月11日。その日は仕事もなくて、でもニュースを見ていると落ち着かなくて、という状態だったんです。そんなときふと、自動筆記みたいに歌詞が降りてきたんです。これはすぐに動こうと思って、その話をSNSに投稿したら、クラムボンのミトくんが『手伝いますよ』というコメントをくれて。男女デュエットを想定していたので、まずはミトくんつながりで原田郁子ちゃんに女性ヴォーカルをお願いすることにしました。男性ヴォーカルは、僕のつぶやきに『いいね』を付けてくれた高野寛さんにお願いしようと。そこからすぐに日程を決めてレコーディングをしてミックスをして。必然性を感じて作ったものだし、他の楽曲と同じように純度の高い作品になったと思っています」

Change the World Again feat. 高野寛 & 原田郁子(クラムボン) / 田中知之 Tomoyuki Tanaka

5月13日に配信がスタートした<Change the World Again>

FPMはファンタジーであり、時代への反抗でもあった

昨年末、田中知之は俳優の長塚圭史からオファーを受け、演劇『常陸坊海尊』の音楽を担当した。別媒体ではあるが、長塚圭史との対談時に、「ファンタステック・プラスチック・マシーンという虚構ともいえる名前を語り、オシャレなダンスミュージックを作ることは、伝統文化の街である京都出身の田中知之にとって反抗のひとつだった」というような主旨の発言をしていた。実際、田中知之は、デビュー前もデビュー後も、多くのお金を音楽にかけてきた生粋のヘビーリスナーであり、超がつくほどの音楽オタクとして知られる。
「デビューしたときは、バブル崩壊後とはいえ音楽業界はCDが一番売れていた時期。だらこそ、僕のようなアーティストにもある程度の予算をかけてCDを作らせてくれて、プローモーションもしてもらえた。
一方で、当時アメリカやイギリスで流行っていたのは暗くて内傷的な音楽だったんです。もちろん、高校生のときに読書感想文の賞でもらった図書券でキング・クリムゾンのレコードを買ったような人間なんで、ドロドロとしたものは大好き(笑)。でも、あまりにも当時の日本の音楽シーンとは相容れない状況でもあったんですよね。そこで、半分悪趣味のような感覚でFPMを構築していった側面はあるんです。
そこを誤解され『オシャレだ』と言われていた部分もありますけど、そこを否定するつもりはもちろんない。でも、先ほども話しましたが、3年前から作り溜めてきた新しい音楽は『遺言』のような思いがあって、自分の実像を表現したものでもあるんです。だから、今回の作品群はFPM名義ではなく本名で出すべきなんだろうなと思っています。そこもまだ決めてないですけど」
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