島田 明 Life is Edit. #018 ~自分探し、は終わらない
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2015年4月27日

島田 明 Life is Edit. #018 ~自分探し、は終わらない

島田 明|Life is Edit.

#018 自分探し、は終わらない

ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。

文=島田 明

ダライラマはこう言っています。
世の中の有り様、現実には3つのあり方から成り立っている、と。

すなわち

~永遠不変のものなど存在せず(無常)、
そのものだけで存在するものはなく(無我)、
原因がなくて存在するものはなにひとつない(縁起)~

最近、とみにこの言葉を反芻する日々がつづいています。嵐の真っただなかにいると濁って分からないけど、それが過ぎ去り、透き通ってくれば見えてくるモノがある。

今年に入って出会ったひと、旅での発見、そして嵐のような数多くのことから、またなにかを学べそう。
今回は、そんな話を徒然に……。

エドワード・ロシュさんの美意識

昨年開催された、ポロ ラルフ・ローレンの合同展示会でのこと。そこでスタイリッシュな、ひとりのフランス人に出会いました。エドワード・ロシュ、そのひとです。会場内のラルフ・ローレンの世界観も、素晴らしいものでしたが、服の話はソコソコに(笑)、わたしたちの大半の話題はアートに関するモノでした。で、名刺交換したら、ラルフ・ローレン ジャパンCEO! (笑)。そんな要職に就きながらも、フランクで温かくチャーミングな笑顔。わたしは、ひとめで友人になれそう(失礼!)、そう勝手に直観しました。

その後、メールのやり取りを数回したあと、年始早々、ふたりで食事をすることに。ラルフ・ローレンの別荘に招かれた話やパリに残した2台のシトロエンDS、アートや日本のストリートカルチャーなどなど。当日も、話題はつきることがありませんでした。

#018 自分探し、は終わらない

ラルフローレン表参道店をバックに、伊達男のエドワードさん。フランス人ならではの
カラーづかいは、同ブランドに新鮮なインパクトを与えます。やっぱり服は編集するひとに
よって変わるものなんですね。

いまでは、わたしの持っているヴィム・ベンダース監督の映画『都市とモードとビデオノート』のビデオを渡しに社長室にお邪魔したり、エドワードさんからゲーンズブールの新譜をいただいたり、とアートや音楽、映画を中心に、いい情報交換、させてもらっています。

わたしは、あまりラルフ・ローレンの服は着ませんが(失礼!)、ラルフ・ローレンの持つ世界観、そしてなにより彼の趣味のよさ、が大好きです。そして、彼の趣味のよさは、わたしの根幹(=センス)に大きな影響を与えてくれています。QUALITY OF LIFE、とは彼のライフスタイルそのもの、と彼の家の風景、写真を見るたびに再認識するのです。エドワードさんから、直にラルフの生の印象や別荘やガレージのクルマの放列の話を聞くと、そのわたしのイメージと差異がない。きっと、本物の彼に直接出会えたら、そして彼の家に招かれたら、たいそう感動するだろうな、そんなことが直観で分かる。それは、ラルフとわたし、そしてその両方を知るエドワードさん、この三人にはきっと共通の“嗜好”があるのだろうな、そう思うのです。

そんなエドワードさんとの出会いに、わたしは“縁起”を感じるのです。

黄泉の国、死者の国・熊野への旅

そもそも、この旅は俳優・西村雅彦さんの「火祭りが見たい!」という発言からスタートしたものでした。誘ってくれた、当の本人は仕事で参加できず残念でしたが、わたしにとって、今回の旅は、日本人とはなにか? を感じさせる深い深い旅になりました。

わたしは中上健次のような小説を書く才能もなく、鈴木理策さんのような美を切り取る写真の才もない。
でも、きっと惹かれているなにか、感じるなにか、はみなおなじだと思ってます。

早朝、深い木立のなかで歩いた熊野古道大門坂、
美しい海原を望みながら語らった熊野古道高野坂、
ただただ美しいと感じた那智の滝、
夜にうごめく薪と白装束の男たちに心躍らせた火祭り、
タイムスリップした勇壮な山伏の集団
深夜の露天風呂、湾岸ドライブ、そして偶然の出会い、
無量寺での長沢芦雪作「龍虎図」……。
すべての感動を書くには、ちょっと誌面?が少なすぎるので
ヤメておきます。

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熊野古道でも人気のスポットでガイドブックの表紙にもなる大門坂でしたが、早起きしたおかげでひともおらず、ピンと張りつめた空気をわたしたち以外、誰にも邪魔されず満喫できました。ラッキー! と思った久方ぶりの快感。

木立のなかをズンズンと進んでいくと、突然視界がパッと開けて、青い海が眼下に広がって。
ドラマチックな演出満載な高野坂。

お金を払うと、那智の滝の水も飲め、しかもボトルを買うと、お土産に
持って帰れるんです、那智滝の水を。勿論、わたくしボトルに詰めて、
ちょっと飲んだあとは、自宅の冷蔵庫で保存中であります(笑)。

神倉神社にこもる前、男たちは松明を持ち、お寺を練り歩きます。すれちがう相手に「よろしく頼むぜ!」みたいな掛声をかけあい、松明をぶつけあいます。夜の帳が下りる前には、男たちもヒートアップして。

急こう配な坂を1000人以上の猛者たちが一気に駆け下りる、じつに男くさーい、瞬間に立ち会えましたが、祭りに参加する男たちは例外なく勇ましく、眩しく見え。寺下では女性が、その帰りを待ちわびる、といった粋な光景もチラホラ。いいもんですねー。

#018 自分探し、は終わらない

前日の火祭りの急こう配っぷりは、翌日、神倉神社に再度訪れて実感。
ほんとうに、この坂を一気に降りたの? と疑うくらい凄いんです(笑)。
で、山伏の登場。もうタイムスリップしまくりでした(笑)。

でも、これだけは書いておきたい、言っておきたい。熊野には、わたしたちが忘れていたなにか、がある。そして「神」という存在を感じるには、純粋な気持ち、心の素朴さが必要、そう感じました。熊野には、間違いなく「神」がわたしたちのそばにいたのです。

先週、ナンバーナインのデザイナー、宮下貴裕氏のデザイン活動休止の報を聞きました。その文面の最後に、アレキサンダー・スーパートランプを名乗った彼は、映画『INTO THE WILD』の主人公のように、きっと放浪の旅に出るのでしょう……。

その旅が、アメリカ人にとってアラスカであるのなら、
日本人にとって、それは熊野であるように、わたしは思います。

ぜひ、宮下氏には熊野に行って欲しい。
日本人、そして自分の原点がわかる、そう思っています。

激動の世、でも変わらない、もの

熊野の旅は、わたしにとっては“原点帰り”の旅となりました。

だからこそ、この旅のあとに起こったイロイロな出来事は、すべて、これから先に起こるつながるなにか、を暗示させるもののように思えてなりません。ダライラマの言う、“無常”“無我”“縁起”、わたしに課せられた宿題、に思えて仕方ない。

今日、この文章を書いている3月14日の3日前、わたしは『エスクァイア日本版』のファッションディレクターに就任しました。3年半、悪戦苦闘するも楽しい思い出いっぱい? の『LEON』を離れ、再スタートを切ったわけですが、就任3週間前に“休刊”決定の報・・・。

『エスクァイア』は、わたしにとって、いまだ“良心の”雑誌であります。と同時に、「いつかは編集に参加したい」憧れの雑誌でありました。その雑誌のファッションディレクターとしての招聘、そして就任。春に胸おどらせる新社会人のような気分、そして長いあいだ、恋焦がれていた麗しの君に出会うような気分、であったワケです。

ゆえに、相当凹みました。

そんななか、多くのひとたちから暖かい言葉をいただきました。
いつもお世話になっているフライング・ボックスとNOWファッション社長の岩崎アキ子さんは「才能のあるひとは、くじけちゃ駄目よ」と激励の言葉をいただきました。DJの松浦俊夫クンからは「こういうときこそ、島田明の真価を発揮すべき」とハッパをかけられました。アーティストのJIMBOWクンには「島田さんは、いい友達がいっぱいいるから大丈夫ですよ」と周りを見渡すきっかけを与えてくれました。

周りが気をつかってくれるのが、痛いほどよく分かり、そして励ましの言葉が温かく、ひとの温かさ、古臭いかもしれないけど“人情”というものを、とても近くに感じました。でも、みんな最後に必ず言うんです「島田さんは絶対に大丈夫」なんて。そういわれると内心プレッシャーかかったり、しちゃうんですけど(笑)。

だからこそ、わたしは、愛すべきひとたちのためにも、頑張ろうと思っています。しっかりエスクァイア日本版の雑誌づくりに全力投球して、その歴史に自分の足跡を残したい。いまはそう思っています。

と同時に、わたしが、今度はみなに勇気を与えられる番かもしれない。

“無情”“無我”“縁起”。
この3つのキーワードをもとに、前に進んでいきたい、そう思う最近のわたしであります。

           
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