第10回 「食」にまつわる話 タンブラー編
Lounge
2015年5月11日

第10回 「食」にまつわる話 タンブラー編

第10回 「食」にまつわる話 タンブラー編

photo by Yuichi Sugita (BIGHE)

変える必要がないからデザインも変わらない

「とりあえずビール!」と飲み屋で注文する声も、なんだか景気良くなってくるこの時期。同じビールのおいしい季節でも、夏場は何か耐えざる力に煽られて一気に飲み干すような感じがありますが、これが春先だとグラスに継いでしみじみ飲みたくなるような妙な気配の差がありますよね。すると生ビールをジョッキで飲むよりも、瓶ビールをちびちび継ぎながら飲む方が、春らしいし趣深い。そこでちびちびやっている時に、ふと今回のテーマが思い浮かんだのです。

全国どの居酒屋、定食屋へ行ってもビールを頼めば出てくるこのタンブラー、一体いつから同じデザインなのでしょうか!? そういえばコイツの存在を気にしたこともなければ、ましてやデザインどうこうについて考えたこともありませんでした。でも、たしかに子供の頃から、大人の宴席には常にコイツがあった。

もし誰もがそのプロダクトを必要とし、しかしデザインについては「そういうものだ」と気にもかけず、改善を望むこともなかったら? そのプロダクトデザインは当然、変わることなく受け継がれていくでしょう。いわば「究極のスタンダード」がここにある。ビール飲みながらおいそれと「究極」に辿り着いていいものやら分かりませんが、このタンブラーが見かけよりもエラいヤツだというのは間違いなさそうです。

当たり前をそのままカタチにする「潔さ」

連載第二回でも触れましたが、デザインとは制約から生まれるカタチです。それをこのタンブラーに当てはめると、「少々のことでは壊れないように」「ビールを注ぐのにちょうどいいサイズ」「そして安価に」といった制約のもとに生まれた最適なカタチということになる。具体的には、飲み口に当たる部分が強度を増すためにわずかに膨らんでいたり、素材には(透明度があまりよくない)とにかく厚めの強化ガラスを用いていたり、重ねられるよう無駄な曲面を省いていたり……。

まあ突きつめれば当たり前の結果に過ぎないのですが、僕はこの「潔さ」というのがプロダクトデザインにおいてとても重要だと思っています。もしここにデザイナーの「何か痕跡残してやろう」というエゴが入っていたなら、当のタンブラーもここまで長続きすることはまずなかったでしょう。

ちなみにタンブラーの容量はすりきれ170mlほどでした。これがビールを飲むのに最適な容量だからそうなのか、正一合(180ml)と見せかけて実はちょっと少ないゾ、という飲み屋業界の陰謀なのか。楽しそうなのでもうちょっと探りを入れてみようかな、と思っています。

           
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