Life is Edit. #008 ~ニューヨークで立ち止まり、ふと考えた~
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2015年4月28日

Life is Edit. #008 ~ニューヨークで立ち止まり、ふと考えた~

島田 明|Life is Edit.

#008 ニューヨークで立ち止まり、ふと考えた

ひとりのヒトとの出会いによって紡がれ、生まれるあたらしい“なにか”。
ひとつのモノによって惹きつけられ、生まれるあたらしい“なにか”。
編集者とは、まさにそんな“出会い”をつくるのが仕事。
そして人生とは、まさに編集そのもの。
──編集者、島田 明が、出会ったヒトやモノ、コトの感動を紹介します。

文=島田 明

今回は、昨年末ふたたび訪れた10度めのニューヨーク、そのプライベートな旅について。

物憂げなニューヨークが好き

私のなかでは年末の恒例行事ともなっているニューヨークへのアート巡礼。
その行脚も今年で7年め。東京同様、めまぐるしく変わる街を、東京ではあまりのらない? 地下鉄に乗り、そこにすむ地元の人々といっしょにゆられ街をくまなく横断してみるとふだん見えなかった景色やアイデアが突然うかんできたりします。

泊まったのは友人が経営するウエスト・ヴィレッジにあるB&B。
ちなみにとなりはヘルズエンジェルのニューヨーク支部。いかついヤツらが毎日ウロウロ。

しかし、あのモヤがかかったようなくら~く、どこかうらぶれた雰囲気をたたえたブルックリンも、肉のにおいが道路にしみついたミートパッキングエリアも、みんなもう遠い過去の話となってしまいました……。いまやどこもかしこもすっかりお洒落エリアに変貌をとげております。 あやうい、で、どこかキナ臭い、そして物憂げな雰囲気こそ私にとってはニューヨーク! であり、なにか突拍子のないモノが生まれてきそうな予感を私にいだかしてくれる、そんな場所が確実に失なわれているのを、行くたびに感じて、時にはメランコリックになったり……。

夕暮れどきのミートパッキングエリアは、昼の喧噪とちがい、どこか物憂げな雰囲気に一変。
風にたなびく星条旗も、どこかロバート・フランク的アートな感じ?

気がついてみたら、ハイスピードで変わりゆくニューヨークで、ふるきよきなごりを感じ、探しに行っているような、そんな私ではあります。とくに今回、私は、その変容ぶりに、正直ちょっとガッカリ……でした。

たしかにジャック・ピアソンの過去の作品をみつけた古本屋にも、50年代のヴィンテージ眼鏡フレームが膨大にねむる古着屋にも、20年前、ロンドンでみつけたクラシックなパッケージの歯磨き粉をあつかうなにげない薬局に出会ったときも、多少の小躍りは、しました。しかし、最大の目的であるアートに関して、飛ばされなかった、胸をうつものに出会えなかったは非常に残念だった。。

ソーホーにできた話題のNEW MUSEUM OF CONTEMPORARY ARTにも足をはこんだし、ダンボウのギャラリーにも、チェルシーエリアのギャラリー群にもでむきましたが、いまいちピン!とこずじまい……。

NEW MUSEUM OF CONTEMPORARY ARTの外観。
かなり期待してのぞんだものの…滞在時間約20分でOUT。

私の頭のなかには、ニューヨークを徘徊し様々なアート作品に対峙しながら昨年の暮にお会いしたアーティスト、杉本博司さんの言葉がグルグルと頭を巡っていました……。

「現代の観念美術は800年後も生きのこるであろうか?」と。

誤解をおそれずにいうなら(私見ですが)、今回観たアーティストの作品じたいには、最初からお金のにおいが強烈にした、そして、そこをとりまく人々に、ある種の違和感を感じたのです。

いまや日本も世界も、美術館やギャラリーの建設ラッシュ=箱の供給過剰状態。その巨大な箱をうめるべきアート作品が圧倒的にたりないのは火をみるよりあきらか。そして、そのスペースをうめるべくアーティストは、熟考する余地もなく、作品づくりにおわれ、多作な作家になり、短期間で作品をつくりだしお金を手にする。そんな悪循環を、現代美術の本場ニューヨークで、強烈に感じたのです。
それってアートだけじゃないんですけど、ね。

しかしながら、ギャラリーや美術館にはなくても、街には(わずかながらも)私をひきつけるモノに出会うことができ、ちょっと救われましたが。

変わるもの、変わらないもの

メタルと木でできたスツールに、自転車のフレームと思しき、このオブジェ。
私の記憶がさだかであれば、6年前から、ずっとチェルシーの道ぞいにチェーンでくくりつけられていた(はず)。そして、以前は車輪が上についていた(はず)。そう、あのマルセル・デュシャンを彷彿させる、ストリートのアート作品に見えませんか? 車輪がなくなっても風化しても、見る者をクスッとわらわせる作者のゲリラ的遊び心が感じられ、いまなおその場にたたずみつづける、その愛らしさおもわずパチリ。

ずいぶんくちてきていますが、逆に味がでてきた感じ。
来年もあるかなあ、と感慨にふけったりして。チェルシーのコムデギャルソンのショップちかくにて。

もうひとつが、タイヤやハンドルを無残にもぎとられ、鎖につながれ放置された自転車フレーム、その残骸の山。ピストバイクの本場であるニユーヨーク、そして私自身もピストバイク乗り(といっても自宅から半径3キロ圏内?)なのでこの哀愁あふれる恐竜の骨? 的残骸の山になぜか心ひかれて、ここでもパチリ。

なんかもの物憂げなんだよなあ、哀愁感じるんだよなあ、こういうオブジェっぽい感じが。
偶然が生んだ産物にしては、じつにアートであります(私にとって)。

オープナーズ用に、といつもはもちあるかないデジカメを毎日携帯していた私ですが、けっきょく、写真におさめたのはわずか10枚ほど……トホホな結末のニューヨークでした。

そんな貴重なショットから、さいごに一枚。今年からニューヨークで新生活をスタートした平井夫妻を地下鉄でパチリ。一所懸命ガイドブックに見いる平井クンと、そのとなりで安心しきってアクビをかます新妻けいクン。どこに行っても、どんな状況でも、ユルイ空気をつくり出すことのできる大物? ふたりを見ていて私もホッとあたたかい気持ちになりました。がんばってニューヨークで"なにか"をつかんできてくださいね。

平井クンはカメラマンとして、けいクンはレオン編集部の元部下としていっしょに仕事をした仲間。
一日じゅうニューヨークを私がつれまわし、若干おつかれなご様子。

このサイトの主宰者であり、90年からニューヨークに、その創造の拠点をかまえる坂本龍一さんが「いまのニューヨークはおカネにおどらされすぎている。いまベルリンに新たなアパートメントをかり、創作の場をうつそうと思っている」。そんなインタビュー記事を新聞上で目にしました。

わたしのとっては、どこに行ったかより、そこでなにを”感じるか”が大事。今回は不作だったけど、イロイロと考えさせられ、なにかを"感じる"機会があっただけまだまだニューヨークは、わたしにとっては再訪すべき地なのかもしれません。

           
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