Secrets behind the Success|連載第6回 「USM」代表取締役 アレクサンダー・シェアラーさん
DESIGN / FEATURES
2015年4月14日

Secrets behind the Success|連載第6回 「USM」代表取締役 アレクサンダー・シェアラーさん

ビジネスパーソンの舞台裏
第6回|アレクサンダー・シェアラーさん(「USM」代表取締役)

時代を超越するモノづくり(1)

ビジネスで成功を収めた成功者たちは、どう暮らし、どんな考えで日々の生活を送っているのだろう。連載「Secrets behind the Success」では、インタビューをとおして、普段なかなか表に出ることのない、成功者たちの素顔の生活に迫ります。

基本的なパーツはボール、チューブ、パネルという、わずか3つのUSMモジュラーファニチャー。誕生は1965年のスイスで、いまから半世紀近くも前に遡る。6方向に接合用ホールを設けた点(=ボール)に線(=チューブ)を連結していき、面(=パネル)を嵌めて立方体を作る。それらを組み合わせていけば無限のバリエーションが生まれるという斬新な発想のシステム家具だ。今日では世界各国に愛用者がおり、日本をはじめ、ドイツ、フランス、アメリカにも直営会社を展開するUSMグループを率いるのがアレクサンダー・シェアラーさん。スイスから来日中だった彼に、USMの魅力や経営哲学、プライベートなことを聞いた。

Photographs by NAKAMURA Toshikazu (BOIL)
Text by TASHIRO Itaru

独創的で革新的なUSMモジュラーファニチャー

家具前面のパネルに、ベージュとピュアホワイトの2色をセレクトし、市松に組み合わせることで、春の穏やかな光を表現した――そんな想像から優しい気持ちになるUSMモジュラーファニチャーが丸の内の直営ショールーム店頭にディスプレーされている。その傍らで柔和に微笑むアレクサンダー・シェアラーさん。

「これは『時代を創造するモノづくり』を掲げて、日本人の美意識を現代のプロダクトに反映するアーティスト、丸若裕俊さんの『丸若屋』に作っていただいたインスタレーションの一種です。このベージュとピュアホワイトの組み合わせは、日本的でとても静かな印象。目にした人を穏やかな気持ちにさせてくれる。USMの製品は、存在するだけで皆の関心を惹きつけて主張するデザインチェアのような家具ではありません。そうした特徴を日本人の感性でうまく引き出してくれていますね。そう、ときに静けさを好む日本人そのもののようでもある。

アレクサンダー・シェアラー1

2階にはオレンジ、ベージュ、赤、そしてグレーのグラデーションの家具を展示しているのですが、これらのインスタレーションによって、私たちのUSMモジュラーファニチャーを別の文脈で体感することができます。おなじ製品でも、これほどちがった印象を受けるというのはとても面白い発見。どんな環境の、どんな空間にもUSMはマッチすることも、改めて実感していただけると思います」

構造がシンプルな分、自在にアレンジすることができ、家庭でも、オフィスでも、個々の好みに応じてカスタマイズすることができる。この汎用性こそがUSM最大の魅力。それがおよそ半世紀も前に開発されたアイデアだという事実に改めて驚く。

アレクサンダー・シェアラー2

アレクサンダー・シェアラー3

「USMとわたしはおなじ歳なんです」

そう言って笑うアレクサンダー・シェアラーさん。彼の生年もまた1965年だ。

「非常に少ない基本構造からなっている。それが私たちの強みであり、成功したひとつの大きな要因。だからこそ、誕生のころからなにも変えずに半世紀近くもつづけられたのだと思います。ハイクオリティというだけでなく、それほど長い年月に耐えうるデザイン性も兼ね備えている。50年以上経ったいまでもモダンで、最初に購入してから年月が経っていても、拡張したいと思ったならいつでもできる。ずっと使いつづけることができる。『USMの家具は高い』と感じる人がいるかもしれませんが、長い目で見れば、とてもエコな買い物だと言えるでしょう。

アレクサンダー・シェアラー4

変わっていないとはいえ、目に見えない技術的な部分、たとえばドアの開閉部に使うヒンジのようなパーツは、もちろん少しずつ改良を加えています。サスティナブル(持続可能)であると同時に、厳しい品質管理も行っている。3つのパーツ以外にも、さまざまなオプションがあって、それらは随時追加されてきましたし、スイスにある唯一の工場で行われる生産工程では効率化や環境負荷の軽減など、常に商品をより魅力的なものにしていく努力を積み重ねてきました。その微調整があるからこそ、おなじ製品でも長く支持されているのだと自負しています。

すべての製品を一気に改良するのは大変ですが、そういう意味でも、基本構造がシンプルというのは非常に大きな利点。私たちの場合は、ある部品の一部を改良することで、それが達成できますから。製品の鮮度を保つという意味でも改良は大切ですし、生産工程の改善も今日の企業としては当然、必要なことだと考えています」

ビジネスパーソンの舞台裏
第6回|アレクサンダー・シェアラーさん(「USM」代表取締役)

時代を超越するモノづくり(2)

創業150年の歴史を積み重ねてきたファミリー企業

アレクサンダーさんはシェアラー家の4代目。USMはこれまで、シェアラー家が代々営むファミリー企業として歴史を積み重ねてきた。

「創業は1885年なのですが、当初は窓の部材や鍵などの金属部品を作る会社としてスタートしました。その後、3代目で社長に就任したのがわたしの父、ポール・シェアラー・ジュニア。父が建築家のフリッツ・ハラーと知り合うことで、会社は大きな転換期を迎えます。ハラーに新しい技法を使って自社の新工場を設計してもらい、それを基に、新しい製品としてUSMモジュラーファニチャーが生み出されたのです。その経緯はなかなか面白いですよ。

フリッツ・ハラーは建築デザインの専門家。父は、わたしもそうなのですが、エンジニア。より技術的な部分を担当していました。父とフリッツの二人で畑がまったくちがう、というのが重要なポイントだったんですね。例えば、父が思いついたアイデアは、技術的には優れているかもしれないけど、デザイン的にはどうかわからない。その足りない部分をフリッツが埋めることで、機能面も素晴らしいし、デザイン面も素晴らしいというUSMモジュラーファニチャーはでき上がったのです。

アレクサンダー・シェアラー5

USMモジュラーファニチャーショールーム
東京都千代田区丸の内2-1-1 丸の内MY PLAZA 1・2F
Tel. 03-5220-2221
http://www.usm.com/ja-jp/

アレクサンダー・シェアラーさん6

その後、スイス国内のみのビジネスから世界での販売も積極的に行い、国外での売り上げが、80%を占めるようになっていきました。USMが大きく発展していった時代です。わたしの代になって取り組んでいるのは私たち自身の足で現地へ赴き、その場所でじっくり腰を据えてブランドの知名度や地位を確立していくということ。それまで、ヨーロッパ圏以外の国での販売は現地の代理店に任せっきりだったんですね。けれど、それでは望むような結果は得られないとわかった。新しい市場も、次から次へと増やしていくという発想ではなくて、きちんと結果を出してから次の市場に進むスタイルを取っています。

いまはイギリスとオーストラリアという2つの市場で新しいプロジェクトが進行中。詳しいことは未だ明かせませんが、それぞれの市場と流通の仕組みを調査して、戦略や宣伝プランを練っている。きちんと精査してから物事を進めるようになった点も、大きく変えたところですね。いまはただ売ればいいという時代ではありませんから」

今日では世界40カ国以上で販売されるUSMモジュラーファニチャー。しかし、シェアラー家が家族経営で培ってきた精神は連綿と受け継がれている。

アレクサンダー・シェアラー7

アレクサンダー・シェアラー8

「それは創業から150年経ったいまも変わりませんよ。私たちが新しい従業員を雇うときは、ただの従業員としてではなく、新しい家族を迎え入れる心持ちで雇うんです。一緒に仕事をするなかで、彼らは実際にどんどん“ファミリー”の一員になっていきます。もちろん良い意味で、ですよ。マフィアのような意味ではなく(笑)。それは会社にもプラスに働いています。家族のためなら、ということで、みんなとても熱心に仕事に取り組んでくれる。もちろんプラスがあれば、マイナスもあるということで、家族が言い争いをするように、みんなで話し合いをしているうちに、口論になることもときにはあります(笑)。けれど、それだけ各人が会社を愛しているということにほかなりません」

ビジネスパーソンの舞台裏
第6回|アレクサンダー・シェアラーさん(「USM」代表取締役)

時代を超越するモノづくり(3)

世界を相手にビジネスを展開するトップの個人的な楽しみ

製品を世界で展開する企業のトップとして、海外に出向く機会も多いアレクサンダーさん。そんな彼だから、お気に入りのレストランもワールドワイドだ。

「ニューヨークにある『フォーシーズンズ・レストラン』は好きですね。ホテルグループのフォーシーズンズではなくて。シーグラムビルのなかにあるんですが、建築家のフィリップ・ジョンソンが建物を手がけ、内装はミース・ファンデル・ローエが担当しています。1950年代後半の家具で統一されていて、快適で居心地も良い。歴史的なエピソードもたくさんあったようで、一種の歴史的建造物に指定されています。それとは逆に、お気に入りのホテルは現代的なデザインです。スイスのマッターホルン山麓ツェルマットに建つ「オムニア」。実はUSMが所有するホテルなんです。全部で30室あるのですが、大きさも家具の配置も、1室1室ちがっていてなかなか面白いですよ。

フォーシーズンズ・レストラン1

「フォーシーズンズ・レストラン」
99 East 52 Street New York, New York 10022
Tel. +1-212-754-9494
http://fourseasonsrestaurant.com

フォーシーズンズ・レストラン2

「ホテルオークラ東京」
東京都港区虎ノ門2-10-4
Tel. 03-3582-0111
http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/

日本で楽しみにしているのはなんといっても日本食。日本食が大好きなんです。特に寿司。定宿が『ホテルオークラ』ですから、ホテルのなかにある『久兵衛』にはよく行きます。今回ももう行きました。今晩は、日本のスタッフみんなとしゃぶしゃぶ(笑)。ホテルオークラといえば、確か、フォーシーズンズ・レストランとほぼおなじころに建てられたはず。それだけに、どちらもおなじモダニズム・デザインの印象を強く受けています。もちろん、オークラには日本的な解釈が多分に加えられていますが、バーに行くと特にフォーシーズンズと相通じるものを感じます」

愛犬ジャック

ディナータイムでもデザインを意識する姿勢に、仕事に対する熱意と愛を感じる。愛する仕事を忘れてひととき、ホッとする場面で、いつも隣にいるのは愛犬のジャック。

「ジャック・ラッセルだからジャック。ユニークでしょ(笑)? 普通のジャック・ラッセルよりも足が長くて、よく走るんです。わたし自身、歩くことが好きで、煮詰まったりすると、どこかに散歩に出かけて気分を紛らわせることが多いので、どこにでも付いてきたがるジャックは、いつも一緒。よく山へ散歩に出かけています。それがわたしのお気に入りの休日の過ごし方。

彼といるときに吸うのが葉巻で、わたしがボールを投げ、彼がそれを取りにいっている間に、吸って待っている(笑)。デイリーで吸っているのは『パルタガス』セリーです。『コイーバ』は大好きで、良い葉巻を作っていると思いますが、定番ラインだとわたしにはちょっと強すぎるんですよね。だから、お気に入りはもっと滑らかなベイーケ。これを特別なときに吸っています」

彼の休息に欠かせない、もうひとつの趣味がセーリング。スイスの湖で子どものころから慣れ親しんできた。

「いまはレースに出ることもあります。わたしにとっては趣味ですが、一緒に船に乗っている仲間たちにとっては、本業の人もいるし、第二の職業って人もいる。仲間の8割はプロか、セミプロ。わたしが雇っているわけではないんですけど。12~14歳ぐらいの思春期のときに、セーリングではちょっと退屈に感じて、ウィンドウサーフィンをはじめました。スイスの湖では強い風もあまり吹きませんし(笑)。

ウィンドウサーフィンをきっかけにして海に出るようになり、海が大好きになっていきました。そうすると、今度は海と風という恵まれた環境のなかでセーリングをより深く追求してみたくなる。いまはセーリング一本です。海はいいですよ。オープンですし、街にいるときとちがって自由な感覚も味わえる」

セーリングの様子を写した画像をタブレット端末で見せながら目を細めるアレクサンダーさん。促されるままに、彼が指差す船の帆の部分をよく見てみると、そこにはUSMの心臓部であるボールがシンボルマークとして描かれていた。

アレクサンダー・シェアラー9

「穴の空いた、ただのボールなんですけどね(笑)。実物も、こうして持ち歩いています。これがわたしのラッキーアイテム。このボールのお陰で、家族がリッチになった(笑)だけでなく、これがなければ、こうして日本に来ることも、世界のほかの国に旅することもできなかった。そうしたことを可能にしてくれた、幸運の女神だと思っています。わたしはエンジニアだから、迷信は信じないんですけど(笑)。実はわたしが生まれる10日前に、この特許を取得したんですよね。そういう意味で、わたしより10日年上の兄貴みたいな存在です(笑)」


USMの使命として、常にハイクオリティな製品を生産し、ブランドとして一歩ずつ進歩していきたいと語ったアレクサンダーさん。今日もラッキーアイテムであるボールとともに世界を行く。

Alexander Schärer|アレクサンダー・シェアラー
1965年、スイス・ベルンで生まれる。EPFL(スイス連邦工科大学)卒業、エンジニアの学士を取得する。P&Gを経て1993年にUSM U. Schärer Söhne AGに入社。2000年に代表取締役に就任。創業家の4代目経営者として現在に至る。

           
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