連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ 第5回『オーバー・フェンス』
連載|牧口じゅんのシネマフル・ライフ
第5回 誰かと関わらずには生きていけない、そんな人間の性を描く
『オーバー・フェンス』
人は、誰かと関わり合うことなく生きていくことができない生き物だ。そして、関わり合う以上、影響を与え合わずにはいられない。映画『オーバー・フェンス』は、そんな人間の性をつくづく感じさせる。
Text by MAKIGUCHI June
人は人で傷つき、人に救われる
主人公は、妻と離婚し、子供とも別れ、勤めていた建設会社も辞めて、ひとり故郷の函館に帰ってきた40代の男・白岩。やり場のない気持ちや辛い過去を断ち切るように、気ままに、だが鬱々とした孤独な生活を続けている。特にやりたいこともなく、生活のために職業訓練校で住宅建設を学び始めるが、そこには元ヤクザや、人と関わることが苦手な若者、リタイヤ生活を楽しむ老人などさまざまな生徒が。他者への好奇心が隠せない者もいるが、白岩は誰とも深く関わらないように過ごしていた。そんな中、ひょんなことから出会ったのが、鳥の求愛行動を真似るホステス嬢・聡だった。どこか通い合う二人だったが、まっすぐに感情をぶつけてくる聡に対し、白岩は距離を縮めようとはせず、はっきりしない態度を取り続けるのだった。
白岩はダメな40男の代表格のような人物だ。大きな挫折を味わい、もはや人生に何も希望を求めていない。人との触れ合い、愛情、仲間との楽しい交流。それらは、人生を豊かにするが、人を傷つける元ともなる。だから、近寄ることが恐ろしくて、自分を檻に閉じ込めているのだ。そんな時に、現れたのが感情向き出しの女。彼にとっては、まさに黒船並みの外圧といえる。聡は及び腰の白岩の、心のパーソナルスペースにぐいぐい入り込み、彼をかき乱していく。二人の間にあるものが恋愛感情だったとしても、彼らのぶつかり合いは決して甘いものではない。心を閉ざしてしまった相手に対し、もう一方がそれをこじ開けようとするとき、感情のぶつかり合いは壮絶なものとなる。諦めずに、戸をたたき続ける人がいなければ、きっと彼は永遠に自分が作り上げた柵に閉じ込められたままなのだろう。
空気を読まない彼女との出会いによって、変わらざるを得ない白岩。そこに人間関係が生まれてしまった以上、彼女が白岩との関わりを求めてしまう以上、もはや一人でおしまいにできるものではないのだ。生きていくとは結局そういうことなのだろう。だが、人生のまさにその部分を厄介に感じている白岩は、時々デリカシーのない言動で、聡を傷つける。それでも、痛みを恐れず、めげない聡がいることで、彼はなんとか出口をみつけていくのだ。
時折、空を悠然と飛んでいく鳥の映像がさしはさまれるが、国境や柵をものともせず、空を飛ぶ鳥は自由を象徴する存在だ。鳥の求愛行動を真似し、何物にも縛られずに生きようとする聡もまた同様なのだろう。
二人の関係を観ていると、こんな風にしてきっと、人は人に救われるのだと信じられる。人間関係に傷はつきものだが、人との関わりとはそんな代償を払ってもあまりあるほど素晴らしいものなのだ。
人と人とのつながりが希薄に思える現代のネット社会でも、人々はSNSで懸命に見ず知らずの誰かに語りかけずにはいられない。白岩の行動にも、どこか温かな人間関係への未練が感じられる。過去に触れたときに泣き崩れる姿に、失ってしまったかけがえのないものへの深い後悔が感じられるのだ。どんなに割り切ったつもりでも、誰かのぬくもりに触れたいという想いを完全に断ち切ることなど、人にはできないのかもしれない。ならばいっそ、どうしようもなく誰かを求めてしまう人間の性を受け止めて、傷を負う覚悟で生きるのも潔くてカッコいいではないか。人が長く暗いトンネルから抜け出す時、今いる場所から羽ばたく時、やはり誰かが必要なのだから。
自分はひとりで生きていける。そんな風に考えていた男の心が、大きく切り替わる瞬間を捉えた清々しい本作は、極めて基本的な人間の性というものを描き出しているのである。
★★★★☆
一人では生きられない人間の性を丁寧に描いていて◎
『オーバー・フェンス』
監督:山下敦弘
出演:オダギリジョー、蒼井優、松田翔太、北村有起哉、満島真之介、松澤 匠、鈴木常吉、優香
テアトル新宿ほか全国公開中
©2016「オーバー・フェンス」製作委員会
牧口じゅん|MAKIGUCHI June
共同通信社、映画祭事務局、雑誌編集を経て独立。スクリーン中のファッションや食、音楽など、 ライフスタイルにまつわる話題を盛り込んだ映画コラム、インタビュー記事を女性誌、男性誌にて執筆中。