グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ!|Villa d’Este
Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2017
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2017
グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ!
ヨーロッパのヒストリックカー・ソサエティにおいて、春から夏は自らのクルマを愉しむとともに、仲間のコレクションを愛でる季節である。その幕開けが、イタリア北部コモ湖畔を舞台に催される「コンコルソ デレガンツァ ヴィラ・デステ」、通称「ヴィラ・デステ コンクール」だ。現存する世界最古の自動車コンクールに、今年も世界からとびきりのクルマたちが集った。
Photographs by Akio Lorenzo OYA/ Mari OYAText by Akio Lorenzo OYA
3台のワールドプレミアも
ヴィラ・デステ・コンクールの起源は第二次大戦前に遡る。
当時、高級車の多くは、エンジン付きシャシーとボディは別々にオーダーしていた。メーカー自身がボディ製作者(イタリアの場合カロッツェリア)の選択肢をある程度用意している場合もあれば、オーナー自身が好みのカロッツェリアに持ち込む場合もあった。
ミラノの富裕層の多くは約50km北のコモ湖畔に別荘を所有していて、自らのセンスの象徴としてクルマを見せあっては楽しんでいた。そうした彼らの趣味を反映して1929年に誕生したのが、このコンクールというわけである。
2017年5月26-28日に催された今回は、4輪車52台(参加は51台)、2輪車40台が参加した。
イベントは26日夕方の前夜祭から始まった。
その席でBMWグループのハラルド・クルーガー会長によって、2台のコンセプトヴィークルがワールドプレミアされた。1台は未来のアーバンモビリティを想定したエレクトリックスクーター、BMWモトラッド「コンセプト リンク」、もう1台はBMW「コンセプト8シリーズ」であった。後者は2018年にデビュー予定の新型「8シリーズ」の予告である。BMWグループデザインを率いるエイドリアン・ファン・ホーイドンク上席副社長が筆者に語ったところによると、同ブランドの新デザインランゲージは、「よりクリーン、よりシャープ、そしてよりソフィスティケートされた」であるという。
続いて翌27日午前には、BMWグループのロールス・ロイスが「スウェップテール」をこちらも世界初公開した。あるひとりの上顧客の求めに応じて造られたワンオフである。そのビスポークを実現するため、オーナーとディスカッションを重ねながら4年の歳月を要したと担当者は振り返る。
Concorso d’Eleganza Villa d’Este 2017
コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2017
グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ! (2)
洒落たタイトルととともに
主役であるヒストリックカーの話に移ろう。
クラスの数は8つ。審査は12名があたった。例年どおり審査員の大半は、元自動車ブランドのデザインダイレクターやエクスパートによって構成されていたが、今年はロックバンド「デュラン・デュラン」のボーカリスト、サイモン・ル・ボンの妻で、モデルのヤスミン・ル・ボンも加わった。
2017年のテーマは「八十日間世界一周」である。これは作家ジュール・ヴェルヌによる同名の小説が刊行された1873年が、それまで枢機卿の別荘であったヴィラ・デステがグランドホテルに改装された年でもあることにちなんだものだ。
当時「いかに短い日数で世界一周できるか?」に興味とロマンをかきたてられた知識層や貴族たちは、やがて自動車の登場とともに、時刻表にとらわれない旅に目覚めると同時にスピードや記録づくりの虜となってゆく。
今回はそうした時代のスピリットを後年に引き継いだクルマたちが主に集められた。
審査員によるベスト オブ ショーに選ばれたのは、イタリアを代表するコレクターのひとりコッラード・ロプレスト氏が「大きな大人の小さな玩具」クラスに持ち込んだ1957年アルファ・ロメオ「ジュリエッタ SS プロトーティポ」である。伝説の鬼才フランコ・スカリオーネによる幻のデザインだ。
いっぽう、招待者投票による「コッパ ドーロ ヴィラ・デステ」には、「スピードの悪魔たち」クラスにエントリーした1935年ルラーニ「ニッビオ」が選ばれた。ジェントルマン・ドライバーでありジャーナリスト、そしてエンジニアでもあったジョヴンニ・ルラーニ・チェルヌッシ伯爵が設計したリトルレーサーである。今回は伯爵が遺したガレージからクルマを引っ張りだした孫がパレードでステアリングを握った。
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コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ2017
グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ! (3)
ルーマニア、タイなど新興国からの参加も
興味深いクルマがもっとも多くみられたのは、「プレイボーイのトーイたち」と名付けたクラスだ。
1962年ギア「L6.4」は俳優ディーン・マーティンの元・愛車である。デトロイトで造られたシャシーをイタリアまで船で運び、トリノのギア社でボディを架装し、また往路を折り返すという「世界一長い生産ライン」を経て造られた。
1968年ランボルギーニ「ミウラ」は、「シャーロック・ホームズ」の作者サー・アーサー・コナン・ドイルの子息で、放蕩息子もしくはプレイボーイとして知られたエイドリアン・ドイルが初代オーナーだった車だ。
今回は未再生車、フランス語でいうところの「dans son jus(孤立無縁状態)」の車両も目立った。
一般公開日の会場であるヴィラ・エルバで開催されたRMサザビーズのオークションでは、納車直後からひたすらガレージに仕舞われて保管されていた走行10kmの1993年ポルシェ「911RSR」が埃をかぶったまま出品された、円換算にして約2億5200万円で落札された。こうした未再生車ブームは愛好家のあいだで過度なレストア以上に、その賛否をめぐりしばらく議論の対象になりそうだ。
いっぽうで、例年に比べ際立ったのは、ルーマニア、タイなど新興国からの参加だ。経済発展とともにヒストリックカー文化が芽生えつつあることを予感させた。
そのひとつで1934年タトラ「77」は、ブランドの故郷と同じチェコのオーナーによって持ちこまれた。リアに搭載された空冷ユニットは巨大な3リッターV8でありながら、パワーは僅か60psにすぎない。だが、その空力ボディは当時極めて先進的なものであった。
オーナー家族は極めて素朴で、初めてヴィラ・デステに参加した喜びを隠さなかった。パレードでベスト・インテリア賞が贈られると、ギャラリーからは、常連参加者たちに送られるのと同じ大きな拍手が巻き起こった。
ちなみにこのタトラが参加したのは、1930年代を駆け抜けた車を集めたクラスで、名前は「グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ」。
前述の「プレイボーイのトーイたち」しかり、ヴィラ・デステは、いつも小洒落たタイトルを各クラスに与える。
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グッバイ・ジャズ、ハロー・ラジオ! (3)
輝き続ける理由
グランドホテル内には、BMWグループとともにイベントのパートナーを務めるタイムピース・ブランド「A.ランゲ&ゾーネ」も例年どおりブースを設けた。
そこで組み立て実演をしていた若き職人に、「仕事を学ぶ過程での喜びは?」と質問すると、「時計は、ひとつひとつの部品が、すべて意味をもっていることがわかってゆくことでした」という答えが帰ってきた。
ヴィラ・デステは、クラスだけで30近くに達することもあるアメリカのコンクールと比べ、極めてコンパクトだ。しかし1台1台が深いヒストリーを秘めている。まさに機械式時計と同じである。
同時に、車両選考委員のひとりが少し前、筆者に語ったことを思い出す。「毎年参加車たちを選ぶのは、一枚の絵を描くような心境です」
ヴィラ・デステは絵画なのだ。だからこそ、このイベントは世界のヒストリックカー界で輝き続けているのである。