『My Freedamn! Vol.6』完成!(2)
Fashion
2015年3月12日

『My Freedamn! Vol.6』完成!(2)

『My Freedamn! Vol.6』完成!

そして制作過程で思ったこと……(第2回)

前回に引き続きお送りする 『My Freedamn! Vol.6』 完成記念スペシャルインタビュー。話は、ボウリングシャツからフィフティーズを巡るアメリカの社会論、文化論へと広がって……。

interview&text by TAKEUCHI Toranosuke(Citywrites)

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アメリカの50年代がアメリカから消えていく

今回この『My Freedamn! Vol.6』を作っている過程で強烈に感じたのは、アメリカからアメリカの50年代の風景が急速に失われているな、ということでした。
つい何年か前までは片田舎に行けば簡単に見ることのできた風景が、本当になくなっているんですよ。幸い服の中にはまだ当時のアメリカを見ることができますが、これだってもう少しすると触れなくなってしまうでしょうね。
ギターなんかは、早くからヴィンテージという概念のあったジャンルですが、これからは服もギター同様文化財になっていくはずです。あと50年もすれば間違いなく、博物館の中でしか見ることができないものになってしまうことでしょう。だから、直に見て触れる最後のチャンスであるいま、機会があれば触っておいた方がいいと思います。
なにしろ、ここがアメリカの一番いいところ、一番おいしいところですからね。

『My Freedamn! Vol.6』 P15より

フィフティーズこそ、いまのアメリカ人のベース

──やはりアメリカ人にとっても、50年代というのは特別な時代だったんでしょうか?

田中 まあ、これまでのアメリカを考えれば、間違いなく50年代がベストでしょう。クルマでいえばキャデラックの世界。いまあんなもの作れといわれても作れないですよ。服の世界もまったく同様で、手にするたびに、どういう神経してるんだろう? って思うくらいにすごいですよ(笑)。そして、いまのアメリカ人のメンタリティのベースが、あの時代にあります。アメリカ人が一番好きな時代で、常にあそこに戻りたいと考えている、そんな時代でしょうね。

──ヒッピーのムーブメントも、非常にアメリカ的だったといえると思うのですが、やはりフィフティーズですか?

『My Freedamn! Vol.6』 P13より

田中 ヒッピーはブームだった要素も多い現象だと思います。さらに、自ら矛盾を抱えてしまった苦しさもありました。その点フィフティーズは、もっとアメリカそのものであり、メジャーだった。そこには矛盾がなく、実にピュアにモノを作っていました。いま考えると、あれが“普通”だったっていうのは、すごいことだと思います。いまのニューヨークに、それを感じることはできませんから。

──そういうすごい時代の風景や服が、いま失われかけている、と

田中 そうです。これからの若者は20世紀を知らない世代になるわけです。そうなるとフィフティーズも、僕らでいうところの戦前のパリみたいな感覚になっちゃう。だから僕らがこうしてフィフティーズを語る時代もそろそろ終わりなのかなと思うんです。そして『My Freedamn! 』は、そのギリギリのところを訴えかけている本ということですね。

第3回に続く

           
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