Life is Edit. #012 ~アートの”森”に囲まれて~
#012 アートの”森”に囲まれて
#027 相棒MAXが教えてくれたこと(1)
ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。
文と写真(一部)=島田 明
今回は、最近、1年にひとつのペースで手元にふえていくモダンアート、そこに描かれた”森”のおはなしを──。
気がついたら”森”に囲まれていた
「海と山、どっちが好き?」
そう質問されたら、わたしは即座に「山!」と答えることにしています。
実際、大学時代に、ちょこっとかじったサーフィンやヨットなどは寝食わすれてほどは熱中せず、
結局は中途半端な状態で終わるハメに(笑)。
で、自分はあまり海には縁がないのかな、というのが44年生きてきての途中感想。
一方、ライフワークとなったフライフィッシングなんかは、山に分け入ってのメイクドラマ。
いまではトータル15年くらいつづけていて、わたしの生活サイクルのしっかり一部となっています。
また、海のきれいなビーチサイドより、深い山中に流れる川にゴロゴロころがる石の上の方が、
断然ぐっすり?寝れるし、リラックスもできる、これも体験からくる実感。
それに何かの生物が浮上してくるかわからない、足がつかない海より、大地がしっかり感じとれる
川で泳いだ方が、断然上手に泳げたりもする(安心感があるから???)。
その感覚、その傾向は、意識せずに集めてきた写真やペインティングなどのモダンアートを家を
訪れる友人や身内が一様に発する言葉、「わぁ、森がいっぱいで気持ちいい!」が決定打に。
やっぱりわたしは”山”派である、と認識したワケです。
深く意識もせず、「あっ、いいな」と思って購入していたものが、じつは”森”や”木”に関するものばかり。
これも無意識のなかの意識、みたいなものなのでしょうか。
一枚の”森”の絵、ひとりのアーティストとの出会い
まず冒頭いちばん上にある、この絵から、わたしの”森”コレクションがスタートしました。
赤と黒の都会的コントラスト、そして見る者に、かつて自分も、この風景を見た記憶が、
とおぼろげながら思わせる既視感覚、デジャブな体験。モダンなのに、どこかノスタルジック。
その何ともいえない不思議な雰囲気が好きで5年前に購入したのがニューヨーク在住のアーティスト、
グラハム・パークスの作品『it's light that makes the intervals』です。
彼を知ったのは6年前。ニューヨークはソーホーにあるギャラリー『FEIGEN CONTEMPORARY』でした。
極寒、年の暮れのニューヨーク、夕暮れ迫るソーホーでギャラリーをめぐっていたわたしたちが、閉店ギリギリに入った際に出会った一枚の絵。それは、冷え切ったわれわれの体を温めるだけの不思議な何かをあたえ、同時にとてもクールな印象を抱かせました。この作品のことが知りたくて、ギャラリーのスタッフに声をかけると、
「ちょうどいま、本人がいるから、直接聞いてみれば?」
と言われ、いきなりのご対面。で、わたしはグラハム本人に
「この絵のモチーフとなった場所ってどこ?」
と閉店ということも考慮に入れて(笑)単刀直入に聞いてみると、彼は
「どこだと思う?」と。で、
「いやね、僕、この場所って昔、見たような記憶があるんだよね。それって東京の代々木公園という所だったりするんだけど」。
それを聞くと、グラハムは満面の笑みで
「そう思ってくれたら嬉しいよ。これは実際は、僕の故郷のワシントンのちょっとした森なんだけど、これを見た人が、それぞれの森を想像する。そして懐かしい気分になってくれる。それはそれは素晴らしいことだと思うんだ」。
そんな話をしながら、彼は地下にある作品がストックされた場所にわたしたちを案内してくれ、1枚1枚丁寧に説明してくれました。そして、この絵がどうやってつくられるのか、その創作工程までわたしたちに披露してくれたのです!
ふつうアーティストって自分の制作現場は秘密にするのが普通だし、ましてやはじめて会ったわたしたちに、そのネタをばらすなんて(笑)ありえない。
当時26歳だった、はかなげで、どこか気弱なグラハムの、その人柄にもすっかり魅了されたわたしは即座に「この絵が欲しい!」と強烈に思ってしまったのです。
しかし、旅の最終日にして手元に現金わずか、ギャラリーではカード利用不可。
で、「今回は欲しいけど買えないんだ」と伝えると、
「じゃあ、日本に僕のレップがあるから紹介するよ」
と日本のGALLERY MIN MINを教えてくれて。
その後、その時の絵とはちがいますが、おなじように森をイメージした、この作品を購入したのでした。
それ以来、メル友になり(笑)、GALLERY MIN MIN での来日レセプションなどで3回ほど会いました。
今月11日まで開催されていた新作展でも、いつ会っても仲むつましく寄り添うガールフレンドのエリカと
一緒に約3年ぶりの再会を。ほんと、「いい奴」って表現がピッタリな、超マイペースなグラハムなのです。
”森”はどこかで繋がっている
グラハム・パークスの作品購入後、かくいうわたしの”森”にまつわるアート蒐集が無意識のうちにスタートしました。
再度訪れたニューヨークのブルックリンで見つけた名もないギャラリー『The Future Perfect』
で5年前に購入したのがコレ。
写真のネガフィルムを台紙に挟み込み、フレームとの間にスペースをもうけ、外から光を受けることで、その下地に木の枝が影絵のように投影される作品『Shadows by Ofer Geva』です。
そのアイデアが、とても面白く、思わず膝を叩いて?購入にいたった次第(笑)。
また2年前、コレクションでミラノに滞在した際、ディエチ・コルソコモ内のギャラリー『カルラ・ソッツァーニ・ギャラリー』で出会ったDANIEL GUSTAV CRAMER、その作品展のタイトルはズバリ『WOODLAND』。
大きなフレームのものを買いたかったですが、住宅事情を考えて(笑)、あえなくスモールサイズのフォトグラフィを購入。
時間をみつけて3日くらい通い詰め、ギャラリースタッフとも軽く言葉を交わしました。
「こうやってトレンドの真っただ中にいながら、しばし、この森の写真の前に立つと懐しく、何か清々しい風が吹いてきて、子供に帰ったような気分になりますね。もう、トレンドなんかわすれちゃうくらい(笑)」
そうわたしが言うと、ベテランの女性スタッフは嬉しそうに
「きっとカルラもそれを聞いたら喜ぶわ。それがアートってものだから」。
モードの都ミラノで、そんな優しい時間を、この作品の前で過ごすことができました。
LEONでよくファッション撮影をお願いしているカメラマンの荻島 稔さんの作品は、ロンドンのハイドパークを移動中のクルマのなかから撮影したもの。
事務所に打ち合わせに行った際、壁にプリントしてあった、この写真にわたしが一目ぼれ。
お願いして、プリントしてもらい、フレームまでつけて、しかも頂いた!幸運な作品。
ファッションに納まらない、荻島さんの将来性と作家性を感じる一枚です。
そして、今月中に我が家の壁を飾るのが、先月東京国際フォーラムで開催されたアートフェアで発見した、『hiromiyohii Gallery』所属の新進アーティスト、大塚 聡 氏の作品『Puzzle #4』。
多くのギャラリーが参加した会期中、わたしが最も興味を抱き、そして購入までにいたらせた、この作品は、作家がリトアニアで旅した時に出会った1本の地平線につづく道、並行する木々、それに飛行機内から撮影した真っ赤な夕焼けを、いったん解体分断。そのバラバラになった写真をSTAEDTLERの定規に貼りつけ、そして、それをまた組みなおし編集した、いわばデビット・ホックニー的作品。
フェア当日は作家本人とも直接会うことができ、いろいろと話をすることもできたのも大きな購入のポイントに。
やはり、作家のアートに対する真摯な姿勢に好感を持ったわたしです。
”森”や“木”が癒してくれる
最近読んだ光野桃さんの本『スピリチュアル デトックス』(文芸春秋刊)のなかでこんなくだりがありました。
木があれば、そこに宿る命と共鳴して生きることができる。
木があれば、水も土も、葉と葉の間から降り注ぐ光も、分かち合うことができるのだ。
木は日本人の繊細な感性をはぐくみ、それと寄り添い、太古からの命の連なりを
見せてきたに違いない。
欲しいものが何でも揃い、スーパーコンビニエントで安全な国であるニッポンもクールだけど、
その豊かな自然のひとつひとつに神が宿る、ヤオヨロズの国、日本は本当に素晴らしいな、と思う。
そんな自然を享受できるわたしは幸せだなあ、と最近つくづくと感じます。
スピリチュアル デトックスするつもりはないけれど、
森に分け入り、川で釣り糸を垂れ、昼寝している自分。
花屋が好きで、たまに花を買ってかえったり、
ベランダの木々に水をあげる瞬間が案外好きな自分。
とくにテーマを掲げていたつもりはないけれど、
いつのまにか”森”や“木”を題材にしたアート作品を
手にいれ、部屋に飾っていた自分。
”森”が、そしてそこにある”木々”がわたしを癒してくれるのはまちがいありません。
そんなわたしが、会社に行く車中、道すがらボンヤリ眺める先に広がる広大な緑の山、
それが都会のパワースポット、皇居。
どうにもこうにも、この聖地な森に惹かれてならない今日この頃です。