伊藤嶺花|いとうれいか|青木カレン|スピリチュアル対談(前編)
Lounge
2015年3月4日

伊藤嶺花|いとうれいか|青木カレン|スピリチュアル対談(前編)

スピリチュアル対談 vol.13|ミュージシャン 青木カレン

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「巫女として、王妃として、
シンガーとして、人びとに“愛”を語りつづける女神」(前編1)

さまざまなステージで活躍するクリエイターをゲストに迎え、スピリチュアル ヒーラーの伊藤嶺花さんが、ひとが発するエネルギーを読み解くリーディングと複数の占星術を組み合わせ、クリエイターの創造力の源を鑑定。現世に直結する過去世や、秘められた可能性を解き明かし、普段は作品の陰に隠れがちでなかなか表に出ることのない、クリエイター“自身”の魅力に迫ります。

Photo by KADOI TomoText by OPENERS

“現代女性の先導となり、心の癒しとなるメッセージを歌にのせて届けつづけるディーヴァ”──第13回目のゲストは、ジャズシンガーの青木カレンさん。今年4月には通算6枚目になるアルバム『voyage』を発売し、アーティストとしての活動の幅も広げている。そんな青木さんのスピリチュアルな部分に触れる、特別な対談をここで披露。

「バンド活動しながらカメラマンアシスタントのバイトをした時期も」

伊藤 青木さんって、本当に女神のような、妖精のような方ですね・・・!

青木 ええー、そうですか? いやいやいや……。

伊藤 まるで絵画から出てきたみたいで、目が吸い付けられちゃう。青木さんは生まれが海外なんですか?

伊藤嶺花|青木カレン|スピリチュアル対談(前編)02

ミュージシャンの青木カレンさん

青木 いえ、生まれは埼玉なんです。でもそこからすぐに香港に行って、日本にもどって、アメリカに行って、また日本にもどってきて・・・両親だけ海外に行って、私が日本で一人暮らしをはじめたのが高校1年生のころ。

伊藤 えー、早いですね!

青木 それからは休みになると、そのときどきで両親がいるイギリスだったりタイだったりに遊びに行って。

伊藤 そうなんですね。歌はずっとやってらっしゃったんですか?

青木 じつは歌はそんなに小さいころからはやってなかったんですよね。大学生のころです。はじめたのは。

伊藤 意外! ちっちゃいころにはじめてらっしゃったのかと思ってました。

青木 音楽は好きで、バイオリンをやっていたりはしたんですけど。大学生のころにバンドをはじめたのがきっかけですね。バンド活動で歌を歌いながら、そのころは同時にカメラマンアシスタントのバイトもしていましたね。しかも意外に3、4年つづいて……(笑)。

伊藤 それも意外! カメラマンアシスタントって、肉体労働じゃないですか! しかもつづけた期間が長い(笑)。

青木 マガジンハウスの社カメさんのデスクでバイトをしたり、フリーカメラマンさんのアシスタントをやっていたんです。そのころは、よく遊んでいた仲間に日本大学芸術学部のひとたちが多くて、彼らの卒業制作などを手伝ったりするうちに、自主制作で8ミリビデオで映像を作りはじめて、そのBGMには自分で作った音楽を付けたりしていて。

伊藤 おもしろいですね。

スピリチュアル対談 vol.13|ミュージシャン 青木カレン

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「巫女として、王妃として、
シンガーとして、人びとに“愛”を語りつづける女神」(前編2)

「たまたまカフェで聴いたジャズの有線がきっかけに」

青木 マガジンハウスのアシスタントのお仕事で葉加瀬太郎さんとご一緒する機会があったんですけど、その後偶然再会したときに「私、映像の音楽やってるんですよ」なんてことを話して、しかもちょうどテープをもっていたから渡して。そこから「音楽を一緒にやろう」と声をかけていただいたんです。

伊藤 えーー!

青木 そんなきっかけもあってソロでデビューさせていただいたんですけど、でもあまり自分のやりたいかたちでは折りあいがつかなくて。いろんな意味で一回お休みをしたんです。実家の近くの小さな塾の先生をやった時期が1年くらいあって、そのときにジャズと出会いました。

伊藤 そうなんですね。もともといわゆるベーシックなジャズには興味をもたれていたのですか?

青木 いや、最初はそんなに。本当に急に好きになって。友だちとカフェでお茶をしていたら、すごくすてきな曲がつぎつぎとかかって、店員さんに「誰の曲ですか?」と聞いたら「ジャズの有線です」と。それで確かその日のうちに「ジャズ」についてネットで検索したのですけど、あるお店が出てきた。それで後日そのお店に行くと、ちょうどアマチュアのひとが一曲ずつ歌える日で。私はよくわからないながらも、一曲だけメロディを知っていた「My Funny Valentine」を、歌詞カードを見ながら歌ったんです。それがすごく楽しくて! そのときに声をかけてくれたひと(ギター奏者の田辺充邦さん)と、今でも一緒にやっています。

伊藤 へえーー! ご縁ですね。

青木 そうですね。「きっと君にはジャズが合うから、いろいろ教えてあげるよ」と言ってくれて。奥さまがチェリストで、譜面の書き方を奥さまに教えてもらい、旦那さまである田辺さんには歌の伴奏をしてもらって、曲を覚えて、っていう……。「My Funny Valentine」とも縁があって、今度テレビではじまる番組の第1曲目もこの曲なんですよ。

伊藤 すごい。

青木 はじめてのプロの仕事がヴァレンタインデーの日にあった阿川泰子さんのステージの前座で、その時も「My Funny Valentine」を歌わせてもらったんです。なんだか縁があって……まぁそんな経緯がありつつ、今にいたると。ジャズをはじめてからは、自分がやりたいことをやって、それをお客さんもよろこんでくれて、っていう比較的自然なかたちでプロをやらせていただいている感じですね。

伊藤 すごくいいですね。導かれていると思いますよ。スタートが遅いとはいえ、若いうちからジャズの世界に入るって、珍しいのでね。

青木 そうですよね。とくにジャズの世界は。小さいころからジャズ教育を受けていて、って方はいますけどね。大人になってから急にはじめたひとはそんなには多くないから。

伊藤 でもこれまでにやったカメラマンアシスタントや塾の先生だったりの経験が、今の創作活動に全部活きてますもんね。

伊藤嶺花|青木カレン|スピリチュアル対談(前編)04

スピリチュアルヒーラーの伊藤嶺花さん

「今までジャズを聴いたことのないひとにも、ジャズっていいなと思ってもらいたい」

青木 そうですね。今は自分のオリジナルの曲も作りつつ、あとはジャズスタンダードと、ポップスのカバーとを3分の1くらいずつの割合で構成するイメージでアルバムを作っていて。やっぱりポップスが入っていたほうが、初めてジャズを聴く方にはなじみやすいかな、と。

伊藤 「知ってる、聴いたことある」っていう曲があると入りやすですよね。

青木 そうですよね。今までジャズを聴いたことないひとに向けて、「ジャズってこんなに楽しいんだな」ていうきっかけになるような曲を作りたい。4月にリリースしたニューアルバム『voyage』はそういうテーマをとくに強く感じて作ったアルバムなんです。

伊藤 そのテーマを強くすることで、何か反応はありました?

青木 私は、音楽はライブが命だと思っていて、目の前に私以外のひとがリスナーとしていて、そのひとたちとのコミュニケーションをとる。そこでは音楽はひととひとをつなぐもの、という感じがしますね。つい先週末に行って来た台湾のライブで、私以外のミュージシャンの方がジャズのスタンダードを歌ったり、その場の曲を歌ったりするのを聴いて、ああやっぱりジャズってすばらしいなと思って。おなじ音楽を知っていて、歌う言葉はちがうけれどもその感覚を共有することができる。ふつうにお話をしたらつうじない者どうしが、音楽を介して笑顔になったり。

伊藤 通じ合えますもんね。

青木 そう。とても基本的なことなんだけれども、やっぱりそれがいちばんパワフルなんだな、とあらためて思いましたね。やっぱりジャズをはじめた当初は自分自身の力不足とか、いろいろと考えることがあったんですけど、それがだんだん「とにかく心をそのまま伝える」みたいなことだけに集中しようと、だんだん思うようなってきて。そうするとステージでも緊張する隙がない。気持ちを伝えるということに気持ちを注ぐようになると、緊張している場合じゃなくなる、というか(笑)。それはちょっと自分のなかでも、変わってきている部分なのかもしれないですね。

スピリチュアル対談 vol.13|ミュージシャン 青木カレン

伊藤嶺花が“視た”ゲストの肖像

「巫女として、王妃として、
シンガーとして、人びとに“愛”を語りつづける女神」(前編3)

「祖母も母も歌い手。とくに祖母の影響が大きいかも」

伊藤 青木さんは本当にしっかりされていますね。ご自身を、もうひとりのご自身が上から見ている感じですよね。

青木 私今日、こんなタイミングで伊藤さんとお会いするのも意味があるんじゃないかと思うことがあって。じつは、つい2週間くらいまえにうちの祖母が亡くなったんです。100歳だったんですよ。

伊藤 すごい! 1世紀!

青木 その祖母は歌い手で、しかもうちの母も歌い手で。

伊藤 代々なんですね。

青木 うちの祖母は、シャーマンではないのですが、シャーマンのようなひとで。お仕事としてはやっていないのですが、近所のひとや親戚なんかを中心に、その方へのメッセージを即興のメロディにのせて伝えるということをやっていたんです。

伊藤 昔ながらの、巫女さんのようですね。

青木 しかもその自分が歌うメロディのようなものを録音して、それを書き起こして、ということをやっていて。

伊藤 へえ~。

青木 その祖母が亡くなったことをきっかけに、前よりもちゃんと生きなくちゃいけないなと思ったんです。きちんと生きていかないと、祖母に悪いかなと思いはじめて。母も歌を歌いますが、祖母と私のほうがとても似ている気がしていて。なんとなく直感的に。歌を聴いてくれてる方に、とくに女性に対してなんですけれども、見えない力をとおして、力を与えることができたらいいなと思っています。

「ジャズという即興の音楽、ライブをとおしてひとと繋がりたい」

青木 ライブに来ている方々の悩みをもしピンポイントで私がわかるのであれば、それに対してジャズは即興の音楽なので、ライブの曲順や歌い方も変えるし、その場で歌詞をちょっと変えていったり……。そういうことがいつかできたらいいなと昔から漠然と思っていたんですけど、祖母が亡くなったことでより自分がそうなりたいし、ならなくてはいけないんじゃないかと、そんな気持ちになったんですね。本当にここ2週間くらいです。だからこのタイミングでこうやって伊藤さんとお会いできるのはある意味、導きみたいなものがあったのかな、と思いました。

伊藤 じつは、昨日の夜、先にちょっと遠隔でリーディングさせていただいて。

青木 そうなんですか!

伊藤 おばあちゃまもそうですけど、もともと大勢の方へのメッセンジャーというか、伝える役割をされる方ですよね。

青木 そうなんですかね。

伊藤 青木さん自身のエネルギーも、ものすごく強いです。 こんなに女性らしくて、かわいらしくて、女神さまみたいですけれど、中身はすっごく強いです(笑)。

青木 そうですか!? やっぱり(笑)。

伊藤 一回決めたことは絶対まげないでしょ? それでもってすごい行動力がある。そして好きで「やろう」と決めたことにかんしては、絶対やめない。妥協しないですよね。自分に厳しく納得のいくところまで、つきつめますね。

青木 うんうん。

伊藤 そういう意味での強いエネルギーをおもちですね。

青木 そうですね……本当におっしゃるとおり! 自分で一回決めたことに対して、やめるという選択肢はあまりないかも。

伊藤 やめるというよりは、状況が変わったりとか、周りのひととの関係性が変わったり、ということでしょうね。何か物理的なことが発生したときに、やめるのではなく転換させる、発想を切り替える能力をもってらっしゃるから。

青木 おっしゃるとおり。きっと自分が腑に落ちるタイミングがこないと転換できないです。

伊藤 そうですね。そういう強さは過去世も関係していますし、来世も関係しています。今という瞬間瞬間には、過去も未来も詰まっていますから……。

伊藤嶺花さんがみた、青木カレンさんの過去世とは?
後編はこちら

青木カレン|AOKI Karen
幼少を海外で過ごし、慶応大学在学中本格的にアーティスト活動を開始。BS Asahi TVのジャズ音楽番組のメインキャスト、九州 cross fm で航空会社STARFLYERが提供するラジオ番組のMCなども務める。2ndアルバム『KAREN』はジャズ専門誌ADLIBの「アドリブアワード(クラブ/ダンス部門)」で堂々4位(女性ヴォーカリストとしては1位)、「SHINING」は翌年同部門でアワードを受賞。インターFMの番組MCを務め、福岡のラジオステーションLove FMでも同番組がOAされた。2009年夏には待望の東京・大阪・福岡のビルボードツアーも大成功を納め、2010 年にはイタリアを代表するジャズ・レーベル「Norma Blu」(ポニー キャニオン)より、アルバム『BY MY SIDE』リリース。勢力的にライブ/ツアーをおこない、2010年11月にはベストデビュタント賞を授賞。2011年4月には、日本のHIPHOP、R&B界を牽引するヒットメーカー今井了介と次世代を担うギタリスト渥美幸裕(thirdiq)をプロデューサーに迎えた通算6枚目となるアルバム『voyage』をリリース。この夏から公開となった『アンダルシア 女神の報復』の映画音楽に、ヴォーカルと作詞で参加。現代女性の先導となり、心の癒しとなるメッセージを唱いつづける、いま最も美しいディーヴァ。

           
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