マジックに魅せられ60年。超魔術師Mr.マリックの人生|INTERVIEW
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2023年4月5日

マジックに魅せられ60年。超魔術師Mr.マリックの人生|INTERVIEW

INTERVIEW|Mr.マリック

マジックに魅せられ60年。超魔術師Mr.マリックの人生

超能力のような不可思議な「超魔術」の使い手として登場し、世間を大いに賑わせたMr.マリック。「きてます、きてます」「ハンドパワー」という言葉を覚えている方も多いはず。日本で一番有名なマジシャンとも言える彼が、何故マジックの道を志したのか。一世を風靡したあの時代、何を考えて生きていたのか。超魔術師ではなく、一人の人間としてMr.マリックに話を伺った。

剣道少年からマジック少年へ。マジックに魅せられた青春時代

「私は岐阜県岐阜市で生まれ育ったんですが、中学生までは剣道一筋。マジックのことなんて知りもしなかった。中学2年生の時に、名古屋から転校してきた子がいましてね。彼は本格的にマジックを習っていて、あるとき私にマジックを見せてくれたんですよ。それは課外事業で河原に行ったときでした。近くの石を持って投げたと思ったら、パッと消してしまったんです。特別な道具もなく、目の前ですごいことが起きたのでビックリして、魔法使いが突然現れたかのような気分でしたね」
その姿に魅了され、Mr.マリックはマジックの道を歩むことに。高校に進学してからもマジックへの熱は冷めることなく、手品グッズ売り場のある名古屋のデパートに入り浸るようになった。そこで沢さんというアマチュアマジシャンと出会い、彼からも多くの技術を学び、プロの世界に憧れを抱くようになったという。
「親から普通の職業につきなさいって、強く言われましてね。本当はすぐにでもプロになりたかったんですが、両親の望み通り就職したんです。ところが、働き始めても、マジックのことが頭から離れない(笑)。毎週日曜は手品グッズ売り場をはしごしていましたね。そんなある日、実演販売員にならないかと声がかかったんです。そこで働けば毎日が日曜日になるよ、なんて言われて。それはもう魅力的な提案でした。当時プロになるためには、デパートの実演販売から名を上げていくことが近道でしたからね。親をどうやって説得しようかと考えたとき、マジシャンとしてテレビに出ている姿を見せるしかないと思ったんです」
素人参加型のオーディション番組に3回出場し、3回ともに優勝。親の許可も得て実演販売員になり、晴れてマジシャンへの道を歩み始めたのだが、平日のデパートは手品グッズに興味を示すようなお客さんもおらず、苦労の連続だった。それでもマジックの練習は続け、全国大会で優勝。その大会に招待されていたチャーリー・ミラーというマジシャンの推薦で世界大会(ハワイ開催)に出場することになった。そして、23歳という若さで「環太平洋マジックアソシエーション」のクロースアップ部門で世界チャンピオンの座を獲得したのだった。

世界チャンピオンになった後の失意と再起。

ここからマジシャンとしての道が大きく拓いていく。そう思った矢先、翌日に大きな挫折を味わうことになる。
「クロースアップ部門というのは、少人数のお客さんに至近距離でマジックを見せるものなんですね。世界チャンピンになったのは事実なので嬉しかった。ですが、大会翌日に3000人規模のお客さんが集まる会場で、世界的なマジシャンたちのショーを目の当たりにして、そのスケールに絶望しました。自分のやっているマジックと同じジャンルだとすら思えず、この先500年やっても敵わないな…とね」
世界チャンピオンになりながら失意のまま帰国したMr.マリックはマジックへの情熱を失い、両親を説き伏せてまで就いた販売員もやめてしまう。
「あてもなくぶらぶらとしていたら、シーモンキー※の実演販売をやらないかとお声がけいただきましてね。やることもないし、実演販売の経験はあるから引き受けたんです。そうしたら、手品セットの商品も販売することになって、これがまたよく売れた(笑)それまでの経験が活きたのか導かれたのかは分かりませんが、おかげさまで経済的には潤ったんですね。経済的に余裕が出来たら、またマジックへの熱が蘇ってきました。そのままの勢いでマジック教室を開き、手品道具専門店も開設。結婚もできて、順調でしたね。テレビ番組に声をかけてもらったのはそんなタイミングで、タレントがマジックを披露するための指導を依頼されたんです。中には、セスナ機をヘリコプターに変えてしまう大規模なものもありました。私個人ではクロースアップのようなささやかなものしか出来ない。でも、テレビ番組の力を使えばスケールの大きなマジックが出来る。これはチャンスだと思いましてね。あるとき、自分がテレビに出て披露したいと番組にお願いしたんです。でも、有名じゃないから無理だと。そこから、どうにかして有名になろうと思いました」
※水を与えるだけで孵化する小さなエビやカニの仲間。

テーブルホッピングが生んだ超魔術

とはいうものの、キャバレーや温泉の宴会場など、これまでマジシャンが活躍していた場所はすでに衰退。プロとして名を上げるために目をつけたのがホテルの最上階ラウンジだった。
「どうにか、バンド演奏の合間の時間をもらったんですよね。でも、夜景のきれいな場所ですから、舞台でマジックを披露してもカップルたちは見てくれない。そこで希望者のテーブルまで行って、目の前で見せる演出をしたんです。特別な道具は使わず、お客さんのお札とか指輪を使ってね。すると、“ウワーッ”とか“すごい!”と喜んでくれるでしょ? そうすると、そこら中のテーブルからオーダーがくるようになるんです」
身近な自分の持ち物が、目の前で消える。シンプルながらもマジックの魅力を伝えるこのスタイルは、少年時代にMr.マリックを魅了したものと同じ。テーブルを巡るこのスタイルは後に、「テーブルホッピング」と呼ばれるようになり、今では多くのマジシャンが行っている。
「評判を聞きつけたテレビ局から声がかかるようになりましてね。ついに、私自身がテレビでマジックを披露する機会が生まれた訳です。これまでのマジシャンは、カメラの設置場所を細かく指定していました。しかし、私はどこにカメラを置いてもOKにしたんです。スローにしたり一時停止すればマジックのタネがすべてわかってしまうので、テレビでも耐えうるマジックを厳選していきました。これは実演販売で膨大な量のマジックをこなしてきたからこそ、出来たことだと思っています。実演販売で得た、お客さんのテンポに合わせながら、ゆっくりと進める喋り方もテレビにフィットしました」
Mr.マリックがデビューしたのは世紀末を控えた1988年のこと。都市伝説を始めとしたオカルトがブームになっている最中でもあった。マジックに超能力のような演出を加えた「超魔術」は時流を捉え、Mr.マリックは一躍スターダムへとのし上がっていく。

生涯現役マジシャン

その後、過密なスケジュールやバッシングによって顔面麻痺や家庭の問題など、Mr.マリックは様々な問題に見舞われる。それでもマジックを捨てることなく、今も現役のマジシャンとして活動している。
「マジックというのは、ゼロから発想しているものではないんです。すべてはコンビネーション。ふたつのものを組み合わせて新しい価値を作る世界なんです。芸の中で一番古いのがマジックといわれていて、紀元前のエジプトではすでに、魔術師が王様の前でガチョウの首を切ってつなげたという文献があります。原理としては、ロープを切ってつなげるマジックと同じです。そのように、江戸時代に針金を仕込んだコヨリで徳利を持ち上げていたものがストローになり、黒板を使っていたものがiPadになり・・・。昔からあるものをどう新しくデザインして見せるか、それがマジシャンの大事な要素なんです。今はYoutubeでどうやってマジックの面白さを伝えられるのか、挑戦しているところですよ」
マリックがきた!!Mr.マリック公式
https://www.youtube.com/channel/UCdiP7y6qJ-NR3XZt5V0aYVg
インターネットやSNSの発達に合わせて、Mr.マリックは活躍の場を柔軟に変化させている。それでも大事にしているのは、足を運び現場を見ること、直接コミュニケーションを取ることだという。
「情報っていうのは強いところに集まるものなんです。だから、人と同じものを見て、同じようにしていては、ありふれた情報しか入ってこない。私がマジックの世界で食べていこうと思ったとき、この業界のトップは誰なのかを調べました。アメリカやイギリス、ドイツなど世界で5~6人、そこに情報が集まるんです。つまり、彼らに近づけば一番新しい情報が入るわけです。マジック教室を開く前には世界有数のマジシャンが経営するマンハッタンのお店に行きました。店舗自体は小さいのですが、その奥には巨大な倉庫があって全米に通販していました。彼からは、“手品道具はデパートのような人の目に付く場所で売ってはダメだ”と言われました。また、ドイツの専門店では、ヨーロッパ中のマジックファンを集めたコンベンションをやっていました。それを見てすぐ、日本のマジックファンを集めた1泊2日のイベントを開催しています。どれも、業界のトップを見て、実際に会いに行ったからわかったことなんです」
「今と時代が違うじゃないかと言われるかもしれませんが、リモートでは話してくれないことがあるんです。自分より上の立場の人に、1対1でかわいがってもらう。それは芸能界でも一緒です。人生はパンケーキを積み上げたような層になっていて、登り口や階段がないんですよ。上に行くには、手を伸ばして誰かに引き上げてもらわないといけない」
最後に、新たなマジックの可能性や、今後挑戦してみたいことを伺った
「これまでのマジックは、見せて不思議がらせることが第一でした。しかし、YouTubeなどで大量にタネ明かしがされている時代、マジシャンだけが”不思議でしょ?”とカッコつけても無言のツッコミが入るだけです。これからのマジックは、見て驚いて、タネを聞いてさらに驚くスタイルになると思います。私も来年のライブでは、お客さんにタネを考えてもらいながら、その答えもまたひっくり返るほど驚くショーをやりたいと思っています」
Mr.マリック
超魔術師・サイキックエンターテイナー。1988年テレビデビュー。「きてます」「ハンドパワー」が流行語になる。30年が経つ今も、マジック業界の最前線に立ち続け、時代を取り込んだ新しい演出、トリックの研究に余念がない。
取材協力:A-stage
                      
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