連載・きき酒師 チズコ│第7回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その1
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2015年4月28日

連載・きき酒師 チズコ│第7回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その1

誰も翌日に起こる悲劇を知らず……

第7回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その1

日本酒ファンの皆さま、そうでもなかったけれど震災支援をきっかけに飲みはじめた皆さま、 そして、もちろんこれからの皆さまも。きき酒師チズコです。
このたびの思いがけない大震災により被災され亡くなられたたくさんの方のご冥福をお祈りし、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、現在も避難所やライフラインの整っていない環境で生活されている皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

文・写真=チズコ

いまでもあの日の光景を思い返すと胸が苦しくなります

気づけば、あの震災からもう4ヵ月以上が経ちます。こうしてニューヨークで生活していてニュースさえ見なければ、あの大震災があったことがまるで嘘のような気がします。
今回の「Sake And The City」は、震災時のレポートと、その後のニューヨークを前後編2回に分けてお伝えしたいと思います。ちょっと長くなりますが、よろしくお願いします。

2011年3月11日、私は岩手県の二戸市にある南部美人さんに前日から訪れていて、蔵人たちとの楽しい夜の宴会、朝の蔵見学を終えての東北新幹線で東京へ向かう途中でした。

その前日3月10日は、毎年恒例の岩手県新酒鑑評会の一般公開の日。3年ほど前にオブザーバー審査員をさせていただいたときから毎年この新酒をいただくのが楽しみになっていました。その日も例年同様、上位入賞したたくさんの岩手県内の蔵元さんや蔵人さんが誇らしげに自分の蔵のお酒の出来について話していました。そのなかには、津波で壊滅状態になった酔仙酒造の方もいらっしゃいました。誰も翌日に起こる悲劇を知らず……。いまでもあの日の光景を思い返すと胸が苦しくなります。

チヅコ|南部美人 03

南部美人ラジオ収録風景

チヅコ|南部美人 04

五代目蔵元 久慈浩介氏

岩手県のたくさんの酒蔵の新酒を利き、盛岡に来たら絶対欠かせない「ぴょんぴょん舎」の冷麺をいただき、その後は南部美人の5代目蔵元 久慈浩介氏とともに二戸市のローカルなラジオ番組の収録、そして夜はお楽しみ、蔵人たちとの再会と新酒鑑評会金賞受賞を祝っておおいに盛り上がりました。

あの日は東京へもどるだけの予定だったので、杜氏に薦められた岩手の沿岸方面を散策するのも悪くないと思っていたのですが、前日の深酒と少々邪魔なスーツケースを持っていたことで、沿岸には行かず東京へ帰ることにしました。もし、もしも沿岸へ行っていたら……、また、もしあと1本遅い新幹線でのんびり帰っていたら……。

チヅコ|南部美人 06

南部美人 蔵人たち

チヅコ|南部美人 07

左/10年熟成の大吟醸

ニューヨークに向けて、FacebookやTwitterで状況をレポート

私が被災したのは、大宮を通過した先。5時間ほど新幹線に閉じ込められ、その後2時間ほどスーツケースを持ったまま線路沿いを歩き、埼玉県内の小学校に避難することができました。食料も飲みものも付近のコンビニでは売り切れていましたが、全員に配られた2枚の毛布と雨風をしのげる場所があるだけで誰一人文句や泣き言をいうひとはいません。私たちよりずっとずっとひどい状況の方たちが大勢いるなか、誰ひとりパニックを起こすことなく、冷静につぎの指示を待っていました。

そんななか、震災直後から不通だった臨時の携帯電話が鳴り、信じられないことにニューヨークから埼玉県内に帰国していた友人が避難所まで探しにきてくれたのです! 何百回も電話が繋がるまで諦めずにかけてくれていたようで、本当に友だちのありがたみを心から感じた瞬間でした。

とはいうものの、うれしい反面、自分だけ助かるような気がして本当に申しわけない気持ちにもなりました。せめてもの私にできることとして、岩手で購入したお土産の食料をまわりの人たちに配りました。なかにはご主人の仕事の関係で日本在住のイギリス人女性もいました。しかも日本語がまったく話せず、コミュニケーションがとれるのはその場には私だけだったのに、「お元気で! 私は大丈夫。明日になれば主人に会えるから。ニューヨークでも頑張って!」と逆に励まされ、後ろ髪を引かれる思いでその場を去りました。

その後、ニューヨークにもどるまでの1週間、東京でも激しい余震がつづくなか、行方不明になった友人やその家族、そして被災した酒蔵の状況をニューヨークで心配している自分の家族や仲間にFacebookやTwitterでリポートしつづけました。

とくに、「SAVE JAPAN」のウェブサイトには本当に助けられました(後でそのウェブサイトを立ち上げたのが学生からの友人だったことを知りビックリ!!)。余震もあり節電が強いられている状況下、暖房や電気は極力使わず、暗闇のなかコンピューターとともに生活し、つねに屋内でも帽子とダウンジャケットを着用、枕もとには非常事態を考え荷物をまとめたリュックとスニーカーを常備していました。

そして、いよいよニューヨークへ向けて出発する成田空港でのこと。秋田の母に電話すると、「早くニューヨークへもどりなさい。日本はいまとても危険だから。秋田はいまは大丈夫だけど、いつ何があるかわからないから」と。

誰がいったい、“秋田よりニューヨークの方が安全”なんて事態が発生するなんて想像できたでしょうか。こみあげてくる涙を堪えることは不可能でした。

SAKE DISCOVERIES
http://www.sakediscoveries.com/

           
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