イラストレーターとパリの五月(8・最終回)=作品を見る
「イラストレーターとパリの五月」(8)
九重加奈子さんと作品を見る
さて、ここで話を一段落させて、加奈子さんの作品を見せていただいた。重厚な黒の革の表紙をもったフォルダに可愛らしいイラストが収まっている。かっこいいフォルダだと思って、聞いてみたら、本人は「これ重くて不便なんですよね。」とのこと。
interview&text by SUZUKI Fumihiko
まっすぐなものを描くのが苦手なんです
「これはハワイから帰ってから日本で描いたんですけれど、ハワイ後ですね。これはフィンランド。これはパリですね。」
― これはサーカスを見て描いたんですか。
「この近所に、シルク・ディヴェールっていうサーカスがあって、それを見に行ったあとに描いたんです。すごいいいですよ、クラシックで。いかにもサーカスらしい。丸い赤い舞台で。」
― 本当にこういう舞台なんですね。動物もこういうのがいるんですか。
「いました。ほかにも虎とか熊もいたかな。」
― この客席のあたりにいる黒服の女性は?
「これはそういうお姉さんがいるんです。まだ20代だと思うんですけれど、サーカス場にいる老婆の役で、その人がすごい魅力的だったんです。色々うろうろしていて、あっちから出てきたり、こっちから出てきたり、客席のそばにのっかっちゃったり。時々司会をしたり、おばあさんの設定なのに空中ブランコをしたり。」
― へぇ。僕もパリにいる間にいってみよう。こっちの絵はモデルがいるんですか。
「これは日本ですね。特にないです。落書きみたいに描き始めて。」
― さっきのサーカスみたいな絵はその場で何かメモをしたりするんですか。
「場合によるんですけれど、ちらっと見た光景は後で思い出しているだけだったり、サーカスはちょっと写真をとったりして、建物の感じなんかは記憶だけだとしんどいので。そういうところは写真を元にしたりしています。」
「これはフィンランドのカフェでおじさんがピアノを弾いていたんですけれど。」
― これはサンタさんですね。
「これは日本で毎年、美容院のDMをつくっているんですけれど。だから髪の毛を切っているんです。これはフィンランド後。フリーペーパーの表紙になったんです。これは教材の挿絵ですね。なんとなくフィンランドを思い出して描いたんです。」
「これも美容院のDMですね。」
― これはジュースの宣伝かなにかですか?
「フィンランドで、ぐるぐるまわる広告塔があって、そのまわりにプラスチックのジュースのボトル型のものをかぶせて、ジュースの宣伝をしていたんですけれど、これはそれをそのまま描いたんです。なにかのためではなくて。この杭がささっている場所は凍ってる海です。こっちもフィンランドです。」
― これはパリですね。
「インターネットショップで今度イラスト入りのバッグを作って売ることになって、それのために。これは多分ボツになるんだと思うんですけれど。」
― トートバッグみたいなものですか?
「最近日本のスーパーで、レジ袋を有料化する動きがあって、簡単な買い物バッグがはやりだしているらしいです。そういうバッグ用です。」
― これいいですね。これはどこかなんですか。
「いえ、これは毎年恵比寿で、100人くらいのイラストレーターが集まってハガキサイズの絵を展示して、売上金は寄付するっていうイベントがあって、それ用に。」
― ああ、どうとくの教科書。こういうの、ありましたねえ。
「あはは。こういうのを描いている人がいるんですよ。でも日本はイラストの需要が多くていいですよ。フランスは本当に少ないなと思うんです。広告を見ても、本を見てもイラストの使われている分量が本当に少ない。写真が多いですね。」
次にはNHKのスペイン語会話の表紙が出てきた。加奈子さんは2006年分の表紙絵担当なのだ。ちなみに今年、NHKは語学番組用教科書の表紙にイラストを使うのをやめてしまった。
― こういうのは色々、もとになる資料があるんですか。
「例えばこれだと(わかって楽しいドイツ語)まったく注文が来ないんです。なにかドイツっぽいもの描いてって言われて。それでガイドブックなんかを見て、ドイツっぽい感じないかなぁって。これだと駅の風景だけ写真を借りて、あと人物は自分で。ほかには子供がたくさんいて学習っぽいことをしているような絵にしてくださいとか。」
― スペイン語講座の絵を描くにあたってスペインに行ったりはするんですか。
「5月号を描いている時点で行ったんです。でもスワヒリ語の教科書とかそういう仕事もあるので、どうにもならないんです。いちいち全て行ってみることもできないですし。これはイタリア語の教科書のために描いたんです。鼻とか手とかそういう説明がこれに入るんです。食べ物のページ、職業のページ……細部はあんまり信用しないでください。まっすぐなものを描くのが苦手なんですよ。人物を描くのが好きで。」
― これいいですね。
「ありがとうございます。でもこれ、家よりカサの方が大きいのはどうなんだろう……」
― いやいや、クールベだって牛より犬の方が大きい絵とかありますよ。
「そうなんですか。知らなかった。私は色を使うのがあんまり得意ではなくて、白黒のほうが楽しく描けるんですけれど。」
― でもカラーもいいと思いました。
「相手が何にも言わないで、出来上がったものを送ってくれたらいいからって言われたこともあって、一度下書きをして、相手にみせて、OKを貰ってから本番を描くと硬くなっちゃうんです。一気に描けたほうが楽しいし、出来もいいとおもうんです。」
― こういう線がはっきりしていないのも、いいですね。
「きちきち細かく描きすぎるところがあって、それがよくないかなとおもって。あんまり最初から決めないで描くように、最近は仕事ではないときはそうしています。サーカスの絵も、あんまり下書きしないで、空中ブランコの女の子のあたりから描き始めちゃって。」
― なるほど。ありがとうございます。なんだか見ていたら、イラストが欲しくなりました。
「あ、うれしい。是非かってください。そうだ、お土産にハガキをどうぞ。」
というわけで僕は加奈子さんの絵葉書を頂き、カフェを後にした。カウンターでは相変わらずおじさんたちが集会をやっている。このカフェから歩いて少しのところに、加奈子さんのお部屋兼仕事場はある。少しお邪魔させてもらったのだが、ベランダつきのフランスらしい古い建物で、顔を出すとサクレクール寺院が望める。確かにあえてここを引き払って引っ越すのは勿体なさそうだ。
加奈子さんはこれからも、もちろんイラストレーターとしての仕事を続けていくつもりだと言う。その力強い言葉を聞いて、僕は帰り道に自分の本業、学生業のことを思い出していた。そういえば、19世紀フランスの詩人、ボードレールは、晩年、とあるイラストレーターに随分と熱の篭った文章を送った……
九重加奈子さんのホームページ
http://www.geocities.com/kanakoinhawaii/