連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「代官山編」
LOUNGE / EAT
2019年7月22日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「代官山編」

第8回「時代が変わっても和而不同なスタンスを貫く街・代官山」

「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第8回は、様々なブランドの路面店やセレクトショップのほか、話題のカフェや人気レストランが立ち並ぶ最先端の流行発信地、代官山をナビゲート。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

若い世代から大人まで幅広く愛される街

“オシャレ”に目覚めた時、最初に行く場所は原宿-渋谷だった。中学生の頃の話である。古着屋からセレクトショップにいたるまで明治通りの店という店を覗いては、自分好みの店を見つけ出していた。

そして原宿-渋谷エリアを回収し終えた後の次の開拓地は、代官山になった。初めて行ったのは中学3年生の時だったと思う。なぜ代官山だったかと言えば、そこに「A.P.C.」があったからだった。
         
当時毎月必ず読んでいた『MEN'S NON-NO』でよく特集されていたのが、「Paul Smith」「agnès b.」と「A.P.C.」だった。他の2つは百貨店に行けばあったが、A.P.C.だけは代官山にしかなかった。とはいえ、その頃は副都心線も蔦屋書店もなく、代官山アドレスすらまだなくて同潤会アパートがあったかなかったかくらいの頃で、人の数も層も今とは全然違ったし、そもそも「ん、エーピーシー?なんて読むの?」とか言っていた状態だったから、代官山は敷居が高いというか心理的ハードルが高かった。
高校生になると「ハリウッドランチマーケット」「OKURA」「HIGH!STANDARD」に通い、大学生の時は「Supreme」「SILAS」を求めて並木橋に通った。とかくSupremeは店のスタッフが怖いと噂されていた。
         
商品に勝手に触るのは憚れたし、もし商品を落としでもしようものならドスのきいた睨みをきかされるなんて話もあった。しかしそんなこんな色々経験しながら、代官山とはファッションの街として仲良くなっていった。
20歳を過ぎた大人になると遊びの思考が「モノ」から「コト」へ移行するから、また新たなハードルが生まれた。「カフェ ミケランジェロ」のテラス席でカプチーノを飲むこと、「XEX」のバーで飲むことはそのひとつだった。XEXはビルの解体に伴い数年前に閉店してしまったが、若かりし頃に後輩を連れて飲みに行って会計で平静を装ったことは、いい学びになった。
         
そうして仲良くなってきた代官山だが、30歳を過ぎるとまた新しい発見もあった。それまでSupremeしか知らなかった並木橋に、大人が気兼ねなく楽しめるお店が意外にも多かったのだ。「レザンファンギャテ」の艶やかで麗しいテリーヌの比類なき魅力に魅了され、「Äta」が作り上げる新しく豪快で粋なフレンチスタイルに共感できるようになった。
この2店ほど知られていないと思うが、昔SILASがあった場所、八幡通りを並木橋方面に向かう途中の路地を入った所にあるアットホームなイタリアン「La Fame」も好きな場所。気が置けない友人とワイワイやるにも、ファミリーで行くにも、仕事仲間でも、何ならランチで行くにも、シーンを選ばない。
ホスピタリティもシェフの実家のオーガニック野菜を使うという料理も温かみに溢れているし、カルパッチョもパスタもデザートも一皿一皿が丁寧で彩りも美しい。ハレの日じゃなくてケの日でも、こうした場所で楽しい時間を過ごせるのが大人になった幸せである。
           
「ヒルサイドパントリー」もボクを幸せにしてくれる。何の気なしに立ち寄ると、生のポルチーニが売られていたり、タラコのパテの缶詰があったり、見つけた瞬間手が伸びてしまうアイテムが揃っている。「シェ・リュイ」も外せない。
シェ・リュイは1975年から代官山に1号店を構えているから、それこそまだ同潤会アパートがあった頃の話。ボクが初めて代官山に来た時に既に20年は経っていたわけだけど、その存在を知ったのはいつだか覚えていない。ボクはおやつにシェ・リュイのスイートポテトがあったら、それだけで1日ハッピーになれる。駅前のお店の前を歩いていて、あのショーケースを見てしまったら普通の人は買わずにはいられないだろう。
ポテッとした丸くかわいいシルエットで黄金に光る、種子島の安納芋を使って丁寧にハンドメイドで作られたスイートポテトは、ボリュームたっぷりだけどしつこくないからちょうど良い。おやつに、ときには朝食に外せない。
         
代官山には色んなハードルを課せられて、それを年齢とともに一つひとつクリアしながら仲良くなっていったが、最後に超えたハードルは「メゾン ポール・ボキューズ」だった。
世界で最も有名な料理人と言っても過言ではないポール・ボキューズ氏は昨年91歳で亡くなってしまったが、逝去後もミシュラン三ツ星を維持し、1965年から50年以上三ツ星に輝き続けるフランス リヨンの名店である。2007年に日本のガストロノミーのシーンを牽引してきた「ひらまつ」と提携し、オープンした。

当時25歳、ボクは新卒で入ったイベント会社にいて、様々なブランドのショーやパーティのプロデュースの一端を担う中、グランメゾンと呼ばれるようなレストランとは多くお付き合いがあったけど、「ジョエル・ロブション」と「ポール・ボキューズ」だけはそれはもう別格だった。

ラッキーなことに仕事として試食などで頂いて味を知ることはあったけど、そうではなくプライベートでその空気や流儀も楽しんでみたいと思っていた。初めて行ったのはそれから2、3年後だったが、それは期待値以上の、初めて堪能した正統派の本流のフレンチだった。

スズキ一匹をそのままの形でパイに包んで焼いた「スズキのパイ包み焼き ソース ショロン」や、1975年に氏が料理人として初めてフランスの最高勲章レジオンドヌール勲章を受勲した際、エリゼ宮での晩餐会で時の大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタンに捧げたという伝説のスープ「1975年にエリゼ宮にてV.G.E.に捧げたトリュフのスープ」といったスペシャリテは、目にした時、口にした時に受ける感銘は、筆舌しがたい。現代フレンチの礎を築いたその伝統や風格といったものまで、体をフルに使って味わえる体験である。人生で一度は必食だ。
A.P.C.もハリウッドランチマーケットもSupremeも変わらずにそこにあり続けて、40歳近くなっても買っているなんて10代の頃は思いもしなかったし、今でもシェ・リュイがおやつに用意されていればハッピー。カフェ ミケランジェロでカプチーノを飲めばなんだか贅沢な心持ちになるし、メゾン ポール・ボキューズもやっぱり少し緊張する。
一方、「蔦屋書店」をはじめ「SATURDAYS NEW YORK CITY」「MAISON KITSUNÉ」といった街の顔と言えるような新しいスポットも生まれて、それらともきちんと相容れるのが代官山。街の外形や人の流れが変わっても和而不同のスタンスだから、今でも変わらずに昔と同じように仲良くできるのかもしれない。
カフェ ミケランジェロ
住所|東京都渋谷区猿楽町29-3
TEL|03-3770-9517
営業|11:00〜 (22:30 L.O.) 定休日なし

La Fame
住所|東京都渋谷区代官山町8-15 DI ビル1F
TEL|03-5459-1604
営業|ランチ 平日12:00~14:30 (14:00 L.O.)
土日祝 12:00~15:00 (14:30 L.O.)
ディナー 18:00~23:00 (22:00 L.O.) ※日曜日のみ21:30 Close
月曜日定休 

シェ・リュイ
住所|東京都渋谷区猿楽町23-2
TEL|03-3476-3853
営業|9:00~22:00 

メゾン ポール・ボキューズ
住所|東京都渋谷区猿楽町17-16 代官山フォーラム B1F
電話|03-5458-6324
営業|ランチ 12:00〜15:30 (14:00 L.O.)
ディナー 18:00〜23:00 (20:30 L.O.)
月曜日定休(祝日の場合は翌日に振替)
伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長
1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
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