連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第17回『ゆれる人魚』
連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ
第17回 ポーランドの創造力が凝縮したホラー・ファンタジー
『ゆれる人魚』
ホラーといえば、シリアス作品重視の権威ある映画賞では、評価されにくいジャンルだ。過去には数々の名作が作られてきたにもかかわらず、である。だが、創造性という意味において考えるなら、ホラーほど作家たちのクリエイティビティを楽しめるジャンルはないと思っている。映像と音で恐怖心をあおり、観客の内面にある“おびえの元”のようなものを刺激。そうすることで、安全な場所にいるとわかってはいるのに、どうしようもなく我々を落ち着かない気分にさせるのだから。
Text by MAKIGUCHI June
残酷で美しい、人魚たちの青春
映画『ゆれる金魚』は、不気味でグロテスクな独自の世界観を形成することで、観る者を現実から逃避させ、官能的でダークなワールドに誘ってくれるホラー・ファンタジーだ。さらにミュージカルというスタイルをとることで独創性を際立たせている。
物語の舞台は1980年代のポーランド。人間を捕食して生きる美しき姉妹の人魚が、ワルシャワにあるダンシング・レストランにたどり着く。二人が人魚だと知ると、オーナーは舞台で歌と踊りを披露させ、それが評判となって店は大人気に。やがて、姉のシルバーは店のミュージシャンに心惹かれるようになる。
だが、“魚”であることが障壁となってしまうため、人間になることを望むのだが、もし恋が叶わなければシルバーは泡となってしまう。そんな姉を複雑な思いで見ている妹のゴールデン。違う考えを持ちはじめた姉妹には、やがて溝が生じ始め……。
二人にとって人間はエサに過ぎない。では、エサに特別な感情を抱いてしまった人魚に待つのは成長なのか、破滅なのか。アンデルセンの『人魚姫』にヒントを得ながらも、美しい歌声で船乗りを惑わし食い殺すギリシャ神話のセイレーン的な要素をプラス。
ただし、人魚に大人の女性になりきれていない少女を象徴させることで、初舞台、初めてのたばこ、初めての恋を経験し、個性、そしてアイデンティティを形成していく様を表現している。同じように初めてを経験しても、違った自己を形成していくのは当然の成り行きだ。
人間(大人)の世界へと足を踏み入れるために、姉妹が全く違った答えを出す様子は、グロテスクながらもとても切ない。
決して甘酸っぱいだけではない少女時代との決別を描いた本作は、誰もが通る“成長”というある種の恐怖体験が基になっているのかもしれないと思うと、血にまみれた数々のホラー表現に深いメタファーを感じるし、そのクリエイティビティには脱帽せざるをえない。人間界と深く関わっていくことで人魚としてのアイデンティティを失っていく悲劇性や、少女に潜む残酷さや狂暴性を象徴するかのように強調された異様な尾ひれも、決してこけおどしではなく必然から存在している表現なのだ。
そんな世界観を華やかに彩っているのが時代設定だ。1980年代に共産主義政権下のポーランドで人気を博していた“ダンシング・レストラン”とは、母国や米国のヒット曲をライヴ演奏で楽しめ、ペアダンスを踊れる場所で、ストリッパー、マジシャンなどがショーを披露する場所でもある東欧圏独特のもの。西欧文化や食も楽しめる特別なクラブだったという。
本作の音楽を手がけたポーランドのインディーズ・ミュージックのスター、ヴロンスキ姉妹の両親がかつてダンシング・レストランで演奏をしており、多感な時代に大人の世界を覗いた彼女たちの体験が本作の基礎になっている。実は映画自体が彼女たちの伝記になるはずだった。それが製作過程で、少女たちを人魚にするというアイデアが生まれ、ナイトクラブで歌う人魚をセイレーンになぞらえることで、ホラー性を帯びることになったのだという。
即興的に生まれる突飛なアイデアは、時に独自性への鍵となり、個性的な創作物へと昇華する。製作者たちの自由な発想とフレッシュな感性が遮られることなしに、作品完成にこぎつけたことは創作において実に幸せなこと。そしてそのことこそが、本作の持つ新鮮な魅力の秘密となっているのだろう。
現代アートやデザインの分野でも、注目されているポーランド。独特な歴史経験から生まれた独自文化が強みとなって、すでに様々な才能が表出し始めている国だが、本作もそのひとつと言えるだろう。タイトルバックのアニメーションを含め、その独特な造形美を担当するため、ぜひ隅々まで注目してみてほしい。
★★★☆☆
製作者たちが子供時代に経験した80年代ポーランドの風景が、懐かしい風合いで映し出される。美術、ファッションも興味深い。
『ゆれる人魚』
監督:アグニェシュカ・スモチンスカ
出演:キンガ・プレイス、ミハリーナ・オルシャンスカ、マルタ・マズレク、ヤーコブ・ジェルシャル、アンジェイ・コノプカ、ほか
提供:ハピネット/配給:コピアポア・フィルム
© 2015WFDIF, TELEWIZJA POLSKA S.A, PLATIGE IMAGE
新宿シネマカリテほか2月10日より全国順次公開中
牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。