パックマン誕生40周年記念、開発者・岩谷徹氏インタビュー
DESIGN / FEATURES
2020年9月14日

パックマン誕生40周年記念、開発者・岩谷徹氏インタビュー

メディコム・トイ|MEDICOM TOY

「ゲームを創るということは人の心を知ること」

Text by SHINNO Kunihiko|Edit by TOMIYAMA eizaburo

いまなお世界で愛されるパックマンの開発秘話

2020年5月22日に誕生40周年を迎えたバンダイナムコエンターテインメント(当時、ナムコ)のアーケードゲーム『パックマン』。日本でのリリースからわずか約半年(1980年10月)でアメリカに進出し、当時放送されたハンナ・バーベラ・プロダクション制作のテレビアニメは最高視聴率56%以上を記録。2012年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の常設展示コレクションに加わり、2015年公開の映画『ピクセル』では大々的にフィーチャー。いまなお世界中で知られる、日本産コンピュータゲームのひとつとして愛され続けている。
今回は40周年を記念して、生みの親であるゲームクリエイターの岩谷徹氏(現・東京工芸大学名誉教授)にオリジナルのアーケード版開発秘話、キャラクターやステージのデザイン、キャラクターグッズについて貴重なお話をうかがった。
岩谷徹/Toru Iwatani
1977年、ナムコ入社。ナムコ初のオリジナルビデオゲーム『ジービー』の開発にかかわる。のちに開発した『パックマン』は、世界中でリリースされて大ヒットとなり、「世界で最も成功した業務用ビデオゲーム機」としてギネスブックから認定された。『リブルラブル』『ドラゴンバスター』『源平討魔伝』『タイムクライシス』など、数多くの作品に携わる。現在、東京工芸大学名誉教授 。
世界的なヒットになるとは思ってもいなかった
──『パックマン』誕生40周年おめでとうございます。まずはいまの気持ちをお聞かせください。
「コンセプト/企画」の狙い通り、日本の女性やカップルたちに何ら抵抗感も無くすんなりと受け入れられ、キャーキャーと声を発しながら楽しんでプレイしてくれているのを見て、日本ではヒットすると思いましたが、スリリングでエキサイティングなゲームを求める海外の人には受けないと感じていました。しかし、シンプルなゲーム性と可愛らしいキャラクターで老若男女に支持されたのでしょうか、世界でのヒットは予想をはるかに越えましたので大変驚きました。
ゲームをされる世界の皆さんには永く愛して頂き、とても感謝しております。いつも代表してお答えしておりますが、一緒に開発したメンバーや営業・販売した方々にも大変感謝しております。
──1980年に『パックマン』を開発する際、「女性やカップルをターゲットにしたもの」というコンセプトだったとうかがっています。
パックマンの企画を開始する前の年に出したビデオゲーム「GEE BEE(ジービー)」で、難しいゲームは受け入れられないと知り、「フジカシングル-8」(富士フイルムが1965年に発表した8mmホームムービーシステム。女優の扇千景を起用し、使用感の手軽さを謳った広告が話題になり大ヒット)のCMでの「私にも写せますゥ」が頭の隅にありましたので、パックマンのコンセプトを『このゲームなら「私にもできそう」』と置き換えて考えて、「わたしにもできそう」をコンセプトのキーワードとしてゲームデザインしました。

多くの制約のなかで生まれたキャラクター

──データの制約がある中、ドット絵で表現されたデザインの数々はいま見ても素晴らしいです。当時の制作環境はどのようなものだったのでしょうか。
ヒューレッド・パッカー社の「HP64000」での開発でした。機能制限はゲーム機の中に入るコンピュータボード(基板)のハード仕様によります。「パックマン」はCPUがZ80で、256色中の16色が使用できました。シンプルなデザインを目指していましたので色数的には十分でしたが、動かせるオブジェクトの大きさが16×16ドットの制限がありましたので、16×16ドットの中でどうやって丸みを出すかに苦労しました。当然ですが、現在のゲームに出て来るような豊かなキャラクター表現は不可能でした。
ただ、ゲーム機の高性能化によって、その表現力や奥行きは増々豊かになってきましたが、豊富なデータ量に頼りすぎていると懸念しております。俳句のように研ぎ澄まされた、必要最小限の情報から想像力を掻き立てイメージすることは人々の喜びでもあります。例えば、人々は小説を読んでもその時々の情景を頭に浮かべながら読み進めています。ゲームに限らず、映画もアニメーションなどを鑑賞している時に、イメージする間もなくシャワーのように多量のデータを浴びてばかりいると、イメージするチカラが衰退していくのではないかと危惧しております。それ故、今後のゲームには、多量のデータに頼らずに人間のイメージする能力を引き出し鼓舞するようなゲームを期待しています。

世の中の悪を食べ尽くすといったイメージ

──バンダイナムコエンターテインメントの顔であり、アメリカでは「80年代のミッキーマウス」とまで賞賛されたパックマンのデザインについてお聞かせください。絶妙な口の大きさ、省略された目など、あのかわいらしさはどこまで計算されたものだったのでしょうか。
パックマンの性格は余り感情の無い「只々食べる」生き物で、悪いと思えば警官の拳銃さえも食べてしまうような、世の中の悪を食べ尽くすといったイメージでした。感情を表現しないように目も付けませんでした。「わび・さび」とまではいきませんが、シンプルな不足の美を目指したデザインです。そのシンプルなデザインがゲームであることを示すアイコンにもなったのだと思います。
──岩谷先生の前作ゲーム『CUTIE Q(キューティーキュー)』(79年)のキャラクターデザインにも通じるものがあります。
たとえ悪役の敵であっても、女性に対し嫌悪感を与えないように親和性のある可愛い印象のキャラクターデザインにすることを常に心がけていました。「キューティーキュー」のタイトルのネーミングは、楽曲の「Susie Q」(1957年発表されたデイル・ホーキンスの曲)から来ています。出て来る「ウォークマン」というゲームキャラクターも、コミカルな歩き方をして親近感を与えるようにしました。商標を取っておけば良かったですけど(笑)。そして、「パックマン」のゴーストは子供の頃に見た「オバケのQ太郎」のQ太郎を性格も含めて見本としました。パックマンとゴーストの関係性は敵対関係の薄い、憎めない適役としてゴーストを設定していますので、これはTVアニメーションの「Tom&Jerry」の影響を受けております。
──過去のインタビューによると、岩谷先生は『パックマン』を開発中から早くもTシャツ、ぬいぐるみなどのキャラクターグッズを自作されていたそうですね。
学生の時からTシャツに絵を描きアイロンプリントして自己表現していましたので、開発中にパックマンのキャラクターをアイロンプリントしたTシャツや、ゴーストの縫いぐるみを手作りするのは自然でした。また、ビジネス的な確証もないのにキャラクターグッズ展開を構想していました。米国でTVアニメーション(最高視聴率56%を記録)が放映されたり、レコードがヒット曲(原題:Pac-Man Fever,ビルボードHOT 100で9位)となった時には、ゲームメディアを越えた展開をしたと思いました。

パックマンではなく、パクエモンになっていた可能性もあった!?

──ネーミングの由来についてもお聞かせください。「PAC-MAN」というタイトルは海外市場も考慮して選ばれたのでしょうか。
一番大事なパックマンの食べる音のサウンドエフェクトについては、「パクパクと食べる」という日本の典型的な擬態語である「パクパク」という音を示しましたので、ネーミングは「パックマン」しかないと考えていました。しかし商標調査しましたら、おもちゃメーカーのトミーさん(現:タカラトミー)が商標登録していたため、使用許諾の交渉をしました。もし交渉が上手くいかなかった場合、次の候補は何故か「パクエモン」でしたので交渉が成立して良かったと思っています。
海外市場については、当初ゲーム機タイトルのアルファベット表記を「PUCK MAN」としてスタートしたのですが、米国進出の際に「PAC-MAN」に変更してその後はワールドワイドで統一しました。
──レッド、ブルー、ピンク、オレンジのゴーストにそれぞれの性格や動きの特徴があることも、ゲームのおもしろさを高めてくれる要因でした。
プログラマーの舟木茂雄氏が、絶妙なゴースト・アルゴリズムを考えてくれました。もしも4匹のゴーストが、パックマンの現在位置を常に追いかけるという同一のアルゴリズムでプログラミングされていた場合、ゴースト達は数珠繋ぎになってしまいスリルがありません。そこでパックマンの周囲、四方八方にゴーストが配されるようにAI的アルゴリズムを導入しました。1匹目の赤いゴーストはパックマンをめがけて追いかけ、ピンクのゴーストはパックマンの口先32ドット先を目指していく先回り役です。ブルーのゴーストは、パックマンを中心とした点対称の場所を目指して動きます。オレンジのゴーストは、パックマンに近づきすぎると、自分のポジションに向かうという動きをします。女性に親近感を持ってもらうためカラフルなパステル調の色合いにし、特にピンクはサンリオ・ピンクに寄せました。
また、時々ゴーストが追いかけるのを止めて反転して、迷路の四隅(自分のポジション)に散らばり、その開放時間の時にふっと緊張をゆるめる事ができるなど、プレイヤーにストレスを溜めない工夫が随所にあります。

キャラクターデザイン、動き、ルールに込めた思い

──ゴーストに目玉があることにも理由があるとか?
パックマンがイジケゴースト(パワークッキーを食べて立場が逆転した時のゴースト)を噛みつくだけにして殺さないようにしたのは、小さな子供たちでも安心してプレイできる印象を母親にも訴求できていると思ったからです。また、噛みつかれたゴーストは目玉になって巣に帰って行きゴーストに蘇生します。これを見て、当時の社長は「輪廻転生」と感想を述べていました。年配の人はそう考えるのだと関心もしました。
──ゴーストから逃げていたパックマンが、パワークッキーを食べると一定時間逆転するというルールは、どうやって思いつかれたのですか?
ゲームの最初から最後まで敵に追いかけられてばかりですと、嫌な気持ちになってストレスがたまってしまうため、パックマンとゴーストの追いかける立場が逆転するパワークッキーの要素を加えました。このアイデアはTVアニメーション「Popeye」のホウレンソウのような役割で、その立場が逆転した時にゴーストをたくさんやっつけると、気分がスッキリとするように設計しました。
──ボーナスフルーツ(チェリー、ストロベリー、オレンジなど)のデザインについてお聞かせください。
映画でしか見たことがなかった、ラスベガスにあるカジノの魅惑の世界観に憧れがあり、スロットマシンやビンゴピンボールを、メダルゲーム専門店(通貨としてのコインではなくメダルというトークンで遊べるシステム)で、新入社員の頃から徹夜で同僚とプレイしていました。ビンゴ・ピンボールはゲームフィーチャー(ルール)が多く詰まっていて、大変勉強になるゲーム機です。その際にみたスロットマシンのチェリーの図柄が余りにもかっこよくて、食べるゲームのパックマンに相応しいとして用いました。
──ステージのデザインも、40年前とは思えないほど洗練されています。特にワープトンネルの存在は、このゲームを別の次元に連れていってくれる画期的なシステムでした。
女性は「迷路ゲームだ」と感じてしまうと、難しそうなゲームだと思ってしまい敬遠してプレイしてくれません。そこで背景を黒にして、壁を青いネオン管のように迷路がスーッと黒に溶け込むようにデザインして壁が目立たないようにしました。
ワープトンネルは、ゴーストに囲まれて窮地に陥った時に、敵の居ないエリアにワープ出来るようにとの救済仕様として設けました。トンネルの中ではゴーストのスピードが遅くなって引き離すことも出来ます。
──『パックマン』を完成させるまで一番大変だったこと、いま考えてもよくできたなと思うことを教えてください。
昔の楽曲と現在の楽曲とではテンポが随分と変わってきているように、昔のゲームのテンポも遅くて、今プレイするとイライラするほどです。それ故、パックマンの開発中のパックマンとゴーストのスピードも遅めでスピード感に欠けスリルがありませんでした。プレイヤーに易しい設計でしたので仕方がないのですが、これでは余りにもスリルが無さ過ぎると思い、全体的にスピードを倍の速さにした決断は、よくできたなと今でも思っています。

世界中で爆発的なヒットをした理由

──アメリカでは衣類、ランチボックス、ハンドヘルドゲームなどの関連グッズが大ヒットし、2005年に「最も成功した業務用ゲーム機」としてギネス世界記録に認定されています。海外での人気につながった理由はどこにあると思われますか?
海外でのヒットは、シンプルなルールとシンプルなデザインとシンプルな操作性が、「私にもできそう」と思われたからで、プレイしてみると、波状攻撃ルーチンやパックマンとゴーストのスピードの相対関係等のゲームバランスなど、今振り返ると「何も足せない・何も引けない」絶妙の設計だったからだと思います。
──2012年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の常設展示コレクションに加わりました。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)の常設展示は、キュレーターの方が絵画などと違って「プレイ可能な状態での展示こそがゲームの正しい展示方法である」とゲームの本質を理解されての展示が素晴らしいです。これは2015年に現地に行った時に撮った写真ですが、プレイしている手元が写っていないのが素人だなと反省しています。
──これまで数々のアパレルやグッズ、BMWの広告起用、世界20本限定のラグジュアリーウォッチ(ロマン・ジェローム)などが発売されてきましたが、岩谷先生が最も思い入れのあるライセンス商品はどれでしょうか。
全てのパックマングッズを知っている訳ではありませんが、いいなと思ったパックマンキャラクターグッズは、パックマン電話機です。パックマンの口が閉じている状態から、電話として使用する際に口を開いてボタンを押して通話をするシステム性とデザイン性がパックマンの特徴を良くつかんだキャラクター商品だと感心しました。
海外発売されたパックマンのキャラクター商品。右上に写っているのがパックマン電話機。
※写真は1980年代に北米で発売されたパックマンのキャラクター商品の一部であり、現在は発売されておりません。(個別の商品に関するお問い合わせはご遠慮ください)
──2015年公開の映画『ピクセル』でも、パックマンはポスターや予告編で大々的に使われていました。デニス・アキヤマ氏が演じたイワタニ教授、そして岩谷先生ご本人のカメオ出演シーンも話題になりました。5年経ったいま改めてオファーを受けた感想、本作で印象に残っている出来事などお聞かせください。
「ハリーポッター」の監督でもあるクリス・コロンバス監督(Chris Columbus)からは、丁寧なビデオレターや絵コンテが事前に送られて、「手がパックマンに食べられるけどいいですか?」と随分と気に掛けてもらいました。出来上がった映画もとても面白く何度でも観られます。ゲームキャラクターのCGと実写の合成も違和感なく素晴らしいです。
撮影現場には7日間ずっと監督の横にいることができ、数々の勉強をさせてもらいました。 映画館を再現したスタジオで、作品に求められている「ある場面の黒」の「黒」を時間を掛けてデジタル調整しているのを見てとても感心したのですが、「今の若い人は映画を平気でスマートフォンで観るしな」と思ったりしました。
──今回40周年を記念して、メディコム・トイからBE@RBRICKやTシャツ、マグカップ、ショッピングバッグ、ラグマット、スケートボードが12月に発売されます。ご覧になった感想はいかがでしょうか?
メディコム・トイ様、そしてBE@RBRICKの商品ラインアップになって大変光栄に思っております。ありがとうございます。
センスが溢れていて、若い人たちに訴求すると思いました。RUGって敷物なのですね。ゲームキャラクターと知らずに手にするようになればいいですね。
BE@RBRICK PAC-MAN 100% & 400%
サイズ|各全高約70mm (100%) / 280mm (400%)
価格|100% & 400% 1万2000円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
BE@R TEE

サイズ|S/M/L/XLの4サイズ展開
価格|4500円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
BE@RBRICK HOODIE SWEAT SHIRTS

サイズ|S/M/L/XLの4サイズ展開
価格|9500円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
SHOPPING BAG

サイズ|W300mm×H225mm
カラー|RED/BLUE
素材|POLYESTER
価格|2500円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
RUG

サイズ|W760mm×H500mm
カラー|RED/GREEN
素材|ACRYLIC
価格|1万5000円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
BE@RBRICK iPhone CASE for iPhone 11

サイズ|FREE
素材|POLYCARBONATE+SILICON RUBBER
価格|4500円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
RAMEN DONBURI

サイズ|φ200mm×H85mm
素材|CERAMIC
価格|6500円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
BE@RMUG

サイズ|H110mm×W130mm
素材|PORCELAIN
価格|3800円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
MLE PAC-MAN シリーズ
SKATEBOARD DECK

サイズ|W205mm×H820mm
素材|WOOD
価格|1万5000円(税別)
発売日| 2020年12月発売・発送予定
※監修中のサンプルを撮影しております。発売商品とは一部異なる場合がございます。
(C) BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
PAC-MAN™️& (C) BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
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──最後に、岩谷先生が『パックマン』を開発してよかったなと思えることを教えてください。
プレイヤーに対する思いやりとサービス精神を第一に、至れり尽くせりのゲーム設計をしています。「楽しさ第一主義 = FUN FIRST」の考え方で、ゲームの「興味を持続させるチカラ」がゲーム以外の分野で応用・活用され社会の問題を解決する時代になっています。
パックマンを含めてゲーム開発に携わったおかげで、東京工芸大学にゲーム学科を設立することもでき、日本デジタルゲーム学会(http://digrajapan.org/)も立ち上げられました。ゲームに対する良し悪しが取り上げられますが、様々な学問が集合したゲームを色々な角度から体系的に検証していく土台が出来ました。
「ゲームを創るということは人の心を知ること」という気持ちを持って頂けると、もっともっとゲームの世界は広がって行くと考えます。
問い合わせ先

メディコム・トイ ユーザーサポート
Tel.03-3460-7555

                      
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