連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「神田編」
LOUNGE / EAT
2019年8月5日

連載エッセイ|#ijichimanのぼやき「神田編」

第9回「一通り経験を積んで、知識を蓄えた大人が似合う街・神田」

「ひたすら肉体の安全無事を主張して、魂や精神の生死を問わないのは違う(三島由紀夫)」――日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」のボードメンバーの伊地知泰威氏の連載では、究極に健康なサンシャインジュースと対極にある、街の様々な人間臭いコンテンツを掘り起こしては、その歴史、変遷、風習、文化を探る。第9回は、江戸時代から続く老舗が軒を連ねる、文化と歴史が息づく街・神田を巡る。

Photographs and Text by IJICHI Yasutake

江戸時代から続く、古き良き文化が漂う街

順番に山手線の駅名を言っていって閊えたら負けとなる山手線ゲーム。おそらく山手線ゲームをしたら、神田が出てくるのは後半だろう。ボクも神田に訪れるようになったのはここ数年のこと。今はサンシャインジュースを使ったカクテルをふるまう「moonshine」というバーが神田にあるから頻繁に行くようになったが、それまでは数えるくらいしか降りたことはなかった。

神田は、東京駅と秋葉原駅の間に位置するけれど、そのどちらの色にも侵されていない街である。駅前は一見新橋に近い雰囲気があるけれど、新橋よりも文化的と言うか朴訥としている。最近では神田のそうした文化的な匂いに魅せられたクリエイティブな人たちが居を構えることも多いと聞くけれど、神田のそうした匂いはその生い立ちに起因しているようである。
神田は江戸時代に発展した街。江戸時代、徳川が五街道を整備してその起点となる場所に定めたのが、神田の隣日本橋。五街道によって江戸には様々な物資やサービスが集まり、同時に文化が交流し、経済が発展し、巨大都市東京の前身江戸が形成された。江戸には多くの労働者が集まった。その労働者たちの食糧供給の起点になったのが、神田だった。東京湾(江戸湾)の魚は内神田の魚河岸に、北関東から運ばれた青物は神田多町にあった青物市場に集まり、それが供給された。魚河岸はその後築地へ、青物市場は大井へ移ったけれど、そもそもは神田が端緒だったのである。そうして神田は江戸時代の流れと共に発展していった。

そんな時代に、せっかちな江戸っ子や忙しい労働者の腹を手軽に満たすものとして生まれたファストフードのひとつが、屋台の寿司だった。ファストフードと言っても、現代のように冷凍で運ばれたどこぞのものかわからない素材に様々手を加えて提供するそれとは異なる。冷蔵庫すらない時代だから、獲れたての旬の素材を新鮮なうちにシンプルに調理して提供するスタイル。わさびはこの時代に、腐敗防止と香りづけのために使われたのが始まりだったとか。豪快な白米に厚切りの刺身を乗せた寿司は、安価に手早く胃袋を満たすものとして重宝された。
そんな神田の駅高架下に「すし徳」という1965年(昭和40年)から続く、まさに江戸の寿司文化を体現したような店がある。
味のある豪快な大将と温かい常連に囲まれる店内は7、8人入れば満席。席に着けば、まず肉厚に切られた刺身が山盛りのわかめの上に盛られる。それを高清水で流し込む。するとまた刺身が次々に盛られる。これがすべて美味い。

野暮とは対極のストレート勝負。もはや握りにたどり着けるかどうかはその人次第だけれど、〆のかんぴょう巻は絶品。このご時世紫煙に包まれたカウンターでどんぶり勘定。こんな寿司屋は今や希少。間違いなく腹も心も満たしてくれるのである。
         
明治時代以降の神田は、職人の街として、あるいは学生の街として形を変えていった。戦後間もなく1947年には、神田区と麹町区が合併して千代田区が発足。その際、神田区内の町名すべてに神田が冠称として付されて残った。神田司町、神田鍛冶町、神田錦町……今も多く残っているこれらの町名はその名残。だからなのか、神田には今も情緒が感じるエリアが多数ある。中でも、神田須田町・神田淡路町界隈は、食情緒に溢れているエリアとして知られている。
1830年(天保元年)創業のあんこう専門店「いせ源」、1884年(明治17年)創業の「近江屋洋菓子店」、1897年(明治30年)創業の鳥すき専門店「ぼたん」、1905年(明治38年)創業で都内最古の居酒屋と言われる「みますや」、1907年(明治40年)創業の洋食店「松榮亭」、1930年(昭和5年)創業の甘味処「竹むら」、1933年(昭和8年)創業の喫茶「ショパン」。
         
         
まるで歴史年表を見ているかのようなこのエリアは、関東大震災や東京大空襲を免れて、令和の時代に文化を継承しているのである。
地元民から名だたる文豪までを唸らせてきた「ぼたん」は、構えることなく気軽に行きたい店。都に歴史的建造物に指定されている日本家屋の趣ある佇まい。梁や窓枠に感じる木のぬくもり。ちゃぶ台が並ぶ広間の座敷。火鉢と小さな鉄鍋で頂く丸ごと一羽の鳥を使った鳥すき。
専門店として100年以上続く矜持を感じながら、大衆的な空間と古き佳き時間の流れを味わえる老舗である。
「松榮亭」も昼でも夜でもひとりでもフラッと立ち寄れる老舗のひとつ。名物料理である洋風かきあげは、夏目漱石所縁であることがあまりに有名。初代が東大教授の専属料理人だった時に、訪れた教え子の夏目漱石のリクエストに即席で応えたものらしい。他の多くの人と同じく、ボクも最初に訪れたのはそれを知ってだった。
ボクが初めて触れた文学作品は、中学の国語の授業での夏目漱石の「こころ」。主人公である先生と親友K、お嬢さんの三人の関係を、嫉妬、裏切り、孤独、苦悩、絶望という様々なこころ模様の側面から描いた作品で、日本文学作品の名作とされている。

当時の教師の意図は、この作品を通じて人間の深層に根差す本質的な部分を洞察させることだったろうと思うけれど、こちらはなにぶんまだセックスはおろか恋愛すらまともにしたことがない中学生。その内容は相当重かった。当時深い洞察ができるまでには至らなかったけれど、作品そのものは記憶に残り、とかく物語上でキーとなった「精神的に向上心のない者は馬鹿だ」という台詞は意味もなく深く脳に刻まれて、節目があると思いだす。
洋風かきあげは、豚肉と玉ねぎを卵と小麦で練られたネタが揚げられた、他では接することができない一品。素朴でシンプルだが、今も変えることなく守り続けられている当時のレシピ。口に入れると、「こころ」を学んだ当時の記憶が蘇るのである。
「学生の頃もっと勉強しておけばよかった」なんていうのは30歳過ぎると良く聞く話だ。若い頃興味がなかった政治や歴史、文学に、なぜか大人になると興味を持ったりするからだ。神田は大衆的な街だから若くてもそれなりに楽しめるかもしれないけれどそれは局所的なもの。そうした興味を持って薄くても知識を得た大人になってからの方が、神田は何倍何乗も楽しめる。寿司屋で握りの順番を気にしたり、お茶をアガリと言ってみたり、天ぷら屋で大して好きでもないミョウガを頼んでみたり、そうした“通ぶった”一面を大切にしたい若い時分では辿りつけない領域。一通り経験を積んで、自分のスタイルを見つけた大人が、悠悠閑閑楽しめるのが神田という街だ。
すし徳
住所|東京都千代田区鍛冶町2-11-21
TEL|03-3251-3414
営業|17:30~翌1:00
土日祝定休 最終土曜のみ夕方から営業

ぼたん
住所|東京都千代田区神田須田町1-15
TEL|03-3251-0577
営業|11:30~21:00(最終入店20:00)
日祝定休

松榮亭
住所|東京都千代田区神田淡路町2-8
TEL|03-3251-5511
営業|11:00~14:00(L.O)  / 17:00~19:30(L.O)
日祝定休

伊地知泰威|IJICHI Yasutake
株式会社サンシャインジュース 取締役副社長 1982年東京生まれ。慶應義塾大学在学中から、イベント会社にてビッグメゾンのレセプションやパーティの企画制作に従事。その後PR会社に転籍し、PR領域からのマーケティング・コミュニケーション・ブランディングのプランニングと実施マネージメントに従事。30歳を機に退職。中学から20年来の友人である代表と日本初のコールドプレスジュース専門店「サンシャインジュース」を立ち上げ、現職。好きな食べ物はふぐ、すっぽん。好きなスポーツは野球、競馬。好きな場所は純喫茶、大衆酒場。
Instagram:ijichiman
                      
Photo Gallery