鶴ひろみさんを偲んで。|戸田恵子
鶴ひろみさんを偲んで。
鶴さんが急逝して5ヶ月になろうとしている。3月29日は鶴さんの57才の誕生日。ニューヨークでひとり献杯したのでした。
Text by TODA Keiko
鶴さんへ。
昨年、鶴さんが急逝した翌日、11月17日の朝。たまたまオフで家にいた私は心臓がバクついた。愕然として膝がくず折れてソファにドスンとなった。テレビからのニュースで訃報を聞いた瞬間に「は?」となり、私の手は見る間に冷たくなって、いや、全身が凍るような冷たさになった。感情ひとつで人の身体はこんなにも冷たくなるのかと怖くなる程だった。呆然。
テレビはそのままアンパンマンのオンエアが始まり、何てことだ…とぼんやり見た。我が家のグリーンのメンテをしてくれているS君が来る。真っ青な私を気遣ってくれて。S君自身、交通事故で急逝した弟さんの話をしてくれた。身体が冷たくなる感じよく分かります!とその日は静かに静かに仕事をしてくれた。かれこれ長いお付き合いになるS君のプライベートはよく知らない。でもこんな瞬間にとても近くに感じられた。
コーヒーを飲んだ。バタコさんの佐久間レイちゃんから私を気遣うラインが入る。山ちゃんから電話がある。皆、気持ちをどこに持っていけばよいのか分からないのだ。信じられないのだ。毎日の習慣でサプリを飲んだ。人が命を落としたというのに健康維持の為のサプリを飲むなんて、なんと馬鹿馬鹿しい行為なんだと思いながら…。
マスコミ各社からお悔やみコメントを頼まれる。いつもコメントを出さないと決めている。頭の中、全く収集つかないから。お悔やみの言葉まで気持ちがたどり着かないから。
アンパンマンのグループラインがひっきりなしに悲しい着信音を立てている。そこに鶴さんからのメッセージは無い。おかしい!何かあったら一番に連絡ある人なのに。
その日、予定してた観劇はキャンセルした。何も手につかない。三日前に一緒にご飯を食べたよね。飲んだよね。信じられないよ。三ツ矢さんと富永みーなちゃんと私と四人。それはいつも年長者の三ツ矢さんの誕生日を祝う会と同時に美味いものを食べる会だ。
その日、私がチョイスした焼きふぐに鶴さんは「幸せー!」を連呼していた。私とお揃いのリュックを背もたれの後ろに並べて、となり同士でご飯を食べた。翌日もゴルフだ!と楽しそうだった。
日焼けなんて気にしない。ゴルフ大好き、酒、タバコ大好き。紫色が大好き。スポーツ観戦が大好き、お笑いが大好き。全てに対して好き嫌いがハッキリしていた。40年ほど前に出会った鶴さん、この30年は周知のアンパンマンファミリー!家族の一員だ。番組始まって14週目くらいに初登場のドキンちゃん役に鶴さんを推した。まさにドンピシャだった。チームメンバーとしてもファミリーとしても。
卓越した芝居と、常にウィットに富んでいた。スタジオでは皆、定席があって鶴さんはいつも私の左隣に座っていた。因みに右隣は佐久間レイちゃん。せっかちで、きっちりな鶴さんの性格は私ともよく似ていて、気持ちを通わせていた。
私が身に付けてるもので気に入ったものがあったら同じものを求めてくれてた。美容院も同じだったし、ごく最近は腕時計、リュックなど同じものを使ってた。何より誰よりBGブランドを愛してくれてた。私のブログも毎日読んでくれていて。だから私のことは殆ど何でも知っててくれた。
結果、最後となったご飯食べた時、「昔々、姐さんと一緒に人間ドック行った以来、行ってなーい!」ってケラケラ笑ってた。「おいおい、何十年前の話だ!?」私もケラケラ笑った。そう、鶴さんからのメールラインでは私のことは「姉さん」ではなく「姐さん」なのだ。
18日、代々木八幡のハシヤでパスタ食べてる時、急に泣けてきた。もう鶴さん、美味しいもの食べられないね。そう思って泣きながら食べた。母が亡くなった時もしばらくそうだった。美味しいものを食べてるときにそう思っては泣いてた。
鶴さん、天国には仲良し誰か居ますか?大丈夫かな?その日は母のお墓参りに行って鶴さんがそっちに引っ越したと伝えました。天国には内海賢二さん、鈴置洋孝さんが居るね。きっと「鶴、どうしたんだ!」ってびっくりしてるはず。「まだ早い!」って追い返してくれたらいいのになと心底思いました。
レギュラーの仕事は残酷だ。先週は居た人が、今週は居ないなんて、とんでもない現実を突きつけてきやがる!!
スタジオには美味しいお菓子がいっぱいあります。いつもお菓子の前で行ったり来たり吟味する鶴さんだった。「どーしよっかなー?」って。「迷わず全種類持っていけば?」「だって太るからぁ。」とハニカミ笑顔。とびっきり美味しいお菓子や酒のアテになりそうなモノはいつも複数bagに入れていた。嬉しそうだった。
旅行もあちこち一緒に行った。チームで上諏訪、ハワイ、オーストリア。個人的には韓国など。あちこち行ったね。いつだって誰よりもきちんとしていた人だった。なのに最後だけ私たちにきちんと挨拶していかなかったのはどうしてだろうか?私たちはどこでどう踏ん切りをつければよいのだろう。未だにボンヤリしています。
その頃、私は舞台「ひみつ」のツアー中。移動日に新幹線車中でも気を散らそうと領収書整理したり、音楽聴きながら本を読んだりと目も耳も塞いで。でもふとした瞬間にドッと涙が溢れ出す。舞台上でも、舞台を降りてもずーっとずーっと泣いてばかりでした。
ある日の地方公演の朝。起きたらもう直ぐ涙がこぼれたり。新幹線の中で泣いて、泣きつかれて眠って。起きてまた泣いて。楽屋でも泣いて。どんどん、どんどん悲しい。
ついに、鶴さんが亡くなって翌週のアンパンマン収録日が来る日。スタジオに行きたくないと誰もが思ったはずだ。鶴さん、鶴さん、鶴さーん!
最後に一緒にご飯を食べた時、お願いされた事があった。「姐さんに○○に出てほしいな。大好きな番組なんです」って言ってた。「うんうん。私も大好きな番組だよ、出られるように頑張るね」そう答えた。だから出なければ!
11月20日(月)アンパンマン収録日。黙祷。増岡さんの弔辞、しずかな声で「悲しいです」と。私の隣を何度見てもそこに鶴さんは居なかった…。私たちは耐えた。台詞を発する段になってなお頑張った。ジャンプしたり胸を叩いたりして気持ちを平常にしようと頑張った。みんな泣きながら台詞を頑張った。
忘れない、あの日の収録は。(以来、鶴さんの席にはドキンちゃんのぬいぐるみを置いてます。一緒に参加してもらうように。大好きなお菓子もいっぱい上げてます。)
その前夜、深夜3時。電池はオフにしてたローソクがフワッと灯ってゆらゆらしてた。触って置き直したら消えた。あ、鶴さんだと思った。こんなこと生まれて初めての経験だ。我母の時ですら何もなかった。鶴さん、何を知らせに来てくれたのかな…。「ごめんなさい!」って手を合わせてペロって舌を出したような…。
2017年の年末、チームアンパンマン全員揃って、鶴さんを偲ぶ会を雅叙園で行った。泣いて食べて、食べて泣いて泣いて。円卓で一人ずつ思い出を語って。
まだまだこれからの人生、一緒に笑っていきたかった。「またX'mas?つまんなーい!」って一緒に愚痴っていきたかった。「美味しいー!幸せー!」って聞きたかった。
合掌。