(3)「クリエイションと新作、そして古着への憂い」
Interview with Rin Tanaka
クリエイションと新作、そして古着への憂い(全3回・最終回)
今年ハーレー本社のあるミルウォーキーに創立105周年を記念したハーレーのミュージアムが完成し、その記念本の編集を任された田中凛太郎氏。100年近くのアーカイヴを紐解くうちに、アメリカのカジュアルウェアの歴史が見えてきたと語る。
まとめ=竹石安宏(シティライツ)語り=田中凛太郎
触れられないものになってしまった古着
──当時のウェアの実物も、その記念本に掲載されるのですか?
ハーレーサイドがなかなかいい実物をもっていって、それらも撮影しました。ミュージアムに納められるものなんですが、撮影のときにちょっとイヤだなと思ったのは、ミュージアムのスタッフがみんな手袋をはめて扱っていたんですよ。ぼくはこれまで、手袋をはめて革ジャンを撮影したことはないですからね。それでは触れないし、感覚をたしかめることもできない。それでよくどんなものかがわかるなと思ったんですけどね。これにはぼくらの大好きな古着というものが、すでにそういった扱いのものになったんだと実感せざるを得ませんでした。ぼくなんか破けてもいいや、古着だもんと思っていたくらいでしたが、いつの間にかぼくらが触れないものになってしまった。これは残念だけど、ひとつの時代が終わったということでしょう。今後10年でその傾向はもっと進むと思います。
──それは寂しいことですね
そうですね。触れないものなら、ぼくにとってはもうどうでもいいという気もしていますね。触れないものを撮影していてもテンションが上がらないし、楽しくないんですよ。1日に100着くらいの革ジャンを撮影しても、触って感触をたしかめていればだいたい覚えているんですよ。あれは馬革だったなとか、いい革だったなとか。写真のストックが膨大にあっても、意外と感触で思い出せるものなんです。だけど、今回撮影したものは正直思い出せない。たしかに革ジャンの状態は悪いし、直接触るのはよくないという現実はわかっているんですけどね。アメリカで活動をはじめて今年でちょうど10年なのですが、古着を題材とした本の制作はここらで一区切りなのかなとも思っています。
──現実として、とても難しい問題ですね
この問題に関してはなかなか気持ちの整理がつきませんね。考えようによっては、逆に古着をミュージアムに納める、いわば“墓場をつくって眠らせてあげる”ような仕事もあるんです。今回のハーレーの仕事は、結果的にはまさにそういった仕事なわけで、それをやらせてもらえるのはありがたいのですが、ぼくのパッションはそこにはなかったはずなんですよ。だからこそ今後についてはすごく悩んでいますし、いまはスタジオで自分のクリエイションを磨くしかないかなと思っているんです。
──アメリカで古着がそういった扱いになるのは意外ですね。そこにはなにか要因があったのでしょうか?
やはり9.11が大きかったのではないでしょうか。あれ以降、妙なバブルが起こるなど、アメリカの価値観や向かって行く方向が確実に変わりましたから。それとインターネットのインフラなども整い、いろいろなことがシフトできる状態になったのも大きいと思います。世の中がある一方向にシフトしきってしまったのでしょう。
アメリカン・アウトローカルチャーの原点
──ハーレーの本を制作していて、ほかに驚いたようなことはありましたか?
アメリカは1910年代から、すでに大きなパワーをもっていたんだということですね。20年代後半には大恐慌もありましたが、これまでぼくが見ていたのはそれ以降のアメリカだったんです。でも、そのずっと前から、ホップ・ステップ・ジャンプの第一段階のパワーを蓄えていたと感じました。それともっと驚いたのは、20年代からハーレーが日本に輸入されていたということです。30年代後半くらいから日本にもハーレーのディーラーができたという話は、これまでも聞いたことがあったんですけどね。だいたい1926年くらいに旧日本軍が輸入していたものの写真だったのですが、それにはけっこう驚きました。ただ悩んだのですが、今回はほとんどカットしたんです。アメリカ人のエディターなら写真が面白いのでピックアップしたでしょうけどね。この本は全編英語のインターナショナルなものであり、きっといろいろな国で読まれるでしょう。中国などでも読まれるはずであり、そうした本にこの手の写真は載るべきではないというのが僕の認識です。だから、その写真はお蔵入りさせました。
──モーターサイクルウェアとしての発見はありましたか?
すでに1920年代には、かなり完成していたということですね。僕は40年代くらいに完成し、50年代にピークを迎えたと思っていたのですが、じつはもう少し前から完成していたことがわかりました。読みがやや甘かったですね。以前なら一枚の写真を見ても、これはレアケースかなと思っていたのですが、今回はまとまった資料なのでちゃんと裏付けができた。20年代からかなりかっ飛ばしていたんだなと。
──それはぜひ見てみたいですね
ハーレーのファッションは面白くて、いまもむかしも90%くらいのハーレーオーナーはハーレーのウェアを着るんです。いってみればハーレー信者なんですよ。ほかのバイクメーカーとくらべても、みんなハーレーに対する忠誠心が強いんです。でも、一割くらいの人は反抗しているわけで、そこが面白いんですよ。そうしたカルチャーが戦後ヘルズエンジェルスなどになっていったと思うんですが、そういう人がかなり前からいたということは興味深いですね。マーロン・ブランドの映画『乱暴者』は1953年ですが、ああいう連中はきっと当時出てきたわけではなく、もっと前にいたんです。ぼくはそういった体制に抗うような生き方が大好きだし、アメリカらしいと思うんですよ。むかしはアメリカもずっと保守的で体制に逆らえない風潮があったはずなんですが、1910年代からNO!という人間がいて、それがジリジリとつながって戦後に爆発した。こうしたアメリカのアウトローカルチャーは突発的なものではなく、かなり長い期間で形成されたものだと思います。
──それは予想外の発見だったのでは?
そうですね。これもちゃんと資料を残してきたからこその発見だと思います。残してきたものが100年後に意味をもつという、ジャーナリズムの原点ともいえることでしょう。それとハーレーのすごいところは、たんなるバイクではなく、カルチャーであること。これはほかのバイクメーカーにはないことだし、それを100年以上かけて彼らが築き上げたのはすごいことだと思います。
──ところで、このハーレーの本の出版はいつごろされるのですか?
ハーレーのミュージアムはおそらく2008年7月ごろにオープンされるので、そのタイミングには発売されているはずです。
──では、古着を題材にした『My Freedamn!』の今後の展開は?
『My Freedamn!』は完結に向かわなければと思っています。野球のピッチャーでいえば現在は6、7回ですが、なんとか完投したいですね。ここからが厳しいと思うし、最近野球のピッチャーは8、9回が地獄なんだろうなとつくづく感じています(笑)。ちょっと気を抜くと打たれますからね。だから、ぼくもどのようにゲームを完封し、その後にちがうベクトルへ発展させるべきなのかを現在考えているところなんです。
──ありがとうございました。完成を楽しみにしています