MASERATI Quattroporte SPORT GT S Awards Edition|スペシャルなたたずまいのマセラティ
MASERATI Quattroporte SPORT GT S Awards Edition
マセラティ クワトロポルテ スポーツ GT S アワードエディション
スペシャルなたたずまいのマセラティ
マセラティは「クアトロポルテ」のトップグレードである「スポーツGT S」に「アワードエディション」を設定することを発表した。
文=ジラフ
56もの賞に輝いたことを記念して
ベースとなるスポーツGT Sは、「クアトロポルテS」の4.7リッターV型8気筒エンジンに、排気システムなどのチューニングをほどこすことで、最高出力が430psから440psへパワーアップが図られたモデル。
また、素早いギアシフトを可能にするために、パドルシフト付き6速ATのプログラムにも手がくわえられ、足まわりは専用サスペンションで強化されるなど、まさにスポーツカーの走りを手にしたサルーンともいえる。
今回発表された「アワードエディション」は、現行のクアトロポルテがデビューからの6年あいだに、世界14カ国で56もの賞に輝いたことを記念してつくられた特別仕様車だ。
「ポルトローナ・フラウ」が手がけたインテリア
外観は、専用色のややゴールドがかったパールメタリックグレーでペイントされ、グリルまわりはクローム仕上げとなっている。またダークグレーの20インチアルミホイール「マルチトライデント」はサテンフィニッシュとなり、そのスポークのあいだからは、ブレンボと共同開発した世界初となる鏡面仕上げのブレーキキャリパー、「ポリッシュドキャリパー」が顔をのぞかせる。まさに、マセラティ・クアトロポルテの特別仕様車ならではの、存在感あるたたずまいとなっている。
イタリアの高級ブランド「ポルトローナ・フラウ」が手がけたインテリアは、吟味に吟味を重ねたレザー、アルカンターラがふんだんに使われ、ラグジュアリーで特別な空間が演出される。
このアワードエディションは、ジュネーブモーターショーで正式発表済みだが、今年の後半にはヨーロッパでの発売が予定されている。
BRAND HISTORY
世界には“スポーツカーの聖地”と呼ばれる場所がいくつもあるが、イタリアのモデナ県ほどその名にふさわしいところはない。なぜなら、モデナ県内には、ともにフィアットの傘下に収まるFerrari(フェラーリ)とMaserati(マセラティ)があるからだ。マラネロがフェラーリなら、県都のモデナから世に送り出されるのがマセラティである。
トライデント、すなわち、三叉の銛(もり)のエンブレムは、ボローニャのシンボルともいえるネプチューン像にちなんだもので、マセラティの歴史がボローニャからスタートしたことを物語る。礎を築いたのは、1881年から1898年にこの地に生まれたマセラティ兄弟。そのほとんどが自動車に関わることになるが、4番目に生まれたアルフィエーリ・マセラティ(3番目もアルフィエーリを名乗るが、生後ほどなくして他界)が中心的役割を果たす。彼のキャリアはレーシングドライバーとしてはじまるが、紆余曲折の末、1926年にオフィッチーネ・アルフィエーリ・マセラティ社を設立。トライデントを掲げた「Tipo26」のステアリングをアルフィエーリ自らが握り、タルガ・フローリオに参戦、デビューレースを見事クラス優勝で飾っている。
1929年には「V4」が246.029km/hの世界スピード記録を樹立、マセラティの名は広く知れわたるようになる。その後も、名ドライバーのタッチオ・ヌヴォラーリの活躍などでグランプリの歴史にその名を刻むマセラティだが、1937年にオーナーがアドルフ・オルシにかわり、翌1938年には本拠を現在のモデナに移している。ここから1957年まで、同社のモータースポーツ活動は黄金期を迎えることになる。その最たるものが1957年、名手ファンジオが「250F」を駆り手に入れたF1のシリーズタイトルであった。しかしこの年、マセラティはワークス活動にピリオドを打ち、1958年の「3500GT」、1966年の「ギブリ」、1971年の「ボーラ」などにより、スポーツカーメーカーとしてのポジションをたしかなものにしていく。
そして、スポーツカーづくりの伝統をいまに受け継ぐのが、2ドアクーペの「グラントゥーリズモ」と4ドアサルーンの「クアトロポルテ」。フェラーリとはまた違うイタリアンスポーツの魅力をわれわれに伝えている。