イラストレーターとパリの五月 番外編「新しいことはいいこと、なのか。」(2)
イラストレーターとパリの五月(番外編)
新しいことはいいこと、なのか。(2)
interview&text by SUZUKI Fumihiko
イラストレーターとパリの五月 番外編「新しいことはいいこと、なのか。」(1)
コスモポリタンなコンスタンタン・ギース
ボードレールは芸術家についてこんなことを言っています。
「芸術家というのはつまり、専門家だ。農奴が耕地に縛りつけられているなら、芸術家は自分のパレットに縛りつけられている」
「ブレダ界隈に住んでいながら、川向こうのフォーブール・サン=ジェルマンで起きていることを知らないのだ。名前を挙げるまでもない2、3人を除けば、いまやもう、芸術家というのは手先が器用なろくでなし、日雇い労働者、村の知恵者、集落の頭脳といったところで、そんなのだから話題も限られて当然……」
とまあ、えらいいいようです。
それと比較して、旅行家で、コスモポリタンなコンスタンタン・ギースはというと、見聞が広く、話題も豊富で、世界のどこにいっても、自分たちヨーロッパ人こそが、最も進んでいて、最もえらいのだ、などと決めてかかったりはせず、最初はそれはびっくりしても、ちゃんとその土地、その土地の、ありようを見抜いて、世界のどこに行っても恥ずかしくない振る舞いをすると続くわけです。
すっかりぼろくそに言われてしまった芸術家たちが描く絵が、ボードレールにとってどんなものだったかは、以下の文章からも大体想像がつきます。
「どうやって絵を描くのか、それを学び取るために昔の巨匠たちを研究するのは大変結構なことだ。しかし、もし、あなたの狙いが、現在の美の性質を把握することにあるのだとしたら、そういう勉強は余計というほかないだろう。今日の工場では「アンティーク風モアレ」だとか「女王様風サテン」だとか、そういった布が生産されていて、骨や糊付けされたモスリンの上をそういう布が覆って、ペチコートが作られ、街を闊歩しているのだ。ルーベンスやベロネーゼを勉強して、彼らの衣服のヒダの描き方を学んだとしても、今いったようなペチコートの描き方は学べまい。服の織り目や肌理も、昔のベネチアで、あるいはカトリーヌ・ド・メディシスの宮廷で、着られていた服のそれとは、違うのだ」
つまり、ボードレールが軽蔑しているところの同時代の芸術家は、昔の巨匠のことばかり気にしていて、全然自分たちの時代に対応したものが作れていなかったのでしょう。時代どころかセーヌ川の向こうにすら、さして興味がなかったのですから。
ボードレールやユゴーの発言
さらにダメ押し、というよりも、ボードレールよりも先に、ヴィクトル・ユゴーも、様々なルールでがんじがらめの同時代の古典主義演劇のことを語りながら、こんなことを言っています。演劇において場面は一場面に限定すべしと、古典主義演劇のルールにはあるのですが、古典主義が古典としてあがめ、模倣しているのは当然ギリシアの演劇であるはずで、ではそのギリシアの演劇はというと……。
「そもそも、今見たような、必要性を感じないルールにギリシアの劇は本当に縛られていたのでしょうか。ギリシアの劇と今日私たちが見せられている古典主義演劇との間には、何か似たところがあるのでしょうか。なにせ、上で述べたように、古代の演劇では、場面の限定なんていうルールはなかったのです。書割の背景が変わる、といった感じで表現されていたかもしれませんが、とにかく、作家は、筋書きの都合如何で、場面を好きなように、あっちへこっちへと、変化させられたのです。おかしな矛盾ではありませんか。ギリシアの演劇は、確かにギリシア人の国民性、宗教性には束縛されていたかもしれませんが、とにもかくにももっと自由だったのです。彼らの演劇の目的は、なによりも楽しさであって、ほかに目的があるとすれば、せいぜいもって観客の啓蒙といった程度のところでしょう。ギリシア人はギリシア人ならではのルールにしか従わなかったのです。ところが我々ときたら、全然、我々には本質的でもない、無関係な条件で自らを縛っているのです。いうなれば、前者は芸術、後者は模造品です」
なるほど、力強いお言葉。当時、芸術は色々と自由ではなかったようです。昔のものをありがたがってばかりいて、これをしたらダメ、あれをしたら変と、いちいち制約があったのでしょう。そういう制約に従わないと、芸術とは認められなかったのかもしれません。
ところで、ここで本題に戻って、「では、新しいものの方がいいのか。それともコンサバな方がいいのか」を考えてみると、ボードレールやユゴーの発言に、もうひとつ別な側面が見えてきます。
彼らは、現状を憂い、熱っぽく色々と語ってはいるものの、しかし、新しいほうがいいとか、古いものがいけないとか、逆に古いものの方がいいとか、そういうことは別に言ってはいないのです。
もっとも大事な主張
昔のベネチアの画家は昔のベネチアの服の織り目や肌理を描こうと頑張った。ギリシア人は楽しい演劇を上演しようとした。そういっているだけで、古いものを批判してはいません。
それどころか、むしろ、高く評価している、とすら言えるでしょう。彼らは、単に、我々についてもギリシア人などと同じことで、我々は我々の時代の服の織り目なり肌理なりを研究して、我々なりにそれを絵に描こう、我々が見て楽しい演劇を我々なりにやろう、といっているのです。
さて、長くなりましたが、わりと当たり前の結論をひとまずみたところで、これ以上深入りはせずに昔の人の言っていることを紹介するのは、おしまいにしようと思います。
確かに、5年前のパソコンと今のパソコンを比べれば、今のパソコンの方が高性能でしょうが、物事はすべてパソコンの性能のように語れるものではありません。我々は本質を問うべきであって、努力もしないで昔の人が作ったすばらしいものに、すがりついているばかりでは、見苦しいことになってしまうのではないでしょうか。などといえばなにかカッコいいことを言ったような気分にもなります。
ところで、ボードレールは18世紀末から19世紀初頭までのモードを集めた版画集を見ながら、こんなことも言っています。
「もしかしたら、遠からぬうちに、どこかの劇場で、こういう衣装が復活するのを見る日が来るかもしれない。こういう衣装を着た、私たちの父親たちは、当代のあわれな服を着た我々と同じくらいに魅力的だったのだ(いや、それは確かに我々の服にだって優雅なところはある。それは確かだ。だけれどその優雅さは、むしろ精神的な次元の優雅さである)。もしも頭のいい男優や女優が、こういう衣装を着て、そこに生命を吹き込んでくれたら、我々は、なんでああも軽率に、これらの衣装を笑ってしまえたのだろうと、驚くことになるだろう」
どうにも歯切れが悪い感じがします。カッコの中の苦しげな言葉や、「あわれな服」は余計なんじゃないでしょうか。
確かに、ボードレールの言うことも無理もないことなのかもしれません。18世紀末から19世紀初頭といえば、フランス革命やら王政復古やらで、服装も華やかな時代。ところがボードレールがこれを発表した1860年代はといえば、黒い燕尾服やフロックコートの全盛期。確かに、前者は見ようによってはケバケバしくて滑稽にも見えるかもしれませんが、後者は色合いが暗いばっかりで映像的にはいささか分が悪いでしょう。ただ、彼も主張を押し通すには、ここであんまり引き下がってしまってはいけない。今の僕たちの生活だって、昔と同じくらいいいものなんだと真面目な顔でいえるようになるのには、昔から色々と難題が多いようです。
それにしてもやっぱり少々不思議です。何せこれを書いたのはフランス詩人の白眉たるボードレール。わざわざ自分の主張に不利になるような一言を、こんな風に収まりのわるい格好で文章にさしはさんでくるなんて、ちょっとおかしな感じがしませんか。大事な主張は、昔の人たちと今の人たち、どちらも魅力的だという一文のはずです。でもそれもこんな風に書かれては、なんだかこの文章、全然別の意味にもとれそうです……。