連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「蔵前編」
LOUNGE / EAT
2019年9月30日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「蔵前編」

第11回「縦の繋がりと横の繋がりが交差して人と繋がる街・蔵前」

「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第11回は「東京のブルックリン」と呼ばれる、落ち着きのある大人の観光地、蔵前を紹介する。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

歴史や伝統を継承しながら新しい表現にも挑戦する街

貴乃花(当時貴花田)に敗れた小さな大横綱・千代の富士の引退(正確には貴闘力戦が最後の取り組み)に始まった平成の大相撲。その後誕生した兄弟横綱、若貴と曙・武蔵丸の熱戦に沸き、闘志むき出しの朝青龍が憎いまでの強さを見せつけ、白鵬の圧倒的且つ絶対的強さ、鶴竜の比類なき柔らかさと巧さ、並外れたキレと集中力と気迫で凄む日馬富士に息を呑んだ。
平成を謳歌したアラフォー世代にとって相撲の聖地は両国。だが、昭和を生きた団塊世代にとって相撲の聖地は蔵前だった。両国の対岸、現在は東京都水道局の施設になっている場所にあった蔵前国技館で、1954年から1984年9月場所まで興行は続けられた。

時はまさに戦後復興期から高度経済成長期の末期、「巨人・大鵬・卵焼き」が流行語となった時代のこと。栃錦と初代若乃花、柏戸と大鵬、輪島と北の湖、多くの力士が蔵前で数々の名勝負を繰り広げた。今より圧倒的に娯楽が少ない時代、平成以上に国民が熱狂していたことは想像に難くない。

昭和の時代、蔵前は相撲の聖地であると同時に「おもちゃ問屋街」だった。生地や布を扱う日暮里の繊維街、飲食店の道具を扱う合羽橋道具街、衣料品を扱う馬喰町問屋街・横山町問屋街、中央区から台東区・荒川区にかけては問屋街が多いが、蔵前-浅草橋界隈も東京有数の問屋街のひとつ。江戸通りを歩けば当時の風情を今も垣間見ることができる。
バブルの頃、拡大路線を取ろうとした店はバブルの崩壊と共に崩壊してしまったそうだが、多くの店は地に足つけて今も残っている。

子どもの頃に駄菓子屋や縁日で見かけた紙風船やスーパーボールが並ぶ店、お面の店、エアガンやプラモデルの店、花火の店など、それぞれを専門に扱う問屋が数多く立ち並ぶ。中には小売りをしない店もあるようだから注意が必要だけど、江戸通りに構える店はたいがい小売りにも対応しているし、買わずとも眺めるだけで十分楽しめる。

そしてここ数年で蔵前には、観光客向け宿泊施設の他、コーヒースタンドやビストロや雑貨屋が増えた。東京のブルックリン——一部ではそう呼ばれるらしい。確かに、かつて蔵前国技館があった場所から程近い場所にある「SOL'S COFFEE STAND」のスタッフの方も言っていた。

「オープン当時はブルーボトルがまだ日本上陸前、蔵前はおろか東京にすらコーヒースタンドは数える程しかなかった。いつの間にかコーヒーの街みたいになっているけれど、当時はおもちゃ問屋しかなかった(笑)」と。

お店は2013年にオープンして6年半が経つという。飲みやすくスッキリした味わいのやさしいコーヒーを飲みながら、店の軒先で寛いでいると、そんな街の変化を教えてくれた。
蔵前は広いけれど、隅田川に架かる厩橋・新御徒町駅・浅草橋駅の三点を結んだ三角エリアが、ボクの中での蔵前。厩橋から新御徒町に向かう春日通り沿い、三筋2丁目の交差点に「蔵前いせや」という天ぷら屋がある。

吉原大門の東京を代表する老舗「土手の伊勢屋」、入谷の「千束いせや」、そしてここ「蔵前いせや」は天ぷらいせや三兄弟と言われ、蔵前いせやはその三男坊だそうだ。三兄弟と言っても今は経営もメニューも全く異なるようだから、三者三様の江戸前天ぷらが楽しめる。
土手の伊勢屋は一時間以上の行列を覚悟しないといけないけれど、蔵前は構えることなく立ち寄れてさくっと美味しい天丼が頂ける。平日だけじゃなく土日もランチのサービス丼が700円という手頃感も見逃せない。夏の暑い日に二階の座敷席に上がって、立て膝つきながら胡麻油がきいた江戸前天丼を流し込むように喰う。これが最高の夏バテ対策になる。

蔵前いせやを出た後は、明治時代から続く隣の和菓子屋「榮久堂」で季節の生菓子あるいは名物のソフトバターをおみやに買うのがお決まりコース。
そこから少し南下して、三角エリアの中心辺りを目指して歩いて行くと「おかず横丁」にたどり着く。戦後間もない昭和24年に一本化された約230mの商店街。木造アパートと町工場が集積していたこのエリアは共働きが多く、そうした忙しい人たちが家で白米だけ炊いておけば美味しいご飯が食べられるようにおかずを売り始めたのが、おかず横丁と呼ばれる由縁だそう。

女性も働くのが当たり前になった現代社会の“時短”や“中食”に通ずるニーズから賑わった商店街。営業している店の数は減って閑散としていることは多いけれど、弁当300円とかラーメン400円とか昔と変わらぬ価格で提供し続ける店も多く、その温かみは変わらないまま随所に深く根を下ろしている。
商店街のアーチを潜ると目に入るのは、ゆらゆら揺れる赤い文字の「氷」の暖簾。昭和6年から続く和菓子屋「港家」のかき氷は夏の風物詩だ。いちご150円から自家製の宇治あずきでも300円。軒先で嬉しそうに頬張る子ども達が微笑ましい。

港家の少し奥にある「吾妻寿司」、横丁の脇道にある中華・とんかつの「今むら」は、その貫禄ある佇まいが気になる店だ。また横丁の中ほどにあるのが、煮物屋か佃煮屋か今風に言えばデリカテッセンか、「入舟屋」。店に看板は出ていないが、おかず横丁の看板とも言える昭和10年から続く店だ。

年季の入ったショーケースに、いなごやあさりの佃煮、青豆、ひじき、新じゃがの煮物など数々の惣菜が並ぶ。このショーケースが、—当たり前に無添加であり自家製な訳だけど—そうした情報価値がどうでもよくなるくらい、猛烈に購買意欲を掻きたててくる。どれも垂涎もの。家で白いご飯だけ炊いておけば、あとは万事OKだ。
最後に。もしも浅草橋から家路につくならば、江戸通りを脇に入ったところにある「洋食大吉」で一杯やって帰りたい。

昭和45年創業の大吉は、赤いギンガムチェックのテーブルクロスにその風格が感じられる。ランチは15:00まで、土日もしっかり営業しているのが嬉しい。寛げるサービスに落ち着きながらも賑わう店内は、ボクが800円の生姜焼きを食べる隣で、年配のご老人が昼間から2,000円の岩中豚のロースカツをつまみに瓶ビールを傾ける。そんな羨ましい空間。

「清潔で活気にみちた店内、親切なサービス。良心的な値段と味。」かの池波正太郎はそう評したと言う。下町のファミレスでありビストロ、ボクにとっては日常使いの定食屋、大吉はそんな店だ。
おもちゃ問屋街から東京のブルックリンへ。街に新しいイメージが形成される時、古いものは淘汰されてスクラッチ&ビルドで別人格に生まれ変わってしまうことが多い中、蔵前は、古くから続く歴史や伝統をきちんと継承していきながら、新しいものが入る時は古い家屋や倉庫や工場をリノベーションしたりアレンジしたりして溶け込んでいく。

だから、戦前から何代も続く問屋の主が新しくできたコーヒースタンドに毎朝通い、コーヒースタンドのスタッフは天丼をランチに食べに行く。縦の繋がりと横の繋がりがきちんと交差して、人と繋がっていくのが蔵前。その繋がりが、街のモノもコトも人も進化させてくれるのである。
SOL'S COFFEE STAND
住所|東京都台東区蔵前3-19-4
TEL|090-6496-5661
営業|平日8:00~16:00、土日10:00~17:00
おかず横丁
住所|東京都台東区鳥越1丁目
蔵前いせや
住所|東京都台東区蔵前4-37-9
TEL|03-3866-5870
営業|11:30~14:30頃/17:00~20:30頃
水曜定休
洋食大吉
住所|東京都台東区柳橋1-30-5 KYビルB1F
TEL|03-3866-7969
営業|月~金 11:30~15:00 17:30~21:30(L.O.)
土日祝 11:30~15:00 17:00~20:30(L.O.)
第2土曜定休
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長 1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                                                    
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