連載・TOKYO PREMIUM BAKERIES|第24回 ブーランジェリー イチ
第24回 Boulangerie ichi|ブーランジェリー イチ
ワイン好きのシェフがつくる、ワインと食事に合うパン
東京でほんとうに「上質でおいしいパン」を提供しているパン屋さんを紹介する連載第24回は、都営地下鉄浅草線西馬込駅すぐ近くの『ブーランジェリー イチ』。メゾンカイザーのチーフブーランジェを経て2006年に独立した市毛 理氏が、その実力を思う存分発揮する人気店です。
取材・文=戸川フユキ写真=高田みづほ
お手本は、フランスの気軽に寄れる「パンとお惣菜の店」
都営地下鉄浅草線の起点駅、西馬込駅の改札を出て徒歩1分、国道1号線沿いにある『ブーランジェリー イチ』。思いのほか小さな店構えだが、開店とともに朝からお客さんが途切れることのない、地域でも人気のパン屋さんだ。
市毛シェフは、国内外数店のパン屋で修行ののち、青山紀ノ国屋インターナショナル、メゾンカイザーのチーフブーランジェと、輝かしい経歴をもつ。2006年に独立して西馬込に『ブーランジェリー イチ』を開き、2009年にはすぐ近くに家庭的なフランス料理とパンとお菓子が揃う『パティスリー トレトゥール イチ』をオープン。いま、もっとも勢いのあるブーランジェのひとりだ。
新店では信頼のおけるパティシエをあらたに迎え、メゾンカイザー出身で、キッシュや煮込みが得意な奥さまの朋子さんが、ランチで料理の腕をふるう。いまや市毛さん夫婦は、二人三脚で人気店ふたつを切り盛りしているのだ。
パン屋の『ブーランジェリー イチ』では、ボリューム満点のサンドイッチが目を引く。その種類も豊富で、「生ハムとパルメジャーノ」「トマトとモッツァレラ」「ローストビーフ」「ベーコンとアボカド」「ツナトマト」「タンドリーチキン」「スモークサーモン」、プチサンドの「パストラミ」と、日替わりのメニューをふくめ毎日8種類ほどがショウウィンドウにならぶ。具材をはさむパンはソフトで食べやすい「チャバタ」の生地を使い、一個でお腹が満足する食べ応えだ。「フランスのパン屋にあるような、ボリューム感のあるサンドイッチが好きなんですよ。うちのも男性がランチによく買ってくださいます」と市毛シェフ。
『ブーランジェリー イチ』のパンは小麦粉から起こした「液体天然酵母」に、微量のイーストをくわえてつくられる。「液体天然酵母」のヨーグルトのような微かな酸味は食欲を刺激し、「さらに食べたくさせる」のだそうだ。また良心的な価格のバゲットは、北海道産小麦粉を使い、長時間低温発酵で焼きあげる。粉の味に深みが増し、皮はパリッとなかはしっとりとしている。
「味に差が出るものは、思い切って上等な材料を使います。でもパンを日常的に食べて欲しいので、なるべく価格は抑えたいんです」と市毛シェフ。バゲット1本199円は、この連載に登場した24軒のなかでも破格の値段だ。それでいて、低温長時間発酵の本格的な味わいなのだから、その努力と心意気に拍手を送りたい。
市毛シェフのこだわりは、「少量ずつ焼いて、つくりたてを提供すること」。現在、お店には45種類ほどのパンやキッシュがならんでいるが、すぐ近くにある仕込みなどをおこなう作業場と店舗を、スタッフが日に何度も行ったり来たりしながら、つねに「焼きたて」をお客さんに提供している。
この日も作業場でお話をうかがったのだが、途中でオーブンのタイマーが鳴ってタルトの台が焼きあがり、部屋じゅう発酵バターのしあわせな香りに包まれた。それまで穏やかな口調でインタビューに答えてくれた市毛シェフは、すばやくタルトの台を取り出し、焼け具合を確認。じつにきびきびと無駄のない動きは、腕のいい職人そのものだった。
もともと食べることが好きで、若いころは料理の道に進もうかとも考えた市毛シェフ。が、当時は夜間大学に在学中だったため、午前中に終わるパン屋さんのアルバイトをはじめ、それがきっかけで現在にいたっている。「オーブンに生地が入ったときの、ダイナミックに膨れていく変化がおもしろかったんです」と語るシェフは、当時がいかにも懐かしそうだ。現在お店で修行中の若い職人さんたちにも、パンづくりの魅力はしっかりと受け継がれていくことだろう。「ホントにうちのパン、おいしいんですよね」と明るく話すスタッフの笑顔が清々しい。
市毛シェフが目指すのは、パンだけでなくお惣菜やお菓子も揃っていて、夜はおいしいワインも飲めてくつろげる、毎日寄りたくなる「パン屋の未来型」だ。このご夫婦なら、きっと近い将来に実現させてくれることだろう。大いなる期待を胸に、楽しみに待っていたい。