高橋理子|# 008 高橋理子の円と線、初めての韓国へ(後編)
日々、小さな挑戦を積み重ねていきたいと心に誓う良い経験
高橋理子の円と線、初めての韓国へ(後編)
韓服に触れる機会を得て、近い国であるにもかかわらず、何も知らずにこれまで生きてきたのだと実感した。いろいろなことが似すぎているから強い興味が湧かなかったのかもしれない。
文=高橋理子写真=川本史織
「和服は着たくない」
学生時代、アトリエではつねに韓国の留学生が一緒に学んでいた。卒業式に美しいチマチョゴリを着た彼女たちと、着物を着た私の写真が残っている。日本でも、食にかんしては馴染み深い韓国だが、そのほかの文化については、ほとんど知られていないように思う。もちろん、歴史的な問題が互いに壁をつくっているのは事実であるが、実際には、テレビドラマや音楽などにより、その壁はないようにさえ感じられるときもある。ところが、今回のショーにおいては、その壁の大きさを感じる出来事もあった。ショーのモデルとなる方々が、韓国の著名人であり、オリンピックで日本と戦うスポーツ選手も含まれていた。どのような会話のなかでそのような言葉が出たのか詳細は分からなかったが、「和服は着たくない」という意見が出たのだ。当然の言葉だったとも思う。私が直接話ができれば歩み寄れたのかもしれないが、離れた地で心を通わせることは非常に困難であった。
他国の伝統衣服に対する自分の心のあり方を確かめる
この、当然ながらも残念な事態をなんとか乗り越え、実現した今回のショー。パーティーに出席していた韓国の方々の反応は、日本での私のつくる着物に対する反応と非常に似ていた。若い世代の方は、チマチョゴリを着たことはないけれど、これなら着たいと言ってくれた。いまの日本も同じ。着物を着たことがない人、持っていない人は多い。動きづらく、現代の生活に合っていないと感じる人が大半である。しかし、韓国でも日本でも、自分の国の伝統衣装を着たいと思っている人は多い。民族衣装だからというよりも、現代のファッションにはない新しさを感じているようにも思う。私が着物に興味をもったきっかけも、日本の伝統的な衣服としてではなく、洋服とは異なる着方や構造に、ファッションとして新鮮味を感じたからである。初めてチマチョゴリを目にしたときも、他国の民族衣装としてではなく、オリエンタルな刺繍の施されたボリューミーなテントシルエットの新鮮なデザインのドレスとして映った。それはまるで、19世紀の西欧で着物の影響を受けて生まれた日本趣味なドレスを目にしたときのような感覚だった。
私には韓国の友人もいる。文化の違いや言葉の壁は感じるものの、偏見や固定観念などはもっていないと自覚している。ましてや、現代のファッションを学び、自国の伝統衣服に触れ、ものづくりをする人間が、美しいものや興味深いことに純粋に向き合えば、国という壁など生まれるはずはないし、壁をつくるべきではないとも思っている。
新たな発見やコミュニケーションを生み、固まってしまった考えや見方を、少しでもやわらかくする小さなきっかけを生み出すものづくり。表面的なことだけではなく、本質を知ることの大切さ。今回、韓服に対して、どれほど本質に迫れたのか計ることは難しいが、制作してく過程で、他国の伝統衣服に対する自分の心のあり方を確かめることができた。
ひとつの挑戦が生み出すさまざまな事柄は、善くも悪くも、新しいものが生まれ、考えるきっかけになる。日々、小さな挑戦を積み重ねていきたいと心に誓う良い経験であった。
HIROCOLEDGE
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