ミラノデザインウィーク 2018 レクサス展示リポート|Lexus
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レクサスのモノづくりにつながる、
説得力のあるインスタレーション
レクサスが参加するようになって11回目となるミラノデザインウィーク 2018年。今回のテーマは「LIMITLESS CO-EXISTENCE」。スペースデザイナーの市川創太氏が手がけたメインインスタレーションを中心に小川フミオ氏がリポートする。
Text by OGAWA Fumio
完全なる共存の状態
ミラノデザインウィーク 2018が4月に開催された。家具をはじめとするデザインの祭典だ。
なかでもフオリ・サローネとよばれる市内でのインスタレーション(空間を使った展示)は大がかりでコンセプチュアルなものが多く、常に話題を呼ぶ。
2018年のレクサスのインスタレーションの主題は「LIMITLESS CO-EXISTENCE」。ブランドによる“訳”では「完全なる共存の状態」となる。
じつはスペースデザイナーの市川創太氏が手がけたメインインスタレーションを見ると、言いたいことがよく分かる。
真っ暗で真っ暗に近い空間に、およそ1万2000本の糸が垂らされている。光源は一つ。レーザー光線が点くと、その糸がすべて輝きを放つ。
今回のメインテーマである「CO-」(レクサスでは「共」と訳す)を表現したもので、CO-とはコラボレーションやコーディネーションといった単語で見られる接頭辞。
「それぞれが自分の世界の中心であり続けながら「共存(CO-exist)」できるという理想の世界をデザインの力により具現化しています」
レクサスが用意したプレスリリースにはそう書いてある。そういえば同じ会場にはやはり市川氏による315本もの脚を持つストゥールが置かれている。こちらも一つの光源で、すべての脚に光があたるよう設計されている凝りかた。
こういうのが見られるからおもしろいよね!とイタリア人?の一般客の会話が僕には印象的だった。
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レクサスのモノづくりにつながる、
説得力のあるインスタレーション (2)
ミラノデザインウィークの重要性
「ミラノデザインウィークには2005年から参加しています。(今は増えたけれど)自動車ブランドとしては初でした」
そう語るのはLexus Internationalの澤良宏プレジデント。会場のレオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館の一角、カヴァッレリッツェにおいてインタビューに応えてくれた。
「デザインウィークは、デザイナーとデザイン関係のプレスが集まり、ここで提案されたアイデアを世界に発信していくユニークな場所。メッセージを込めてクルマをデザインしてもなかなか伝わらないなか、このイベントの重要性に注目してきました」
澤氏自身がデザイナー出身なだけに、デザインの重要性にずっと注目してきた。レクサスも早い時期から「L-finesse(エル・フィネス)」というコンセプトを打ち出してきた。
「Leading edge=先鋭」のLと、「人間の感性や巧みの技の精妙」を意味するfinesseを組み合わせたもの。
先端技術と日本的美意識の融和を意識しシンプルでありながら深みのあるデザインを目指すと、レクサスでは説明している。
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新しい技術やマテリアルを新しい表現で見せることがデザインの役割
石上純也さんや妹島和世さん(2005年)、吉岡徳仁さん(2006年)、nendo(2008年)といったクリエイターと組んでインスタレーションを発表してきた。それもレクサスのフィロソフィを伝えるため、と澤氏。
「高級ブランドには物語があります。レクサスにもL-finesseというモノづくりの背景があります。それを理解していただくのに、ミラノデザインウィークはいい場所でした」
澤氏はそう語る。
「レクサスがデザインを重視しているのは、ラグジュリー・ライフスタイルを作るのに必要と思うからです。新しいテクノロジーを採用した際にも顧客のためにそれを活かす手段がデザインです」
言葉は続く。
「新しい技術やマテリアルを新しい表現で見せることが(クルマにおける)デザインの役割だと考えています。それを顧客がちゃんと受け止めてくれるか。顧客とブランドとのコミュニケーションを成立させるための手段なのです」
空間に垂れ下がった1万2000本の糸や、300本を超えるストゥールの脚を照らした1つの光源。この技術をクルマと結びつけたインスタレーションも今回、展示された。
モニター画面に点が一つ現れたかと思うと、そこから多くの線が出て、平面図が描かれる。
見ているうちに、その土台が平面から半球状にかたちを変える。すると「Lexus LF-1 Limitless」が姿を見せるのだ。
「一つの視点から全体を見渡すことが可能になる」という主題の表現だと説明されている。