Audi R8 5.2 FSI quattro(後編)|クルマ好きに対する挑戦状
Audi R8 5.2 FSI quattro|アウディR8 5.2 FSI クワトロ(後編)
クルマ好きに対する挑戦状
アウディが手がけたミドシップスーパースポーツ、R8。ル・マン24時間耐久レース優勝マシンの名をいただく同車に、5.2リッターV10を搭載したハイパフォーマンスなモデルが追加された。自動車ライター、渡辺敏史が、富士スピードウェイでその真価を確かめた。
文=渡辺敏史写真=高橋信宏
最終コーナーからのフル加速で260km/h超をマーク
V8モデルとは明らかにちがう始動音は、エンジン特性の差というよりも意図的なサウンドチューニングによるものだろう。そのエキゾーストの、俄然獰猛な印象に気を引き締めて走りはじめると、V10モデルは2000rpmを超えたあたりから、V8モデルとは一回りはちがうその強靱なトルク感で軽い車体をグイグイと推し進めるのがわかる。そして前方がクリアな状況で一気にアクセルを踏み込むと、V10ユニットはちょっと低くくぐもった独特のサウンドを一気に高め、文字通り脱兎の如き加速をみせる。何せ525ps。普通のクルマならこうはいかない。タイヤが路面をかき回し推進力が発散してしまう。が、R8の場合、後輪寄りのミッドシップレイアウトからなるトラクションの良さにくわえて、アウディの十八番であるクワトロシステムが路面をしかと捕まえてパワーをきっちりと伝え抜くわけだ。
その際の電子デバイスの介入は最小限、なによりタイヤサイズはV8モデルと変わらず……というところに、このクルマの生来の成り立ちがみてとれる。骨格をして、類い希なピュアスポーツの素地を備えているという。
試乗会場の富士スピードウェイでは、最終コーナーからのフル加速で260km/hを超える速度をマークする。この数字をみるに、動力性能はかのGT-Rにも迫ろうというところ。世界一線級のスーパースポーツとしては充分なところにいる。
そして、そこからのフルブレーキングで壁に突き当たるかのような減速Gを伴い一気に速度を殺してくれるのは、オプション設定されるカーボンセラミックブレーキシステムだ。しかしこの高価なオプションに頼らずとも、標準装備のブレーキシステムが充分な制動力と絶品のフィーリングを備えていることは公道での試乗で確認している。そして、ここでも少なからず好影響を与えているのは車重の軽さだろう。
ほかのクルマとはまったくちがうドライバビリティ
と、そんな動力性能や制動力以上に、V8モデルとV10モデルのちがいが明確にあらわれるのはコーナリングのフィールかもしれない。進入時の反応こそ大差はないものの、旋回状況ではやはりリア側のマスがやや大きいことが気にかかる。そこでゆっくりとパワーをかけていくと、四駆生来のアンダーステア傾向はよく抑え込んでいる反面、リアのブレークポイントはやや神経質に感じられる。
この点、V8モデルは革命的にニュートラルに躾けられており、かつ自由度も高く不安定挙動へのステップも緩やかだ。エンジンがV10になったことによるリア側の荷重増加は30kg程度だが、その差が限界走行に与えるところは小さくはない。しかしこれはあくまでサーキット領域での話であり、個人的にはタイヤサイズの見直し程度で低減できる癖だと思う。
エキゾチックなスーパーカーの所有感と絶対的な速さを是とするのならV10。純粋なドライビングマシーンとして向き合うのならV8のMT。結果的に僕のなかで、R8のバリエーションはそういう棲み分けとなった。ともあれ、このクルマに乗るたびに感心させられるのは、精緻を極めたがゆえにもたらされた、ほかのクルマとはまったくちがうドライバビリティだ。簡単にデジタルライクという言葉を使いたくなるが、じつはそうとは言い切れない。
美しい肢体と情感たっぷりに唸るエンジンに頬を緩め、危うげな速度域でテクニックを試されながらコーナーを綺麗に抜けることに快感を見いだすのが従来のスーパーカーに抱く慈しみだとすれば、R8はそこと一線を画し、とにかくドライバーの意志をどこまで忠実に再生するかという解像度の高さを徹底的に追求したが挙げ句、それがドライバー側のアナログ的な慈愛を生み出すにもいたっている。その点においても、GT-RとR8はおなじ指向性にあると言っても過言ではない。いずれにせよ、旧来の価値に縛られがちなクルマ好きに対しての、これはある種の挑戦状のような最先端のスーパースポーツである。
アウディコミュニケーションセンター
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BRAND HISTORY
Audi(アウディ)のエンブレムは“フォーリングス”。その輪ひとつひとつが自動車メーカーのアウディ、DKW(デーカーヴェー)、ホルヒ、ヴァンダラーを表しているのはご存じだろう。いずれもザクセン州に本拠を置き、20世紀のはじめ、ドイツの自動車産業を牽引したブランドである。しかし、第一次世界大戦後に起きた世界恐慌の煽りをくらった4社は、生き残りをかけて、1932年にアウトウニオンを結成。DKWがモーターサイクルと小型車、ヴァンダラーが中型車、アウディが高級中型車、そして、ホルヒがラグジュアリーカーに特化する戦略をとることになった。
しかし、第二次世界大戦の敗戦により旧東ドイツのザクセンはロシアの占領下となり、アウトウニオンは消滅。これを見越して、旧西ドイツのバイエルン州インゴルシュタットに新生アウトウニオンが設立される。BMWやメルセデス・ベンツとちがい、工場のない状況からの苦しいスタートをしいられたアウトウニオンであったが、DKWデリバリーバンなどの生産により徐々に体力をつけていった。
1964年末にフォルクスワーゲン傘下に収まったアウトウニオンは、ほどなくしてアウディの名を冠した新型車を世に送り出す。そして1969年には、ネッカースウルムに本拠を置くNSU(“ヴァンケルエンジン”の開発で知られる)を合併し、アウディNSUアウトウニオンとなり、1985年からはアウディとして現在にいたる。クワトロをはじめとするテクノロジーと、モータースポーツ活動に裏付けられたダイナミック性能、エレガントなデザイン、そして、質感の高い仕上がりが、アウディの人気を牽引している。