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2020年7月4日
クレイグ “KR” コステロ氏インタビュー
ニューヨークから世界へ広がるグラフィティの可能性
滴り落ちるシルバーインクのドリップをシグニチャーにアーティストとして活動するのみならず、日本でも愛用者の多いペイントブランド「KRINK」の創業者として知られるクレイグ"KR"コステロ。
自らアートサプライを開発することでグラフィティ・カルチャーを、新たな次元へ昇華していった彼が考えるグラフィティの可能性とは? メディコム・トイとコラボレーションしたBE@RBRRICKやSyncの関連アイテムのリリースに合わせて、クレイグ氏のメールインタビューをお届けする。
自らアートサプライを開発することでグラフィティ・カルチャーを、新たな次元へ昇華していった彼が考えるグラフィティの可能性とは? メディコム・トイとコラボレーションしたBE@RBRRICKやSyncの関連アイテムのリリースに合わせて、クレイグ氏のメールインタビューをお届けする。
グラフィティに興味を持つようになったきっかけからお聞かせください。
私はニューヨークで育ったので、物心がついた時からグラフィティは既に景色の一部でしたし、おそらく12~13歳の頃にはグラフィティカルチャーに囲まれていました。友達のほとんどはグラフィティを描いていましたし、この街ではごく普通のことでした。私にとってグラフィティとは創造的かつ実験的で、自分と同世代の若者たちにアピールできる冒険です。グラフィティは若者自身が進化させてきたサブカルチャーであり、大人たちに指図されることなく歩んできました。
80年代のNYCはトレイン・ボム(列車への無許可でペイントする行為)などのヴァンダリズム(破壊や損壊を伴う表現活動)が社会問題化した時期でもありますが、それを超えたアートとしての魅力がどこにあったのでしょうか?
グラフィティが犯罪行為とされたのは、管理の届かないものとして世間から見られたこと、そして個人所有物への器物損壊とみなされたことが主な原因でした。時間が経つにつれ、人々はグラフィティの創造性を認め、高く評価するようになりました。グラフィティはアメリカが生み出したロックンロールやヒップホップ同様、自己表現の革命としてリベラルな層には称賛されます。ただし、それ以外は個人所有物を毀損するものとして悩みの種であり、特に政治家にとってはわかりやすい批判対象になってしまいます。
あなたがグラフィティの活動を始めたのは何歳のときでしたか?
実際に自分で始めたのは17歳か18歳です。当時の作品の写真も何枚か持っています。
アーティストタグである「KR」が生まれた経緯を教えてください。
私の名前はCraig(クレイグ)ですが、いたずら書きをして遊んでいるときに、友達が私の名前の綴りを間違えて「Kraig」と書いたんです。それをKRと短く書き記したことがきっかけとなりました。当時のアーティストダグは2文字が一般的だったことも理由のひとつです。
あなたのグラフィティはシルバーインクを大量に使い、滝のように滴り落ちる作風が特徴的です。いまや代名詞となったあのドリップペイントの手法は、どのようにして生まれたのでしょうか。
滴り落ちるインクは一見だらしないだけのよう見えますが、実はしっかりとコントロールされているのです。大量のインクを滴り落ちるように塗れば、ほとんどのスペースがインクだらけになってしまいますが、なんとか私の名前(サイン)も確認できるようにしていたのです。また、私自身でインクを作っていたため、大量の供給路を持っていたことも重要な意味があります。私のスタイルを模倣することは、大量のインクが手元にないと無理だからです。大量のインクを使い、ドリップをコントロールすることで、私の作品はストリートでどのグラフィティよりも目立つことに成功しました。いまやこのスタイルは、世界中のグラフィティにおけるスタンダードになっているほどです。
ハンドメイドでオリジナルのインクを作ろうと思ったのは?
個性あるグラフィティを生み出すためには、あらゆる実験が必要となります。そのなかで私なりの道具と技法を生み出すことに活路を見出したのです。溢れ出して滴り落ちる表現や、大きなタグといった自分らしいスタイルを築き上げるために、いくつもの実験を経てインクとマーカーを開発しました。
あなたのドリップのスタイルも年とともに変遷を遂げていますね。
自分のスタイルを極めるために、いろいろな道具を作り出してきました。そして、ドリップこそが誰にも真似のできない自分だけの表現であることに気付きました。もはや自分の名前(サイン)を作品に入れることすら不要となったのです。ドリップこそが私自身の作品である証明であり、ストリートを飛び出してギャラリーやミュージアム、そしてコマーシャルなプロジェクトにまで広がることになりました。
ペイントメーカー「KRINK」という会社を興したことで、ご自身の中で変化はありましたか?
反応がとても良く、供給が追い付かないほどでした。私が管理しなければならない新しいことが次々と増えてしまいましたが、多くのサポートによってやりくりできています。
アーティスト自らアートサプライ(画材や専門的道具)を開発・提供することによるストリートカルチャーへの影響についてはどのようにお考えでしょうか。
これまでほとんどのアートサプライは、アーティストによって作られたものではありませんでした。でも、こうしてたくさんの人々がサポートしてくれるのは、KRINKという会社が生まれるまでのストーリーと、KRINKという実験的なブランドに関わることに誇りと愛情を持っているからなのだと考えています。KRINKは単なる会社ではなくクリエイティブなコミュニティの一部であり、だからこそグラフィティ界内外の多くの人々がサポートしてくれたのです。
KRINKのアートサプライは日本のアーティストにも大人気です。従来のものと比べて優れていると思われるポイントを教えてください。
マーケットが確立された製品分野で、大手企業と競争することは難しいことですが、私たちの製品の多くは独特で、それゆえ多くのアーティストに受け入れていただいています。KRINKは小さな会社ですが、全製品が我々の求めるクオリティーを維持できるように少量生産されています。圧倒的にオリジナルであることに注力しているのです。
消火器型ボトルなどパッケージデザインにもこだわりが感じられます。どういったコンセプトやメッセージが込められているのでしょうか?
基本的に私はシンプルなものが好きで、身の回りにある工業製品にインスパイアされてきました。消火器はもちろん、コスメ製品ですらも同一線上にあります。こうした、ごくありふれた工業製品であっても、ときにはエレガントに見えることを私たちの製品パッケージから感じてもらえたことは非常に嬉しいです。
これまでにLEVI'S、NIKE、MONCLER、MINI COOPER、COACH、KITHなど世界的ブランドとのコラボレーションを手がけていますが、特に印象的だったプロジェクトがあれば教えてください。また、コラボレーションする際、ご自身が守っているルールがあれば教えてください。
すべてのプロジェクトが大きなチャンスであると同時に、自分自身が楽しめる素晴らしい経験となりました。コラボにおいて最も重視することは自分の表現活動と相手企業の求めることが合致し、相互理解ができていることです。それさえ決まれば、あとはすべて簡単です。こうしたプロジェクトのために世界各国を旅行するのは、いつも最高な経験をもたらしてくれるのです。
BE@RBRICK KRINK 1000%
KRINK TEE "GRAPHIC"
KRINK RUG MAT “GRAPHIC”
KRINK PLUSH CUSHION “K-60”
SKATEBOARD DECK “GRAPHIC”
※監修中のサンプルを撮影しております。発売商品とは一部異なる場合があります。
©️ 2020 KRINK NYC
今回のMEDICOM TOYとのコラボレーションで、BE@RBRICKやTシャツ、スケートボード、インクボトル型プラッシュなどが発売されます。これはどういうきっかけで始まったのでしょうか?
メディコム・トイ製品のいずれもが完璧な仕上がりで、世界的な評価を得ている会社だと認識していました。メディコム・トイとの取り組みを光栄に思いますし、その仕事ぶりにはいつも感動させられるほどです。私たちには何年にもわたって一緒に働いてきた共通の友人がいたこともあり、こうなったことは必然でもあると考えています。
これまで何度も来日されていますが、日本の印象はいかがですか?
私は日本食も日本人も大好きで、この国を旅することはかけがえのない楽しみでもあります。帰国するたび、昔ながらの田舎の風景をもっと見るべきだったと後悔するほどです。
最後に、COVID-19やBlack Lives Matter関連のニュースを目にするたび、私たちは大きな転換点を迎えているのだと実感します。クレイグさん自身がこれからの社会に思っていることを教えてください。
アメリカで巻き起こっているさまざまな事件が、厳しい現状を示唆しています。でも、アメリカ市民はもともと楽観的で、状況をより良くするための努力を惜しみません。私はニューヨーク出身で今もここに住んでいますが、この街には世界中の異なる人種がひしめき合っており、他の都市とは異なると感じています。もはや、アメリカから切り離された場所と感じることがあるほどです。ニューヨークに住むほとんどの人々が、SNSによって形成されている一種のバブル状態の中にいるため、現在のそうしたコミュニケーションは大きな問題を孕んでいます。私自身は世界に対して常にオープンであるべきだと考えていますし、いつもより明るい未来を願っています。
Craig “KR” Costello
クレイグ “KR” コステロ
グラフィティライターやスケーターに囲まれた、80年代のクイーンズで育つ。サンフランシスコのシーンでキャリアを積み、現在はブルックリンを拠点に活動するグラフィティ・アーティスト。インクの垂れるさま(ドリップ)をモチーフに唯一無二のスタイルを築き、通常のインクメーカーとは一線を画した、ハンドメイドのペイントブランド「KRINK(クリンク)」を創業。KRINKはクレイグのタグネームであるKR+INK(インク)を意味する。ナイキ、モンクレール、コーチなどなど錚々たるブランドとのコラボレーションもおこなっている。
http://krink.com/
クレイグ “KR” コステロ
グラフィティライターやスケーターに囲まれた、80年代のクイーンズで育つ。サンフランシスコのシーンでキャリアを積み、現在はブルックリンを拠点に活動するグラフィティ・アーティスト。インクの垂れるさま(ドリップ)をモチーフに唯一無二のスタイルを築き、通常のインクメーカーとは一線を画した、ハンドメイドのペイントブランド「KRINK(クリンク)」を創業。KRINKはクレイグのタグネームであるKR+INK(インク)を意味する。ナイキ、モンクレール、コーチなどなど錚々たるブランドとのコラボレーションもおこなっている。
http://krink.com/