連載・田中 玲|其の十「お茶の時間」
其の十「お茶の時間」
文=田中 玲写真=中川昌彦
「さてと、お茶しましょうか」
この台詞は安堵感が詰まった幸福なフレーズです。この場合の「お茶」は、珈琲、紅茶、煎茶、ハーブティなどなんでもいい。咽の乾きを満たすだけではない、もっと大切にしたいときの流れを期待してしまう。
お茶をするのを嫌いなひとは少ないとは思いますが、私はさまざまなシーンで活用しています。ひとりの時でも、誰かと一緒の時でも何かと「お茶にしましょ」と口実をつけては気分転換なり、時間に区切りをつけたがってしまう。私にとって「お茶」は簡単かつ効率良く気分を変えることが出来る大切なひとときなのです。
外でお茶を飲む場合、簡単にカウンターだけのやり取りだけでお茶をいただけるお店も必要最低限のひととのやり取りだけですぐに自分の時間に没頭することができ、とても重宝しています。または、きちんとした食器でお茶をいただきたい、誰かにお茶を運んでもらいたいな、と、そんな少し贅たくな気分のときは喫茶店に入ります。確保された席でゆっくりと考えごとをつらつらと机いっぱいに広げることができます。気持の良い椅子であったらなお一層発想は広がるでしょう。お茶が来るのを待つ時間ですら愛しく感じるものです。
家でお茶を飲む場合、自分のためでも誰かのためでも、「お茶を入れる」という作業が、気持ちに区切りをつける、豊かな時間だと思います。お茶の種類を選び、お湯を沸かし、器もあたためる。そしてゆっくりと注ぐ。待つ。茶葉や珈琲の粉が水分をふくんで広がり、部屋中に香りが満ちていくのを眺める。このひとつひとつの作業のなかに区切りのスイッチがあり、それらを順々にオフにしていく感じ。単純作業だからなせる業。ポットの丸みや急須の色合いはかわいらしく、お茶の時間を楽しく演出してくれる。お茶の小道具類もとても大切。
おいしくお茶を入れるのに必要なことは、急がず力まずにゆっくりと大事にお茶を入れるという気持ちだと思います。もちろん、お湯の温度、茶葉の分量、お湯の分量など気にすることは沢山ありますが、家で飲むお茶は力まず入れたい。でなくては気分転換にならないから。
大切にお茶を注げば、珈琲の最後の一滴も、玉露の最後の一露もかけがえのない味になってくれるでしょう。
そこに小さなお茶菓子があったら最高なお茶の時間が待っています。