連載・きき酒師 チズコ│第8回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その2
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2015年4月28日

連載・きき酒師 チズコ│第8回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その2

ニューヨーカーが日本酒を楽しむ歴史的な酒イベント開催!

第8回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その2(1)

ニューヨークにもどると、すでに街は日本復興サポートに向けてチャリティ一色。9・11を経験しているニューヨーカーの行動力には驚かされました。

文=チズコPhoto by Fuko Chubachi

みんなで一同に手を組んで立ち上がろう!

旅の疲れ、被災のショック……などといっている間もなく、私にできること、とにかく日本の酒蔵を守らなければならない、日本食文化を絶やしてはならない! という思いで、すぐにできるレベルの日本酒を使った義援金集めのチャリティイベントをこつこつはじめました。

でも、その思いはもちろん私だけではなく、ニューヨークの日本酒業界、日本食業界に携わる皆が思っていたこと。それなら、みんなで一同に手を組んで立ち上がろうじゃないか!! というわけで、いつもはライバルのインポーターやディストリビューターをはじめ、レストラン関係者、リカーストアなど、とにかく、お酒を取り扱う仕事にかかわるみんなが一同に集まり、連日のミーティングや、毎日何十通何百通におよぶメールのやりとり、またこの動きをサポートしてくれるニューヨーク以外の協力者の皆さまのお陰で、歴史的な酒イベントが開催されることになったのです。

その名も、ずばり、

NY LOVES JAPAN !!

「自粛」という言葉を知らないようなニューヨーカーたちの日本のサポートの仕方、それはなんといっても、飲んで食べて語って派手にパーティー!

チヅコ|NY LOVES JAPAN 03

チヅコ|NY LOVES JAPAN 08

被災地 日本の食事とお酒を楽しみ、自分がいかに日本が好きかを自慢しあうのです。飲んで食べて、そのチケットが日本へのサポートになるならよろこんで! という方が人種を問わずわんさか集まるところが、さすが人種のるつぼニューヨーク。

100種類以上のプレミア酒と、ニューヨークを代表する人気レストランが多数参加し(この日の店の営業が心配になるほど!)、このイベントに共感していただいた企業からは、ニューヨーク-成田間の航空券や高級ホテル宿泊券、人気蔵元のグッズ、アート作品、人気シェフのプライベートクッキングレクチャー、ソニーミュージックからはアメリカを代表する有名アーティストのコレクターズアイテムなど、たくさんのお宝オークションアイテムまで!
http://www.nylovesjapan.com/

当日の売り上げは、合計で7万ドル以上となり、すべて日本赤十字をつうじ義援金として送らせていただきました。緊急で企画したイベントだっただけに、スタッフ全員ぎりぎりまで本当に不安で仕方がありませんでしたが、ふたを開けると当日組も多数押し寄せ、たくさんのニューヨーカーがお酒と日本食を楽しんでいる姿を見て本当にうれしかったです。

ニューヨーカーが日本酒を楽しむ歴史的な酒イベント開催!

第8回 ニューヨークから祖国を思う心を届けたい。その2(2)

フォーダム大学教務主任 リッパーさんからのメール

このイベントのほかにも、ニューヨーク中のレストランでは連日被災地の酒蔵を応援するスペシャルメニューを企画したり、ニューヨーク唯一の酒専門店『SAKAYA』でも連日被災地応援の試飲会をしています。ニューヨークを代表するビジネススクールのフォーダム大学に通う台湾出身の友人サンディーは、学生の皆さんに声をかけてチャリティ酒テイスティングイベントを企画し、こちらでも募金活動をおこないました。

じつは、こちらのイベントは日本から戻ってすぐだったこともあり、私はショックが大き過ぎて、涙を見せずきちんと皆さんに日本の状況を伝えることができなかったのです。そのことをイベント後に主催者のサポーターでもある大学の教務主任 リッパーさんにメールで正直にいまの自分の気持ちを伝え謝罪したところ、逆にとてすてきな励ましをもらったのです。
ここに、その内容を翻訳したものを皆さんにもシェアしたいと思います。

ありがとうチズコ。君がいまの現状をたくさんのひとたちの前で冷静に話すことが容易でないことは簡単に想像ができるよ。でも、こうしてメールで君が日本で実際に体験したことを話してくれたスピリットに僕は感動している。これから僕が話すことは、いままで誰にも話していなかったけど、いまここではじめて伝えたいと思う。

僕は何年も長いこと現在の妻と結婚生活を送っている。だが、もともと僕と彼女の家族はあまりにもちがいすぎた。宗教上のちがいが大きなものだったけど、あまりにもすべてのことにおいてちがいすぎた。だから僕も妻も、結婚しても家族として本当にうまくやっていけるのかとても心配していたんだ。

僕たちは、妻が生まれ育ったニューヨーク郊外の小さなレストランのガーデンで結婚式をすることを計画していた。ガーデンでの結婚式だったので、天気をとても心配していたんだけど、結局その日は信じられないほど完璧な快晴で、ずっと心配していた両家の家族もその快晴な空の下でとてもなかよくなったんだ。そして、そんなに僕たちはちがわない、ということもそのときわかったんだ。そして、ただただずっと長いこと憶えていたこと、それはその日の天気のことだけだった。

その日は完璧な一日だった。パーフェクトな太陽、気温。A perfect day. その日以来、天気がいい日はその日の天気が基準になった。たとえば「今日はとてもすばらしい天気だね。僕たちが結婚したあの日のように」「今日の天気はいい天気。だけどあの日の天気ほど完璧じゃないね。少し寒い(もしくは暑い、もしくは曇り)」というようにね。

9・11が起こったとき、あの日は人生においてもっとも最悪な日になった。ありがたいことに、僕が個人的に知っている身近なひとは誰も死ななかったが、その日の終わり、ニュージャージーの僕の自宅のバックヤードで妻と椅子に腰掛けて空を見上げて思ったんだ。「僕たちが結婚した日も、こんなパーフェクトな天気のときだった」と。

その日から思ったんだ。9・11が起こるまでは、美しい天気のときには自分たちの結婚したパーフェクトな日を思っていたのに、その日から美しい天気のたびに「9・11の日もこんなパーフェクトな天気だった」と思うようになったんだ。チズコ、君が岩手の酒蔵の蔵人たちと過ごした楽しい完璧な一日からすべてが一転したように、楽しい思い出、美しい思い出は、すべてちがう意味に変わってしまったと、まさに僕もそう思ったんだ。

でもね、よろこびはもどった。あれから長い年月を過ぎて、いまはまたよろこびがもどった。美しい空を見上げて、結婚式の日の完璧な天気と比べることもできるようになったんだ。A perfect day. そう思えるまでに少し時間はかかった。でも、いつかそれはかならずまた起こるんだ。

君はきっとあの震災前夜においしいお酒を飲んだ時間を忘れないだろうし、忘れるべきではないだろう。でも、人生というのは勝利する傾向にあるんだ。そして、君はいつかまたかならずよろこびを見出し、感じ、愛し、そのために、僕たちは努力しなければならないんだ。

僕はまたつぎの酒テイスティングを楽しみにしているよ。そして、僕たちがともにそのスピリットに出会える瞬間を祈ってる。A perfect day.

チヅコ|NY LOVES JAPAN 13

チヅコ|NY LOVES JAPAN 15

このメールは、私の宝物です。日本酒をつうじて出会った世界のひとから励まされ、また一歩進む勇気になる。そして、おなじように傷つき、悩むひとが世界にいれば、少しでもその心に寄り添い、一緒に立ち上がる努力をする。辛い現実から目をそむけない努力をする。

もちろん、これだけで私たちの日本サポートが終わったとは思っていません。ひとりひとりにできること、2人、3人、10人、100人になればできること。

遠く離れたニューヨークからできることは何か。世界中どこにいても、その心を忘れず一日一日大切に生きていきたいと思います。

           
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