BOOK|『至高の靴職人 関信義 手業とその継承に人生を捧げた男がいた』
BOOK|伝説の靴職人、関信義の人生を描く
竹川圭『至高の靴職人』
緊張感漲る出だしの数行を読んで確信した。本作品は力あるルポルタージュであり、数少ない本物のノンフィクションだと。そして原稿の一字一句は、私が知る、メンズファッション業界で活躍する著者の、「いつもの業(わざ)」とはまったくの別物であった。
Photographs by JAMANDFIXText by KASE Tomoshige
ロマンに満ちた靴職人の人生
著者の竹川圭(たけがわ・けい)氏は、『GQ』をはじめとするメンズファッション誌、ウェブ媒体、ブランドやショップのカタログ、企業誌などで幅広く活躍するフリーランスの編集者であり、ライターである。
なかでも靴、とくに手仕事の工程が残された「仕立て靴」にかんして、靴の洋の東西を問わず、長く、深く取材をつづけてきた人物だ。私は編集者として、幾度か仕事を著者に依頼したことがある。また一度だけだが、著者が愛する下町で痛飲したこともある。その縁か、恐縮ながら紹介の一文を書かせてもらうこととなった。
この『至高の靴職人』の上梓は、著者のライフワークの結実であり、いずれ為し得たであろう当然の成果でありながら、私に大きな衝撃を与えたのは最初に記した通りだ。つまり、彼のいつもの文章と明らかに違う。ぐいと読み手を引き込むところはおなじだが、なんというか、ロマンに満ちているのである。
第三章、「四羽ガラス」の冒頭を引く。
「手ごろな石を拾い、二階の窓めがけて放った。にごりのない空気にかんっと高い音がする。木の枠をきしませながら窓が順繰りに開き、眠そうな顔がぬっと現れた。『いつまで乳繰り合ってんだ。いくぞ』『おぅ』。女郎屋にしけこんでいた遠藤末男、鈴木敬太、鈴木史郎を叩き起こすと、大きく伸びをして煙草に火をつけた」
本作の主人公である関信義は、戦後の靴産業とともにそのキャリアを重ねたひとりの職人だ。そして一職人にして斯界にその名を轟かせた伝説の人物である。小僧時代を経て勤めの職人となり、渡りの靴職人(というものがあるのだ)として肩で風を切り、時には自身の会社も経営した。著者の言葉を借りれば、腕一本の、凛とした、ひりひりとした生き方を貫いた男である。
本作に横溢するロマンの正体は、仕事と酒と心意気で練り固まった関信義の男っぷりと、戦後から高度成長期にかけての日本の、ある種の猥雑な、熱を帯びた時代の空気である。丹念な取材と簡素だが芯の強い文章によって、著者はその空気を見事に描き出している。
私は最初に稀有なノンフィクションと書いた。たしかにまぎれもなく、余人が知ることのない戦後の靴産業を描いた佳作である。そして完成度の高い史料としても、靴業界、メンズファッション業界に広く、長く読み継がれるに違いない一冊である。
だが、一気に読み終え嘆息した私を満たしたのは、いわゆる「優れたノンフィクション」の読後感とは、微妙に異なるものだった。どちらかといえば、梁石日の『血と骨』、山本一力の『菜種晴れ』、飯嶋和一の『雷電本紀』、そして阿佐田哲也の『麻雀放浪記』を読み終えたときに近かったのである。
つまり本作は私にとって、戦後、そして昭和と平成の東京を書割に、類いまれなひとりの靴職人・関信義を役者に配した時代小説であった。誠実かつ濃厚で、めっぽう面白い時代小説だったのである。
この力強いノンフィクションをものにした著者とその仕事に、あらためて敬意を表したい。
『至高の靴職人 関信義 手業とその継承に人生を捧げた男がいた』
発売中
著者|竹川圭
発行|小学館
仕様|四六判、190ページ
価格|1620円
関信義|SEKI Nobuyoshi
1937年東京生まれ。高校を自主退学し、17歳で手製靴の世界へ。わずか1年あまりで修業の時代を突っ切ると、腕一本で勝負する渡り職人に。製造屋を転々とするなか自他ともにみとめる手練の技を身につける。1990年以降は職人文化の復権を後押ししたエトスクラブなどで活躍するかたわら、3人の弟子を育てた。2012年、引退。
竹川圭|TAKEGAWA Kei
1970年京都生まれ。下町の人情に惹かれ、社会に出てからは靴の一大産地、浅草およびその近隣に暮らす。雑誌やウェブを舞台にメンズファッションのエディター、ライターとして活動しつつ、斜陽する産地独特のやるせない気配とそこに芽生えた息吹を肌で感じてきた。『紳士 靴を選ぶ』(光文社新書)など靴にかんする著作も多い。