建築家・隈研吾が「East Japan Project」と東北の復興を語る(3)|INTERVIEW
SPECIAL INTERVIEW
建築家・隈研吾が「East Japan Project」と東北の復興を語る(3)
建築の原点に、東北で挑む
隈研吾氏のインタビュー第3回(最終回)は、OPENERS読者も疑問におもっているであろう、「なぜ、多くの建築家がさまざまなかたちで被災地の復興支援に取り組んでいるのか」をうかがった。隈氏は、「そこに建築の原点があるから」と答える。
Vol.2「建築家、隈研吾が「East Japan Project」と東北の復興を語る」はこちら
Photographs by SUZUKI Shimpei Text by KAJII Makoto (OPENERS)
世の中が建築家に注目して、建築家はブランドになった
OPENERSでも、さまざまな建築家が東北の復興を目的とした活動をしていることを記事にしてきた。そこにはもちろんさまざまな想いや、意志のようなものを感じるが、なぜ建築家は東北を目指すのだろう。
「建築の仕事は80年代以降、建築家がブランドとして扱われるようになって、依頼者からは“らしい建築”をつくって欲しいと言われることが多くなった」と隈氏は言う。
「建築家がブランド・記号化したことで、我々への仕事の依頼は増えました。確かに建築家の活躍の場は世界へと広がりましたが、じつはコミュニケーションの場は減っている。そのことに建築家は危機感を感じていたのは事実です。ブランド化してフラストレーションを溜めていた建築家は、この大震災によって内在していた“建築の原点”、つまり、地元の人びとと現地が一緒につくるものを求めたのです」と語る。
現地と積極的にコミットして、対話すること
「本来の建築の姿、震災から復興しようとする東北ならもう一度その姿に戻れるかもしれないという想いが、建築家を動かす」という隈氏。
宮城県南三陸町志津川地区のまちづくりのグランドデザインにかかわって、「いままであまり考えたことのなかった、“仮設のプレハブ商店街に負けない温かい建築”を考えることで、何かを発見しつつある」という隈氏は、「建築はときにアートとしてのクオリティを求められているが、商品としての建築ではない志津川地区のまちづくりでは、地元の人たちとミーティングして、夜一緒に飲んで、泊まって、私たちにもその時間を楽しむことが求められている」という。
「志津川地区のまちづくりは、東北のために自分が試されているあたらしいチャレンジだと感じています。現在の東北の復興は場所によってまちまちですが、東北は多様な場所。それぞれちがう回答を見つければいい」
復興へのメッセージ
「震災からの復興に携わることで、再発見したのは、ゆっくりを楽しむということ。これがあたらしい日本のモデルになるとわたしは考えています。日本の良さでもある、ゆっくりの原点が東北にあるし、東北の復興を通じて、日本をもう一度再発見、原点を見つけるきっかけになればとおもっています」
East Japan Project
一般社団法人Ejp事務局
隈研吾建築都市設計事務所内
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青山タワービル12F
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