島田 明 Life is Edit. #018 ~自分探し、は終わらない
島田 明|Life is Edit.
#018 自分探し、は終わらない
ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。
文=島田 明
ダライラマはこう言っています。
世の中の有り様、現実には3つのあり方から成り立っている、と。
すなわち
そのものだけで存在するものはなく(無我)、
原因がなくて存在するものはなにひとつない(縁起)~
最近、とみにこの言葉を反芻する日々がつづいています。嵐の真っただなかにいると濁って分からないけど、それが過ぎ去り、透き通ってくれば見えてくるモノがある。
今年に入って出会ったひと、旅での発見、そして嵐のような数多くのことから、またなにかを学べそう。
今回は、そんな話を徒然に……。
エドワード・ロシュさんの美意識
昨年開催された、ポロ ラルフ・ローレンの合同展示会でのこと。そこでスタイリッシュな、ひとりのフランス人に出会いました。エドワード・ロシュ、そのひとです。会場内のラルフ・ローレンの世界観も、素晴らしいものでしたが、服の話はソコソコに(笑)、わたしたちの大半の話題はアートに関するモノでした。で、名刺交換したら、ラルフ・ローレン ジャパンCEO! (笑)。そんな要職に就きながらも、フランクで温かくチャーミングな笑顔。わたしは、ひとめで友人になれそう(失礼!)、そう勝手に直観しました。
その後、メールのやり取りを数回したあと、年始早々、ふたりで食事をすることに。ラルフ・ローレンの別荘に招かれた話やパリに残した2台のシトロエンDS、アートや日本のストリートカルチャーなどなど。当日も、話題はつきることがありませんでした。
いまでは、わたしの持っているヴィム・ベンダース監督の映画『都市とモードとビデオノート』のビデオを渡しに社長室にお邪魔したり、エドワードさんからゲーンズブールの新譜をいただいたり、とアートや音楽、映画を中心に、いい情報交換、させてもらっています。
わたしは、あまりラルフ・ローレンの服は着ませんが(失礼!)、ラルフ・ローレンの持つ世界観、そしてなにより彼の趣味のよさ、が大好きです。そして、彼の趣味のよさは、わたしの根幹(=センス)に大きな影響を与えてくれています。QUALITY OF LIFE、とは彼のライフスタイルそのもの、と彼の家の風景、写真を見るたびに再認識するのです。エドワードさんから、直にラルフの生の印象や別荘やガレージのクルマの放列の話を聞くと、そのわたしのイメージと差異がない。きっと、本物の彼に直接出会えたら、そして彼の家に招かれたら、たいそう感動するだろうな、そんなことが直観で分かる。それは、ラルフとわたし、そしてその両方を知るエドワードさん、この三人にはきっと共通の“嗜好”があるのだろうな、そう思うのです。
そんなエドワードさんとの出会いに、わたしは“縁起”を感じるのです。
黄泉の国、死者の国・熊野への旅
そもそも、この旅は俳優・西村雅彦さんの「火祭りが見たい!」という発言からスタートしたものでした。誘ってくれた、当の本人は仕事で参加できず残念でしたが、わたしにとって、今回の旅は、日本人とはなにか? を感じさせる深い深い旅になりました。
わたしは中上健次のような小説を書く才能もなく、鈴木理策さんのような美を切り取る写真の才もない。
でも、きっと惹かれているなにか、感じるなにか、はみなおなじだと思ってます。
早朝、深い木立のなかで歩いた熊野古道大門坂、
美しい海原を望みながら語らった熊野古道高野坂、
ただただ美しいと感じた那智の滝、
夜にうごめく薪と白装束の男たちに心躍らせた火祭り、
タイムスリップした勇壮な山伏の集団
深夜の露天風呂、湾岸ドライブ、そして偶然の出会い、
無量寺での長沢芦雪作「龍虎図」……。
すべての感動を書くには、ちょっと誌面?が少なすぎるので
ヤメておきます。
でも、これだけは書いておきたい、言っておきたい。熊野には、わたしたちが忘れていたなにか、がある。そして「神」という存在を感じるには、純粋な気持ち、心の素朴さが必要、そう感じました。熊野には、間違いなく「神」がわたしたちのそばにいたのです。
先週、ナンバーナインのデザイナー、宮下貴裕氏のデザイン活動休止の報を聞きました。その文面の最後に、アレキサンダー・スーパートランプを名乗った彼は、映画『INTO THE WILD』の主人公のように、きっと放浪の旅に出るのでしょう……。
その旅が、アメリカ人にとってアラスカであるのなら、
日本人にとって、それは熊野であるように、わたしは思います。
ぜひ、宮下氏には熊野に行って欲しい。
日本人、そして自分の原点がわかる、そう思っています。
激動の世、でも変わらない、もの
熊野の旅は、わたしにとっては“原点帰り”の旅となりました。
だからこそ、この旅のあとに起こったイロイロな出来事は、すべて、これから先に起こるつながるなにか、を暗示させるもののように思えてなりません。ダライラマの言う、“無常”“無我”“縁起”、わたしに課せられた宿題、に思えて仕方ない。
今日、この文章を書いている3月14日の3日前、わたしは『エスクァイア日本版』のファッションディレクターに就任しました。3年半、悪戦苦闘するも楽しい思い出いっぱい? の『LEON』を離れ、再スタートを切ったわけですが、就任3週間前に“休刊”決定の報・・・。
『エスクァイア』は、わたしにとって、いまだ“良心の”雑誌であります。と同時に、「いつかは編集に参加したい」憧れの雑誌でありました。その雑誌のファッションディレクターとしての招聘、そして就任。春に胸おどらせる新社会人のような気分、そして長いあいだ、恋焦がれていた麗しの君に出会うような気分、であったワケです。
ゆえに、相当凹みました。
そんななか、多くのひとたちから暖かい言葉をいただきました。
いつもお世話になっているフライング・ボックスとNOWファッション社長の岩崎アキ子さんは「才能のあるひとは、くじけちゃ駄目よ」と激励の言葉をいただきました。DJの松浦俊夫クンからは「こういうときこそ、島田明の真価を発揮すべき」とハッパをかけられました。アーティストのJIMBOWクンには「島田さんは、いい友達がいっぱいいるから大丈夫ですよ」と周りを見渡すきっかけを与えてくれました。
周りが気をつかってくれるのが、痛いほどよく分かり、そして励ましの言葉が温かく、ひとの温かさ、古臭いかもしれないけど“人情”というものを、とても近くに感じました。でも、みんな最後に必ず言うんです「島田さんは絶対に大丈夫」なんて。そういわれると内心プレッシャーかかったり、しちゃうんですけど(笑)。
だからこそ、わたしは、愛すべきひとたちのためにも、頑張ろうと思っています。しっかりエスクァイア日本版の雑誌づくりに全力投球して、その歴史に自分の足跡を残したい。いまはそう思っています。
と同時に、わたしが、今度はみなに勇気を与えられる番かもしれない。
“無情”“無我”“縁起”。
この3つのキーワードをもとに、前に進んでいきたい、そう思う最近のわたしであります。