連載・柳本浩市|第27回 中村裕介氏に「高橋理子」のマネージメントをきく(前編)
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2015年4月24日

連載・柳本浩市|第27回 中村裕介氏に「高橋理子」のマネージメントをきく(前編)

第27回 中村裕介氏に「高橋理子」のマネージメントをきく(前編)

今回のインタビューは、株式会社ヒロコレッジの中村裕介さんです。「HIROCOLEDGE」といえば、OPENERSなどメディアでは高橋理子さんがおなじみですが、今回は彼女のサポートをしている中村さんをとおして、ブランドとデザインのマネージメント、そしてモノづくりの考え方を聞いてみたいと思います。

Text by 柳本浩市

中村氏の「紙」への思いとは?

柳本 まず、中村さんというと「紙が好きな」イメージがあります。その理由と現在の仕事との繋がりを教えていただけますか?

中村 とくに紙マニアというほどではないのですが……、私の実家は東京 墨田区にある製本工場で、特殊製本を得意としています。工場ではその当時、CDのライナーノーツやアパレルブランドのカタログなどを製作していて、それらが束になった光景を鮮明に覚えています。物心ついたころからたくさんの印刷物に囲まれた環境にいたので、紙は身近な存在だったかもしれません。当時、私はジョージ・ルーカス氏に心酔して、アメリカ文化に傾倒しており、中学生のころから70年代を中心にオリジナルの映画ポスターを集めていました。「紙」というものを意識するようになったのはそのあたりからですね。

柳本 HIROCOLEDGE&Co.の折り紙「ORIGAMI FOR CRAIN」もご実家で加工されているんですか?

中村 はい。じつは、今回のこの製品は株式会社NACAMURAのオリジナルプロダクトとして取り組んだ製品です。従来どおりの加工工場としての存在ではない、あらたな可能性を探る試みでした。弊社の高橋理子と、Methodの山田 遊さん(デザインディレクター)と企画しました。

語弊があるかもしれませんが、やはり実家のような加工工場というのは、技術力に付随したオリジナリティの高いアイデアは山のようにあるけれども、そのアイデアを形にするということは苦手です。そもそも、受注産業のため、自らのリスクでものづくりをするという考え方自体がありませんから、クリエイティブな何かを独自に生みだすことはなかなか難しいのかもしれません。

学生時代から、工場としての可能性を感じていたので、将来は家業を引き継ぐつもりで、まずは業界の実情を経験することを念頭に、大手印刷会社に就職しました。入社後はとにかく忙しくて……主に販促物などの商業印刷物の企画・製作を担当していました。4年間勤務したのち、いずれ実家を引き継ぐという考えがあったものの、いま一度勉強をしながら世界を見てみたいという思いもあり、会社を辞めて海外行きを決めました。まずフランスに半年、その後南米に半年。この期間はとにかく多くの場所を訪れ、さまざまな人びとと触れ合いましたね。いま思えば、一心不乱に遊び呆けていたという感じですが、そのなかで、自分自身にプログラムされた固定観念や、思い込み、さらには日本人らしさに否応なく直面して、自らのことをいろいろと深く考えさせられました。

柳本浩市|HIROCOLEDGE 02

TABLE LIGHT REN / TABLE LIGHT EN

柳本浩市|HIROCOLEDGE 04

ORIGAMI FOR CRAIN

アーティスト高橋理子との出会い

柳本 日本に帰国してからは?

中村 戻ってきてからは、すぐに高橋理子の手伝いをはじめました。ものづくりについて熱く語るアーティストという存在に興味をもったんです。ちょうど彼女がパリから帰国して、自身の作品を発表していこうと活動をはじめたころでした。実際、個人では日本各地の工場や職人とのものづくりは一筋縄ではいかず、社会的信用を得るための手段のひとつとして株式会社ヒロコレッジを設立したのと同時に「HIROCOLEDGE」がスタートしたわけです。南米から帰国してから半年後の2006年12月でした。

会社を設立したといっても、何をしていいのかわかりませんでしたね。会社の経営にかかわる実務的なノウハウや、作品をつくって販売する方法はおろか、いま思えば事業をおこなう根本的な目的意識すら曖昧だったと思います。本当に勢いだけで会社にしてしまった感じです。

高橋の専門がファッションやテキスタイルということや、代表的な作品を着物という形で発表していたこともあり、当時のものづくりは、着物や浴衣などの和服や、布製品が主でした。それまでは、高橋が自ら染めたり縫ったりしていたわけですが、ビジネスとなれば、品質も求められ、在庫をもつ必要があります。そのために、さまざまな工場や職人とものづくりをするわけですが、それが予想以上に大変でした。「こんな柄は着物じゃないから染めたくない」と言われることもよくありましたから。

たとえば手ぬぐいを染めるにしても、いつまで待っても染めてもらえなかったり、クォリティが低かったり。実際、いまの染色工場に落ち着くまで、4つの工場を渡り歩きました。現実とはこういうものかと痛い目にもあいながら、経済的にはギリギリな状況でものづくりをつづけていました。そしてようやく、ある程度販売できる製品も増え、さあ、販売に力を入れていこう! と方針を定めた途端に、「ものづくりの目的は売るためではない」と高橋が言い出したんです。

自分でも手を動かし、ものづくりをしてきた高橋にとって、ただ「かわいい」とか、高い安いという基準だけでものを見てほしくないという思いだったようです。ものづくりは、材料を生み出すひとや、道具をつくるひとがいなければ成り立たない。ものづくりの背景を伝えていきながら、つくり手と使い手が互いに敬意をはらえる状況をつくりたいということでした。

会社の体力に余裕などないなかで、販売ということに対して私がロジカルな意見を示しても、彼女の出した答えこそが株式会社ヒロコレッジの正解だったわけです。どこまで行っても高橋理子というアーティストのサポート役なわけですから。

しかし、高橋本人も、ものづくりをすることで何が伝えられるのかということに明確な解答は出せないまま、彼女の考え方や生み出されたものの魅力に、さまざまなひとが集まり、「HIROCOLEDGE」というブランドが形成されていきました。百貨店での催事を頻繁にやったり、ネットショップをはじめたのもこのころです。

柳本浩市|HIROCOLEDGE 05

HIROCOLEDGE × HIDA OMOTESANDO「Takahashi Hiroko exisibition」

柳本浩市|HIROCOLEDGE 06

HIROCOLEDGE × HIDA OMOTESANDO「Takahashi Hiroko exisibition」

劇的な年だった2007年を振り返って

そして、高橋理子の大きな転期となったのが、2007年2月に開催された展覧会「HIROCOLEDGE × HIDA OMOTESANDO」です。老舗家具メーカーの飛騨産業株式会社と世界的な工業デザイナー Enzo Mari(エンツォ・マーリ)氏によって、2003年にスタートした「HIDAプロジェクト」。そのショールームとしてオープンした直営店 『HIDA OMOTESANDO』(当時)が2007年に一周年を迎える際に、店内にて「HIROCOLEDGE × HIDA OMOTESANDO」のエキシビションが開催されました。

店内もすべて手がけたエンツォ・マーリ氏が、当時、自分の家具に合うファブリックを探していて、協力してほしいと飛騨産業の方からお声をかけいただきました。いつも厳しい意見を言うマーリ氏が、高橋のデザインを認めてくれたそうです。良くも悪くも言葉はなく、無言だったそうですが(笑)。クッションなどを提案し、一周年の展覧会の内容にかんしては、半年間にわたり彼にプレゼンをつづけて、無事に開催することができました。

会期中はたくさんの方にお越しいただき、そのときに取材していただいた新聞記事が、デザイナーの三宅一生氏の目に留まり、すぐに連絡をいただきました。「落語家の柳家花緑師匠の衣装をお願いしたい」(2007年8月「落狂楽笑 LUCKY LUCK SHOW」 21_21 DESIGN SIGHT)とのオファーでした。

またこの年には、ミス・ユニバース2007の森 理世さんのナショナルコスチュームも担当しました。まだまだ未熟な私たちにとって、このときに出会った方々は本当に印象深いですね。今後の方向性に悩んでいた時期でもあったので、すばらしい先輩方からいただいた言葉は、いまでも心に残っています。振り返ると、2007年は劇的な年でしたね。

柳本浩市|HIROCOLEDGE 07

KIMONO for Yanagiya Karoku

柳本浩市|HIROCOLEDGE 08

KIMONO for Yanagiya Karoku

中村裕介|NAKAMURA Yusuke

1977年 東京都墨田区生まれ。千葉大学教育学部卒業。凸版印刷株式会社を経て、株式会社ヒロコレッジ設立。高橋理子とともに代表取締役。

株式会社ヒロコレッジ

2006年12月8日設立。高橋理子の視点をとおして、クラフト、アート、デザイン、ファッションなどのジャンルを問わず、「もの」や「こと」をかたちにする組織。独自のものづくりをおこなう「HIROCOLEDGE」や、クライアントとの協業によりものづくりをおこなう「HIROCOLEDGE&Co.」など、高橋理子の手がけるさまざまなプロジェクトのマネージメントのみならず、日本各地の企業の新規ブランド立ち上げから、デザインおよび販売までの一連のプロデュースなどもおこなう。

TAKAHASHI HIROKO
http://www.takahashihiroko.com/

           
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