連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第16回『ダンシング・ベートーヴェン』
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2018年10月16日

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第16回『ダンシング・ベートーヴェン』

連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ

第16回 楽聖とベジャールが出会った奇跡のステージを追う
『ダンシング・ベートーヴェン』

日本では年末の風物詩でもあるベートーヴェンの「交響曲第九番ニ短調」。“人類最高の芸術”として世界中で愛されているのはご存知の通りだ。1989年のベルリンの壁崩壊直後の年末には、レナード・バーンスタイン指揮によりベルリンで演奏されドイツ統一を象徴する曲となり、ヨーロッパでは第4楽章に登場する合唱部分「歓喜の歌」は欧州の歌に定められている。

Text by MAKIGUCHI June

“人類愛に満たされた理想郷”を

そんな人類の財産ともいえる交響曲に振り付けを施した男がいた。バレエ界の革命家モーリス・ベジャールだ。『春の祭典』や『ボレロ』でも有名だが、1964年には『第九』もバレエにしていたのだ。

本作は、初演から50年も経った2014年に東京で再演された伝説のステージが出来上がるまでの9ヵ月を追ったドキュメンタリー。80人余りのダンサー、指揮者とオーケストラ、ソロ歌手と合唱団で総勢350人に出演する舞台を作り上げるために関係者がどれほど献身的であったか、どれほどの人生ドラマが隠されていたことか。それが明らかにされている。これはバレエ好きにはたまらないだろう。

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そもそも伝説のダンス「第九交響曲」は、傑作と謳われながらも、その壮大すぎるスケールゆえ数えるほどしか公演が実現しておらず、2007年のベジャール亡き後は再演不可能とまで言われていた。だが、東京バレエ団が創立50周年を記念して、モーリス・ベジャール・バレエ団との共同制作を決定。過酷な練習を繰り返し、ズービン・メータ率いるイスラエル・フィルハーモニーの演奏のもと、奇跡のステージを実現させたというわけだ。

正直なところ、ベートーヴェンとその作品をこよなく愛する筆者にとって、「第九」はあまりいじってほしくない題材だった。いちファンの勝手な思いではある。だが、曲そのものが完全なる存在でいわば“聖域”であるため、アレンジや斬新な解釈などはあまり歓迎できないのだ。

そんな思いも胸にドキュメンタリーを観たのだが、最初に抱いていた不安は作品が進むにつれてどこかへ消えてしまった。何より、人々が自由や友愛、生きる喜びを爆発させる様子が、楽聖ベートーヴェンが交響曲に込めた思いと調和していると直感できたことが最も大きな理由だ。

舞踏が神への捧げものだった時代を思わせる原始的な肉体の躍動からは、純粋な祈りや願いのようなものが感じられる。そして、ベートーヴェンが「第九」を制作した際に込めた願いを視覚化していると思えてくるのだ。

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劇中「音楽を観る」という表現が出てくるが、まさにこれは「第九」という傑作をヴィジュアル的にも堪能できる舞台と言えるのだろう。「第九」を作曲した際には、すでにほとんど聴力を失っていたというベートーヴェンが観たら、一体どう感じただろう。

そもそもこの交響曲自体が、フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄す」に触発されて生まれたものだということを考えると、優れた精神を持つ芸術とはこのようにして受け継がれ、さまざまな形へと広がり、不滅の存在となっていくものなのだ。

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自由に人の心を行き来し、予期せぬふくらみを産むことこそ、創作の意義。国籍も文化背景も違う者たちが、文字通り手に手を取り合って踊る姿は、ベートーヴェンがこの曲に託した“人類愛に満たされた理想郷”を体現しているのだ。

ベジャールのダンスを通して、また違った表現を得た名曲だが、どう料理されようと結局のところ「第九」はどこまで行っても「第九」だったし、やはり人類の財産であり宝だった。あらためてそのゆるぎない偉大さ、不変のチカラを見せつけられたと言えるだろう。

バレエ好き、「第九」好きにはたまらない本作だが、年末年始のこの時期に、あらためて平和や友愛の存在を確信したい人にもおすすめだ。人類が作り得る最高のステージを通して、まぶしすぎる理想郷をぜひ目撃してほしい。

★★★☆☆
これは生の舞台を観たかった!とちょっと悔しくなりつつも、秘話にも触れられる記録映画の存在に感謝。

『ダンシング・ベートーヴェン』
振付:モーリス・ベジャール
監督:アランチャ・アギーレ
音楽:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲『交響曲第9番 ニ短調 作品125』
出演:マリヤ・ロマン/モーリス・ベジャール・バレエ団:エリザベット・ロス、ジュリアン・ファヴロー、カテリーナ・シャルキナ、那須野圭右、オスカー・シャコン、大貫真幹/東京バレエ団:上野水香、柄本弾、吉岡美佳/クリスティン・ルイス、藤村実穂子、福井敬、アレクサンダー・ヴィノグラードフ、栗友会合唱団/ジル・ロマン(モーリス・ベジャール・バレエ団芸術監督)、ズービン・メータ(イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督)
配給:シンカ
12月23日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMA他にて全国公開
©Fondation Maurice Bejart, 2015 ©Fondation Bejart Ballet Lausanne, 2015

牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。

           
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