連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第14回『エタニティ 永遠の花たちへ』
連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ
第14回 限りあるものに宿る不滅性を描く
『エタニティ 永遠の花たちへ』
永遠を表現するというのは、とても難しいことだ。その始まりも、そして終わりも、誰ひとりとして目撃したことがない。人類が生み出してきた、そしてこれから紡ぎ続けていくであろう永遠とも思える時間を、ある時代のみを切り取ることで美しく表現しているのがトラン・アン・ユン監督の最新作『エタニティ 永遠の花たち』だ。
Text by MAKIGUCHI June
限りあるものの中に見つける究極の永遠
19世紀末のフランス上流階級の花と緑に囲まれた邸宅を舞台に、そこで暮らすヴァランティーヌとその子供たち、友人たちの日常が描かれていく。優雅に暮らす彼らだが、大家族となった彼らは、第一次大戦や病などで切ない別れを経験することも多く、決して幸せだけに包まれているわけではない。喜びと悲しみ、楽しさと苦しさ、さまざまな感情を織り込みながらも、家族の歴史が日々刻まれていくのだ。
決して平坦ではない彼らの人生だが、キャラクターたちはあまり感情をむき出しにすることはない。そのことに疑問を感じる観客もいるかもしれないが、まさにそれこそ、彼らと観客である私たちを繋ぐ鍵なのだ。彼らが体現しているのは、永遠という大河の中の一滴のような存在。この物語自体も、彼ら自身を強調するものではなく、綿々と受け継がれていく、家族性とか人類の歴史といった壮大なるテーマを描いているのだ。
つまり、この大家族は、劇的なドラマの主人公というよりも、永遠を形作る一部であり、それは私たちも同じなのだ。永遠を語るために、あえて“個”に光を当てすぎず、セリフや感情表現をそぎ落とすことで、より大きなうねりを感じ取らせることが、監督の意図だったのではないかと思う。キャラクターたちの会話を極力排し、ナレーションで物語を紡ぐ手法をとったのも、観客が登場人物たちに感情移入することで、より広い世界観を意識できなくなることを避けたためだろう。だからといって、登場人物たちが重要でないわけではないし、彼らに感情がないわけではない。言葉にならないエモーションを、雄弁な映像から感じ取るのは、本作を前にした観客の喜びなのだ。
素晴らしい映画とは、フレームの外の世界、もしくは前後の時間を想像させることができる力を持っていると信じている。トラン監督がこの映画で成功させたのも、まさに時空を超えた世界観だ。そこに描かれている世界以上の雄大な時間と空間の広がりを感じさせている。
一を描くことで、すべてを表現する。限りないものを描くために、多くを描くのではなく、そぎ落としたものの中に究極の永遠を見つけていく。とても禅的な発想にも思えてくる。本作が、多くの日本人の琴線に触れるのではないかと思うのはそんな理由からだ。限られた時間、限られたスクリーンという空間……さまざまな限りあるものの中で永遠を追求していくこと。それは、本作に関わったすべての表現者にとって、きっと大いなる喜びだったに違いない。もちろん、それは私たち観る者にとっても、なのだが。
★★★★★
一部を描くことで、永遠性を表現した映像的に多弁な作品。
『エタニティ 永遠の花たちへ』
監督:トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』『夏至』『青いパパイヤの香り』
出演:オドレイ・トトゥ『ココ・アヴァン・シャネル』、メラニー・ロラン『イングロリアス・バスターズ』、ベレニス・ベジョ『アーティスト』ほか
配給: キノフィルムズ
絶賛公開中!
© Nord-Ouest
http://eternity-movie.jp/
牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。