戸田恵子|東日本大震災
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2015年3月13日

戸田恵子|東日本大震災

戸田恵子|いま自分になにができるのか

東日本大震災(1)

3月11日。東日本大震災で被災された地域の皆さま、心よりお見舞い申し上げます。未曾有の大災害から3ヵ月が過ぎました。あれから何度もこのできごとについて書き出してはストップ。また書き出してはストップの日々──。書けば書くほど言葉が、文字がとても虚しいものに感じられたのです。

文=戸田恵子

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応援する私たちも気持ちを強くもつ

震災の日。私は川崎の生田スタジオにて連続ドラマ『美咲ナンバーワン!!』の撮影中でした。私自身、あれだけの揺れを感じたのははじめてのこと。本当に怖かったです。関東エリアでもあれだけの揺れですから、東北の皆さんはどれほど恐怖を感じたことでしょう。そして津波、原発事故と想像を絶する事態となってしまいました。

その日撮影は中止となり、やっとの思いで帰宅したところ、部屋のなかでは仏壇が突っ伏して倒れていたり、植木鉢が倒れて割れていたり、大小さまざまな被害があり落ち込んでいたのですが、やがてテレビにつぎつぎと映し出される映像を見ているうちに、私の部屋はなにごともなかったに等しいと思えたのでした……。

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週明けすぐに“チーム・アンパンマンにできることはないか!?”と討議した結果、被災地の子どもたちに応援メッセージを録音し、ポータルサイトで声が聴けるようにしました。メッセージの第2弾、第3弾を、それから着ぐるみショーなども届けられるよう、現在も努力しています。

こうした事態になってはじめてわかることもたくさんあり、私自身アンパンマンの声主であっても、アンパンマンそのものが動くには多くのクリアすべき事項があり、少々歯がゆい思いもあるのですが、復興にはまだまだ長い道のり。応援する私たちも気持ちを強くもってこれからも取り組んでいきたいと思っています。

戸田恵子|いま自分になにができるのか

東日本大震災(2)

胸が苦しくなるばかりで言葉なんてない

これまで被災地には二度行きました。4月16日 宮城県亘理郡へクルマで約6時間。被災地をまわり、避難所を4ヵ所訪問し、握手をしたり、皆さんと写真を撮ったり、サインをしたり、アンパンマンのぬいぐるみとポストカードをプレゼントするなどしました。コミュニティFMラジオ。亘理町役場でのあおぞらFM。山元町役場でのりんごFMにも出演。やなせたかし先生のメッセージを朗読させていただきました。出演してるあいだにも役場には死亡届けを提出しにくる方もいたりして、生々しい現実を目の当たりにすることも。

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私はいままで、“全滅”や“壊滅”という言葉をこれほどまでに痛感することはありませんでした。テレビで見ていた瓦礫の山々。なにもなくなった街──。当たり前かもしれませんが、テレビでは途中で途切れている風景も、実際は途切れることなく、現実はどこまでもつづくなにもない街。瓦礫の山。船やクルマが本来在るべき場所にはなく……。胸が苦しくなるばかりで言葉なんて本当にありませんでした。

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そんななか、あの日子どもたちは屋上に上がって津波を逃れたという、被災した小学校におとずれたとき、校庭に桜が咲いていました。桜の木のてっぺんまで津波は押し寄せたであろうにもかかわらず、桜は根強く咲いていました。咲き誇っているように見えました。誇って当然の桜です。涙が出ました。

最後におとずれたのは、ボランティアの皆さんが生活している体育館。皆さんとも写真を撮ったり、サインをしたり。

帰りぎわに「明日からまたがんばれます!」と言って手を振ってくださったボランティアの皆さん。とんでもないです。逆に私が元気をもらいました。皆さんの活動にただただ頭が下がるばかりです。

5月2、3、4日には岩手に行きました。岩手は広いんですね。日本の都道府県としては北海道のつぎに大きな県だと、恥ずかしながらはじめて知りました。岩手縦断。新幹線とレンタカーでの移動。サンドイッチマンさんから購入した「東北魂」のTシャツを着て、ゴールデンウィークの3日間、キンダーフィルムチームとともに、『機関車トーマス』をふくむショートムービー5本を持って、3ヵ所でライブ吹き替えをしました。

震災から1ヵ月半経ったゴールデンウィークのころでも、まだまだまだまだ復興にはほど遠く、岩手の被災地も言葉にならないようすでした。

戸田恵子|いま自分になにができるのか

東日本大震災(2)

自分のできる範囲内で頑張って助け合いながら生きる社会

その昔、歌手時代に新沼謙治さんとともに巡った岩手。被災地のどの街の名前も、私には聞き覚えのあるもの。懐かしさが込み上げるのと同時に、あまりの悲惨さに胸が詰まりました。

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そんななか、どの会場の子どもたちも目をキラキラ輝かせてフィルムに食いついくれました。声をあげて笑っていました。第1日目は釜石の小さな幼稚園の一室で。近くの幼稚園児もいっぱい集まってくれて、部屋は超満員の仮設映画館となりました。世界で1番小さな映画館。「トーマスがんばれー!」と応援してくれました。子どもたちがじつにお行儀よく座って見てくれたのがとても印象的でした。彼らに「ありがとう」と言われると、思わず涙が出てしまいます。

戸田恵子|東日本大震災 11

2日目は野田村の総合センターにて、太陽光発電パネルの電気を使った上映会となりました。ここでもみんなフィルムを最後までお行儀よく楽しんでくれました。会場の近くでは瓦礫のなかから写真を収拾し、綺麗に洗って並べているボランティアチームがいました。それはそれはたくさんの量の写真。大変な作業です。

写真を見つけてよろこんでいる被災者の方にも出会いました。なにもかも流されて、たった一枚残ったその写真は正に「宝物」になりますね。

3日目は二戸群の「こどもの森」で2回のライブシネマ。こちらはとても立派な施設で、たくさんの方に観ていただくことができました。総じてどの会場も子どもたちが元気でいてくれたことが本当にうれしかったです。しかしながらまだ笑えない子どもがいたり、夜になると泣いている子どももいると聞いています。どんなに怖かったでしょう。どんなに辛かったでしょう。本当に計り知れません。

岩手縦断中に見かけた大きな看板。「顔晴れ! 岩手」の文字が私の胸を強く打ち、私の心もそう叫ばずにはいられませんでした。日本国民が「いま自分になにができるのか」とこんなにも考えていることはかつてなかったと思います。みんななにかがしたい。力になりたいと思っています。

アンパンマンの作者 やなせたかし先生(92歳)は、自分は被災地で瓦礫を片づけることはできないけれど、心に傷を負った子どもたちを勇気づけることはできるかもしれない。料理ができるひとは料理を、お金持ちはお金を、力持ちは力を。自分のできる範囲内で頑張って助け合いながら生きるのがこの社会だとおっしゃってます。一人ひとりの覚悟が求められる時代になったと。

まだまだこれからです。やなせたかし先生の言葉を忘れずに、自分にできることに取り組んでゆきたいと思います。そして不思議とまた被災地に向かいたくなるのです。

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