カリフォルニアデザインの新しい息吹(中編)
ガラス工芸の本場イタリア・ムラノを経て、カリフォルニアの豊穣な大地で華開いたガラスアーティスト、ケイレブ・シーモンのインタビュー2回め。故郷、南カリフォルニアの地に帰った彼は自身のスタジオを構え、いよいよ本格的な作品制作に没頭していく。そのモノづくりの原点とは?
photo&text by Aya Muto
Setting up the first studio.
カリフォルニアのトレーラー工房
1999年にカリフォルニアにもどり、工業スペースに工房を見つけるまでのひと月だったかな、父の家に居候をしてたのは。放置されていたふるい修理工の工場を見つけ、50年代のふるいトレーラーを買い、そこに乗り入れ、僕のいちばん最初のアシスタント(さっき庭にいたブライアン)のためにもうひとつトレーラーを買って。ブライアンはあっちのトレーラーに、僕はこっちのトレーラーに暮らしはじめたんです。ブライアンとは学校(RISD)からのつきあいで、一緒にイチから工房を作りはじめたんですね。一年ほど四苦八苦したころ、いろんな支払いをこなすために、ガラスを吹きつづけて、それを売ろうと画策して、夜には家計簿をつけて、もっと設備を整えたりして。かなりすごい状態でしたね。そんなころ僕の妻のカルメンが引っ越してきて。彼女ともRISDで出会ったんですけど、彫刻科にいたカルメンは金属仕事に慣れていたから、いろいろな溶接を手伝ってくれて。明けても暮れても働きっぱなしでした。一日じゅう、一晩じゅう。そんななか、ボルチモアでやってたトレードショーに出展したんです。アメリカのクラフトが集まるショーでした。僕はいくつかの商品をライン化して、一緒にしてしっくりくるものはまとめてみせてみたんですね。そこでオーダーをとりはじめたんですけど、アメリカじゅうのギャラリーが来ていたし、順調に注文がついていったんです。その瞬間かな、やっと「これでやってゆける」と確信がもてたのは。これをビジネスにできる、ってね。そこからはもうぐんぐん伸びて行きましたよ。
ガラス仕事の魅力のひとつはチーム作業であるところ。意思疎通が頻繁に行われ、そこには独特のエネルギーが流れている。たとえば僕がベンチに座って、アシスタントがパイプを吹いてくれていたり、そのパイプをまわす人がいたり、色をいれてくれる人がいたり。仕上げのプロセスでも、研ぎや磨きの作業を担当する人がいて。時間をかけていまのメンバーを集めていきました。とにかく仕事場は肌が触れあうようなちかさで動かなくちゃいけなくて、密度が濃い作業だから、同僚とほんとうに気があわないとむずかしい。一日じゅうこうしてちかくに立って作業しなくちゃいけないですから。同じ波動っていうんですかね? そういう人を見つけ出すのは、ほんとうに化学反応を見極めるようなものでした。運よく僕はこれだけの素晴らしい人材を集めることができましたけどね。みんなガラスを吹くのが好き、という共通の情熱をもっているし、気のあう仲間たちだから、うまくいくんですね。
Life with a view.
カリフォルニアの海に抱かれて
2003年に工房をいまの場所に移し、かなり大きなスペースになったんです。徐々に売り上げも伸び、工房としての成長が着実なものになってきていて、はじめてちゃんとした利益が出てきたから、設備に投資したかったんです。そうすれば長い目で見てもみんなにも安全だし、換気をよくしたりとか、とにかく仕事環境の向上を目指したんです。新しいロケーションはじつは僕の父のジュエリー工場の一角にあるんですが、広い敷地のほんの一部を貸してもらっていて。でも景観には気を使ったんです。スタジオからは大きな庭に開けて、大きな芝生エリアを設けたり、木を植えたり、果樹を植えたりして。それからそれまで住んでいたトレーラーを持ち込んで、ちょっとくつろげるようなエリアにしたりして。とにかくよりよい制作環境を築けるようにいろいろ設備投資を行ったんです。そのほうがみんなにとっても安全だし。それに外を見れば草があって、木があって、もっとインスピレーションを感じやすい環境だし。仕事をするには素晴らしい場所なんですよ。
――自分の工房はカリフォルニアで、って決めていたんですか?
僕は東海岸の高校にいったし、大学も東海岸で、その後すぐにイタリアに2年間いっていたから、あわせて10年間くらいカリフォルニアから離れていたんです。その10年は家族と十分に時間を過ごしていないな、と思っていたし、そろそろもどって家族と……とくに祖父母との時間をもちたいな、と考えたんです。それに海が恋しかった。子供のころからここ西海岸でサーフィンをしたり、釣りをしたりして育っていたから、またそういうことができるところにもどってきたかったんですね。
――ケイレブの作品に、カリフォルニアという場所のもたらす影響がでていますか? 気候とか、暮らしている環境とか。
うん、たぶん作品にはなんらかのカタチで僕がここに住んでいることが影響していると思います。南カリフォルニアは美しいエリアでもあると同時に、あまりきれいじゃない部分もあるという特殊な地域で。結局自分で見いださなきゃいけないんだよね。でも大きく開けたエリアであることは確か。大きなスペースがあって。海に面しているし、たまにヘンな気持ちになるんですが、アメリカという国すべてが西へ向かって、この海岸に行き着いて、ここで終わる。ここが水に変わってしまう境界線。巨大なオアシスの淵というか。巨大な無の領域のはじまりでもあり。いろんな土地に暮らしてきて、その境界線が、海がそこにあるというのがとても心地よいものであることに気づいたんです。街に囲まれた大都会とか、海がどっちにあるかわからないようなところにいくと、たまにぴりぴりしたり、落ち着かなくなったりする。海がそこにある、ってわかっているだけで、安心するんですね。たとえばどんなに暑い日でも、あそこにいけば涼しいということを知っているし、渋滞でつまっているようなときも、あそこにいって見わたせば何一ひとつない世界が広がっている。究極の平和ですよね。こんなにちかくに究極の混沌があってもね。少なくとも海がそこにあれば――。
またここには美しい日没風景がある。僕自身サーフィンをして過ごす時間がながいので、水を見ていたり、沖から陸のほうを見たり、空を眺めていたり。ここでは多くが開けた景色で平らだから、いろんなものが大きな地平線と平行な領域で存在する。色やそのグラデーション。そんなものが僕の作品に大きな影響をもたらしていると思います。だって僕の作品では大きな色の平行線的領域を用いてフォルムをつくることが多いですから。それからガラスのもつ最大の面白さは、その透明性。透明性を生かせる素材はほかにはあまりないですよね。不透明な色だけではなくて、透明な色も使って器づくりができるんです。海や空やかさなりあって違う色を織りなすすべてが、表現に変わる。庭を見てもらえばわかると思うけれど、僕は植物にも興味があって。重なり合ったり、光が差し込んでいたり。とにかく目を開けて、物事をありのままに見れば、それがインスピレーションになる。僕はそうやって、ただたんにものを見るという行為を大切にしているだけなんです。ちょっと時間をおいて、その物の美しさを見つけてあげれば、まわりはインスピレーションだらけ。そういう意味でこのエリアに住むということは僕の作品づくりの大きな活力になっているんです。
Caleb Siemon
1975年、南カリフォルニア生まれ。10代の頃より父親のジュエリー産業を手伝ってデザインしたり、陶芸に興味を持つなど、モノ作りがそばにある環境で育つ。1993年に「RISD」に入学。アメリカ、ニュージーランド、日本、スコットランドなど世界各地でガラス工芸を学ぶ。その後、イタリア・ムラノ島にわたり、ピノ・シグニョレット氏に2年間師事。1世紀以上続く本場のガラス工芸を吸収。1999年、南カリフォルニアに自身のスタジオ「UNITED GLASS BLOWING」を設立。現在は、サンタアナの地で作品制作に励んでいる。