『My Freedamn! Vol.6』完成!(3)
『My Freedamn! Vol.6』完成!
そして制作過程で思ったこと……(第3回)
『My Freedamn! Vol.6』 完成記念スペシャルインタビューの最終回。原点ともいうべきフィフティーズの風景が失われつつあるアメリカは、これからいったいどんな方向に進んでいくのか。そして、田中氏の本作りは、どんな理想へと向かっているのか。 話はそんな未来へと展開していきます。
interview&text by TAKEUCHI Toranosuke(Citywrites)
アメリカには過去をルールにしないでほしい
──前回までのお話では、いまのアメリカ人のベースだった50年代の風景がアメリカから失われているということでしたが……
田中凜太郎 風景だけでなく、すでにフィフティーズな人もいなくなってしまいました。いまはちょうど、フィフティーズに象徴される20世紀のアメリカが終わったところなんじゃないでしょうか。ですが、僕は逆にこれからのアメリカが楽しみですね。どう乗り切るかを見てみたいですし、乗り切るだけのポテンシャルをもった国だと思います。そもそも本当の文化というものは、経済が落ちてから成熟するものですから。
──どんな未来を期待しますか?
田中 具体的な希望はありませんが、ひとついえるのは、つまらないことを繰り返して、がっかりさせるような真似だけはしてほしくないということですね。アメリカは国が若い分、これまでがんじがらめのルールがないことが最大の魅力でしたし、僕はそこにアメリカのポテンシャルを感じています。ですから、間違っても20世紀に起きたことをアメリカのルールにしないでほしい。それさえしなければ、これからも、おもしろいことをする人がどんどん出てくると思いますよ。
たとえば音楽なんかでも、本当にいい音楽というのは、なんとなく集まって弾いていて、そこにまた誰かがやってきて相乗効果が生まれて、みたいな感じでできていくものだと思うんです。ニューオリンズの人たちみたいに、ただ人が勝手に集まってタラタラ音楽やってるというスタイル。おもしろいものというのは、そういうところから生まれてくるものだと思います。
My Freedamn! =“雑貨としての本”というスタンス
──My Freedamn! の今後についてはどうお考えですか?
田中 次号とその次ぐらいまでは、すでにネタも決まっています。その後は未定ですが、いずれにせよ、一冊ずつコツコツといい本を作っていきたい、というそれだけですね。結局量産できるものではありませんし、ベストアルバムみたいなものもいらないと思っています。これまでもこれからも、目標としてはコーヒーテーブルブックとして、常に傍らに置いてもらえるような本を目指しています。情報として読まれて捨てられるのではない“雑貨としての本”とでもいうのでしょうか。装飾品としての本というスタンスでもいいかもしれません。実は僕の中では古着も本もまったく同じ感覚で、古いいい本などを見るにつけ、気持ちいいな、と感じるんです。僕の本もそんな存在になれたら、と考えています。
──今回も素敵なお話の数々、ありがとうございました
田中 こちらこそ、ありがとうございました。