『dictionary』創刊20周年、桑原茂一 インタビュー(前編)
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2015年5月11日

『dictionary』創刊20周年、桑原茂一 インタビュー(前編)

祝! freepaper『dictionary』創刊20周年
クラブキング主宰、桑原茂一インタビュー(前編)

1973年、桑原茂一さんが編集に携わった『ローリング・ストーン・ジャパン』が創刊された。茂一さんはそれ以前から、時代の先端の空気をビビッドに感じながら、東京カルチャーの創造と発信に、さまざまなメディアを駆使しながら格闘し続けてきた。そして、87年2月に株式会社クラブキングを設立し、88年7月に当時としては画期的なフリーペーパー『dictionary』を創刊する。
「言いたいことを言える場を確保していないと、いつ何時、なにも言えない時代が来るかもわからないという危機感はずっとあった」。
『dictionary』創刊20周年、デジタルライブラリーとしても増殖を続ける『dictionary』の歴史を振り返ろう。

Photo by UZAWA Kay

創刊当時、金では買えないものをつくりたかった

──『dictionary』20周年おめでとうございます

桑原茂一 すっかり自分が生きていることと一緒になっちゃったね。と、遠回しに言っていますが、長く生きているといろんな負担がカラダに蓄積するように、『dictionary』を出し続けることでの負担は、きっと棺桶に入るまで持っていくんだなという受け入れ方を自分自身で理解するまで、じつは相当七転八倒してきたと思いますよ。

──創刊当時、フリーペーパーはとにかく画期的でした

今のフリーペーパーは大手の企業が参入して、“情報はタダなんだから、どうぞご自由にお持ち帰りください”というスタンスが時代性を獲得しているけど、僕らは“情報はタダだと思うけど、金では買えないものをつくりたい”という意味が含まれていたんです。ちょうど88年頃はバブルの幕開けみたいなうなされたムードがあって、フリーペーパーなんて出して、お金を儲けなくてなにが楽しいの? と、我々のまわりのほとんどの人はそう思っていた。

──『dictionary』の発想はどこにあったんですか?

87年にクラブキングを立ち上げて、意気揚々と「日本でクラブカルチャーをつくるぞ!」と思っていたんだけど、やはりサポートは必要だった。それは当時、ロンドンのクラブカルチャーを日本に持ってきた実績のある人たちなんです。つまりファッション業界人。菊池武夫さんはロンドンのストリートカルチャーを紹介してとても刺激的だったし、ハリウッドランチマーケットのゲン垂水さんは、海外から大判サイズのフリーペーパーを持って帰って、お店に置いていた。そして吉田カバンの吉田克幸さん。僕らが高校生ぐらいのときからそういう先輩にいろんな刺激を受けているんです。『dictionary』を出す前だと思うんだけど、タケ先生のところに応援してもらおうと話に言ったら、「茂一ちゃんさ、東京にカルチャーなんか育たないよ」とズバッと言われた(笑)。

──東京にはカルチャーが育たない! しかもタケ先生が!

タケ先生にそう言われたら、僕らはどうすればいいんですか?(笑)って。尊敬している先輩にズバッと言われて、それはかなりきつかった。たぶん、当時の僕たちはアメリカ文化の影響下にあって、自分たちのライフスタイルをそれに置き換えてきた。だから“借り物”という開き直りがない限り、東京カルチャーの複雑さや面倒くささは表現できないと、ストレートに言われたのかなと。でもタケ先生はずっと応援してくれています。

早熟にならざるを得なかった青春時代

──茂一さんの事務所の1階には『dictionary』の創刊号からの表紙が飾られています

100号を数える前まで、毎年、『dictionary』に掲載された中からアワードをやっていたことがあって、当時「どうして茂一さんは自分がつくりたいと思う、自分が好きな『dictionary』をつくらないの?」と言われたことがあったんだけど、その頃は自分はメディアの管理人だと思っていて、管理人が主張をするのは間違っているんじゃないかとずっと思っていた。既存の雑誌のように、編集長がこれだ!って方針を決めるのはイヤだったんだね。

──それはどうしてですか?

『dictionary』を長く続けたかったんだね。だけど、10年や20年はまだまだ甘い。戦後60年を越えて、僕らの次の世代、その次の世代まで残っていくものが、この20年にないとダメだろうなと思う。ここに表紙を並べているのも自分たちを戒めるためでもあるし、デジタルライブラリーをつくったのも、この20年間を無駄にしないという覚悟を、自分に残すためには必要だった。

──では、最初から長く続けようと思っていたわけですか

自分たちが言いたいことを言える場を確保しておかないと、いつ何時、なにも言えない時代が来るかもわからないという危機感はずっとあったね。それと、誰もが仕事をしながら勉強をしながら成長していくと思うけど、創刊当時は2ヵ月に一回、自分たちが生きている回りのことがある程度カタチになって表れてくるという現場にいたことが自分にとってはよかった。「自分はなんで生きているんだろう?」ということを考えずにすんだのかもしれない。

祝! freepaper『dictionary』創刊20周年<br><br>クラブキング主宰、桑原茂一インタビュー(前編)

──そういう危機感はいつ頃から?

高校生のときから西麻布にあったバーで水商売を手伝っていたんですが、米兵が来て、“明日ベトナムに行く”といって酒を飲んでいる。そういうなんともいえない現場に立ち会っているから、よくわからないけれど、酒を飲んでロックを聴いている彼らと、自分たちがロックを聴いているのとは違うんだなと思った。

──それが……

69年頃かな。73年に『ローリング・ストーン・ジャパン』をやるまでは、なんだか、もわーっとして、後がない感じだったね。

──そのバーはご実家だったんですよね

そう実家。当時、おこづかいもくれなかったら、朝まで働いてね。近所にはタケ先生とか吉田美奈子さんとか頭脳警察とか、勝新太郎さんとかいて、とにかく大変だったけど面白かった。早熟にならざるを得ない(笑)。レコード屋を回って、ジュークボックスの選曲もしていたんだけど、それで、吉田克幸さんが、“選曲面白いね”って言ってくれて。

──それで音楽活動とつながっていくわけですか

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『dictionary』122号
6月10日(火)配布スタート

特集「mother」
田辺あゆみ×藤代冥砂、内田也哉子×茂木健一郎の対談をはじめ、さまざまな切り口で、いまの時代に必要とされる母性(男性にも女性にもある)を探った一冊。表紙のオーガニックコットンウエディングドレスなど、いまの時代の家族が必要とするアイテムの提案も。

クラブキング公式サイト│http://www.clubking.com/

<表紙クレジット>
アートディレクション:大橋修(thumb M)
モデル:田辺あゆみ
写真:鈴木親
ウエディングドレス制作:岡野隆司(FOR)
コサージュ制作:岡野奈尾美(la fleur)
ヘアメイク:成田祥子(SHIMA)

clubking『dictionary』20周年の全部が見られるライブラリー
「DICTIONRY LIBRARY」
DICTIONRY LIBRARY│http://dictionary.clubking.com/index.html


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