三原康裕|第2回 映画監督 鎌仲ひとみさん×ミハラヤスヒロ(1)対談
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2015年5月1日

三原康裕|第2回 映画監督 鎌仲ひとみさん×ミハラヤスヒロ(1)対談

第2回 映画監督 鎌仲ひとみさん×ミハラヤスヒロ(1)

ファッションデザイナーの三原康裕さんが、社会的な活動によって世論を動かしている人びととの対談を通し、いま世界をより良い方向へ変えるためには具体的になにをすべきか、そして未来の“クリテリオン=基準”とはなにかを探る新連載「Criterion MIHARAYASUHIRO」。
第二回目は『HIBAKUSHA 世界の終わりに』や『六ヶ所村ラプソディー』など、社会問題に焦点を当てたドキュメンタリーを撮りつづける映画監督、鎌仲ひとみさんにご登場いただいた。

写真=北原 薫まとめ=竹石安宏(シティライツ)

旅するカメラ=ドキュメンタリー

三原 それではよろしくお願いいたします。
鎌仲さんの作品は観させていただいていますが、ドキュメンタリーが中心ですよね。

鎌仲 私の映画は“旅する映画”なんですよ。カメラが旅をしていくという。映画といってもドキュメンタリーですから、シナリオがあるわけでもないので、カメラが旅先で被写体を探していく感覚ですね。

三原 映画監督になられる前から、ドキュメンタリーを撮影したいと思われていたのですか?

鎌仲 私は大学時代、探検部で川下りなどをしていたのですが、まったく知らない土地へ行ってまったく知らないひとに出会うのが好きだったんですね。映画部でもなんでもなかったんですが、卒業前の最後の探検として、バイクに乗ってインドネシア諸島を縦走しようと思っていたんです。風に吹かれながら南の島を走り、色んな人びとや出来事に出会う。その経験を本にしたかったんですよ。
カワサキがモトクロッサーを提供してくれることにもなっていたんですが、色々あって行けなくなってしまったんです。そうしたら映画サークルで映画をつくっていたボーイフレンドに、「おまえ、ヒマになったんだから手伝えよ」といわれ手伝ったんですが、彼はすっごくつまらない恋愛ドラマを撮っていたんです(笑)。
これなら、私の探検を映画にしたほうが面白いと思ったんですよ。カメラを持って私が動けば、目の前で色んなことが起こるし、それをおさめれば面白いはずだと。

三原 そうだったんですね。最初から社会問題を取り上げたいというわけでもなかったんですか?

鎌仲 それはまったくなかったですね。
最初の作品なんて、踊りをしているバリ島のオジさんを追っかけただけですから(笑)。
それまで映画を観るのは好きだったんですが、つくる発想はなかったんです。それがボーイフレンドの手伝いでどうつくるかがわかったので、だったらインドネシアのバイク旅行の代わりにカメラを担いでバリへ行こうと。
それも知らないひとに出会い、彼らがどのように生きているのか知りたいという思いだけでした。

三原 それはとても意外ですね。ジャーナリスティックな思いがあったのだろうと思っていました。

鎌仲 そもそも、私はドキュメンタリーだから社会問題を扱わなければいけないとは思っていなかったんですね。それにテレビ番組やビデオ作品でもなく、ドキュメンタリー映画をつくりたいと思っていました。私の師匠は「映画というのは自分の感性を好きに出し、好きなようにつくれば映画になるんだ」といっていたんですが(笑)。
師匠は編集の天才といわれている方なんですが、肝心な編集の技術ではなく“好きにつくる”ということだけ学んだわけですね。つまりドキュメンタリーはシナリオのない映画であり、なにを撮ってもいいと思っています。

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三原 なるほど。そういった考えでドキュメンタリーを撮りつづけるなかで、被ばく者の方々に出会われたんですか?

鎌仲 そうですね。最初のころはジャンルさえ分からない映画を撮っていましたが、テレビ番組をつくりはじめたときに日本で出会った人がいたんです。
イラクに薬を運んでいる女性の方だったんですが、「なんで?」と訊いたら「イラクの子どもたちがいま大変なのよ」と。彼女がイラクに運んでいたのは抗ガン剤だったのですが、イラクで白血病が増えており、子どもたちが苦しんでいるということだった。

そして湾岸戦争で多国籍軍が使った兵器のなかに、放射性物質がふくまれていたと教えられたんです。
そこでNHKへ番組にしましょうと提案したら、じゃあ行ってこいということになったんですね。そんな話は聞いたことがなかったので、自分で確かめなければと思いました。テレビ番組なのできちんと実証しなくてはならないし、実際にイラクへ撮りに行ったわけです。
でも、そのときは被ばくや放射能、戦争のことはまだよく分かりませんでした。もともとそういったことには興味がなかったので、単純にいまイラクの人びとがどんな暮らしをしているかを知りたかったんです。

そんな気持ちで現地へ行ったら、目の前で子どもたちにバタバタと死なれ、やはり衝撃を受けましたね。薬がまったくないので医者も手をこまねいているだけであり、かわいい子どもたちがつぎつぎと死んでいくわけです。そしてなぜ薬がないのかといえば、国連が薬の供給を止めているということでした。

湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾による放射能にさらされながら、サッカーに興じるイラクの子どもたち。
白血病で落命する子は後を絶たない。『HIBAKUSHA 世界の終わりに』より。

三原 なぜ国連が薬を止めていたんですか?

鎌仲 そう思いますよね。それで訊いたら、「サダム・フセインが薬を使って大量破壊兵器をつくるかもしれないから」ということだったんです。どうやって薬で兵器をつくるんですかと訊いても「分からない」という。そんなばかばかしい理由で、子どもたちは死ななければならなかったんですよ。

三原 それはひどい理由ですね。子どもたちの白血病は、やはり劣化ウラン弾の影響だったんですか?

鎌仲 そのときはまだ分からなかったのです。イラクはとても大きな国であり、白血病やガンが多発した村から劣化ウラン弾が使用された場所は、何百キロも離れているということでしたからね。しかも何年も前に使われたものの影響で、なぜガンになるのかが当時は分からなかった。それでかつての戦場に行ったんですが、多くの不発弾が落ちていたり、戦車がたくさん破壊されていました。そこで放射線を計ってみると、かなり高い数値が検出されたんですね。
そのシーンは『HIBAKUSHA 世界の終わりに』でも使われていますが、それでも距離が離れているということは事実でした。

三原 僕も映画で拝見しました。残骸からは高い数値が検出されていましたが、広いエリア一帯から放射能が検出されているわけではなかったようでしたね。その後に映画ではアメリカのハンフォード核施設のケースを追っています。放射性物質が風に乗り、遠くの人びとを被爆させるという事例でしたね。

鎌仲 そうですね。ハンフォードでは“死の1マイル”といわれるエリアがあり、そこに住んでいた男性が身のまわりでおかしなことが起こっていることに気付くんです。飼っている牛の赤ちゃんが奇形だったり、周囲でガンになる人が多かったりしたんですね。なにが原因だったかというと、そこの風上には核関連施設があり、彼らが住んでいたエリアに放射性物質が風に乗って流れてきていたんです。それは六ヶ所村とおなじ、核燃料の再処理施設なんですけどね。でも、そんなことは彼らも知らなかったわけですが、ある日施設側から「じつはバラまいて実験してたんだよ」と知らされるんです。

三原 文章が公表されたんですよね。でも、そういった事実を知らされても、怒って反対する人と、気にしないで生きていこうとする人がいたことには驚きました。

鎌仲 病気になっている人たちにしたら、自分のわけの分からない苦しみはこのせいだったと思っていますよ。でも、国はバラまいたことは認めていますが、「君たちの病気とはきっと関係ないんじゃないかな」という論調ですからね。

私たちの知らない放射能の影響

三原 ガンになったり、遺伝子が傷つけられたり、子どもの世代に影響が出るといわれますが、放射能の危険性とは実際どのようなものなのでしょうか? よく放射能は濃度によって影響が変わるともいわれますが。

鎌仲 放射能による被ばくは大きく分けてふたつに別れるんですが、たとえば目の前に放射性物質があり、そこからどれだけ離れれば影響がないかという安全値はあります。しかし、その放射性物質が爆発し、粉塵になったものを吸い込んで身体に入ると、とても危険です。放射性物質の特性として、離れれば離れるほど危険性も低くなります。距離によって影響が反比例していくんです。でも吸い込んでしまったら、どんなに小さな粒でも細胞のすぐそばで放射能を放出することになる。その影響は体外に比べ、約1万倍ともいわれています。それらを身体の外から放射能を浴びる「外部被ばく」と、身体の中から浴びる「内部被ばく」というように分けられていますが、アメリカは内部被ばくの危険性を日本に原爆を落として以来、ずっと隠してきたんです。

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広島で軍医として働いていたときに原子爆弾によって被ばくした肥田医師(左)。その実体験に基づき、核兵器や内部被ばくの恐ろしさを92歳となった現在も各地で訴えつづけている。アメリカのハンフォード核施設近隣の住民も訪れた。
『HIBAKUSHA 世界の終わりに』より。

三原 広島や長崎でも、爆心地から離れていた人のなかには内部被ばくした人もいたわけですね。

鎌仲 当時はさまざまなレベルで被ばくした人たちがいましたが、いまの科学技術をもってしても、その人がどれだけの放射能を浴びたかは計測することができないんです。さらに放射能でやっかいなところは、人間の免疫力を低下させ、その人が本来もっていた弱点から病を発症させることです。しかもガンや白血病、貧血など、それらは誰にでも起こりうる病気なんですよ。

三原 なるほど。放射能の影響は医学では立証しにくいということですね。その病気が放射能のせいなのか、本人がもっていた素因からなのかは分からない。

鎌仲 それは相まっているんです。本来なら眠っていた病気が、放射能によって起こされるということですね。でも、それらを一人ひとり調べ、実証していくことは最先端の科学や医学でもできない。これはある意味“完全犯罪”ともいえます。立証できないのですから、逃げ切られてしまうんです。

三原 鎌仲さんは映画のなかでそうした被ばく者の方々と数多く出会われてきたと思いますが、私たちの実生活のなかでも被ばくしてしまうことはあるのでしょうか?

鎌仲 そうですね。たとえば、日本では現在とても女性の乳ガンが多く、ここ10年で世界の平均は約6倍にもなっています。アメリカでも急激に増えていますが、その原因は食習慣の変化など色々な説が検証されているんです。
そのため、アメリカでは油分を採らない食習慣が奨励されましたが、これはおかしいと感じた人たちが調べたんですね。すると乳ガンが増えている地域とそうでない地域があることが分かった。その地域の差はなにかというと、原子力発電所の近くで増えていたんです。原発から160キロ圏内では、だいたい3〜4倍もの増加率でした。日本には原発が現在55基あるので、その計算では列島全体をカバーしてしまいます。しかも六ヶ所村の核燃料再処理施設が本格稼働しはじめると、原発の約360倍もの放射能が放出されることになるんです。

Profile
鎌仲ひとみ

1958年富山県氷見市生まれ。早稲田大学卒業後、1984年にドキュメンタリー作品を中心に手がける映像制作会社のグループ現代と助監督契約。1987年には岩波映画製作所と助監督契約を結び、1990年から文化庁芸術家海外派遣助成金を受け、カナダ国立映画製作所で3年間研修。その後ニューヨークへ渡り、メディアアクティビストとして活動する。1995年に帰国してフリーの映像作家となり、テレビ番組やビデオ作品、映画など数々の作品を製作。代表作は『HIBAKUSHA 世界の終わりに』(2003年)、『六ヶ所村ラプソディー』(2006年)。新作の長編ドキュメンタリー映画『ミツバチの羽音と地球の回転』(仮題)は2009年秋に完成予定。

『ミツバチの羽音と地球の回転』
http://888earth.net/

           
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