連載・重松 理|「週刊 重松 理」第8回 父と母のこと
Fashion
2015年3月6日

連載・重松 理|「週刊 重松 理」第8回 父と母のこと

名言・明言・迷言「週刊 重松 理」

第8回 父と母のこと

重松さんが実際に履いてきた靴400余の一部を紹介しながら、“いまを語る”「週刊 重松 理」。第8回で紹介する靴は、重松さんがユナイテッドアローズ創業のころによく履いていたというアメリカの「WALK-OVER」。当時の定番、ブラウンバックスが登場。

語り=重松 理文=OPENERS写真=JAMANDFIX

1990~91年ごろよく履いていた「WALK-OVER」

この“ブラウンバックス”はビームスのときに購入したものですが、ユナイテッドアローズが創業したころによく履いていました。

ウォークオーバーは、スエードアッパーのホワイトバックスやダーティーバックス、それとブリックソールで有名ですが、当時は、オリジナルのホワイトジーンズに、紺のブレザー、それにブラウンバックスという格好をよくしていました。

70年代に日本に入ってきて、80年代にカジュアルシューズとして一世を風靡したウォークオーバーですが、最近また復活したそうで、手頃なカジュアルシューズとして期待しています。

重松理|靴 02

重松理|靴 04

父と母のこと

私の父は大分出身で、母は新潟出身です。母が芝大門のカフェで女給をしていたときに、芝の会社に通っていた父が見初めたようで、父26歳、母24歳のときに結婚したようです。詳しいいきさつは知りませんが……。

父は高校まで大分にいて、叔父を頼って上京、海運会社で営業をしていました。母はなかなか凄いひとで、もともと武士筋の祖先をもった農家の娘だったのですが、冬になると小学校にかんじきを履いて行き帰りで3時間かかるような豪雪地帯の土地の育ちで、それが嫌で、小学校を卒業すると姉を頼って東京に奉公に出て、いろいろあって大門のカフェで働いていたようです。

父は私が31歳のときに亡くなったのですが、ただただ怖い親父でしたね。私は姉がふたりいて、男ひとりだったので、可愛がってくれたのですが、怒ると怖くて近寄れなかった。

母は、いま振り返ると、私に商人としての基本的なことを教えてくれていました。母は“損得の基準”が独特でおもしろくて、いまの自分の損得意識の半分ほどは、母親の影響があることに最近気づかされました。

ユナイテッドアローズ 東日本大震災チャリティプロジェクト
チャリティプロジェクト“MOVING ON TOGETHER!”

次週(8月29日)は「好きなクルマ」を語ります。

           
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