Audi R8 5.2 FSI quattro(前編)|知性を漂わせる生粋のアスリート
Audi R8 5.2 FSI quattro|アウディ R8 5.2 FSI クワトロ (前編)
知性を漂わせる生粋のアスリート
アウディが手がけたミドシップスーパースポーツ、R8。ル・マン24時間耐久レース優勝マシンの名をいただく同車に、5.2リッターV10をいただくよりハイパフォーマンスなモデルが追加された。イタリアのライバルに真っ向から勝負を挑むジャーマンスーパーカーの真価は?
文=渡辺敏史写真=高橋信宏
R8とGT-R
「これは事件かもしんないですね」
2007年、はじめてアウディR8に触れたラスベガスの山中で、そのステアリングを握りながらアウディのスタッフにこう漏らしたのを思い出す。
転がりはじめからわかるムービングパーツの精度の高さ、走れば走るほど五感に伝わる強烈な剛性感、意外やルーミーなキャビンにアウディらしい品質の内装、そして常識を覆す乗り心地の良さ……。
スポーツカーにとってもっとも大切な運動性能や動力性能をさしおいても、R8にはセグメント的なライバルとなるだろう、イタリアのスーパーカーたちを圧倒する静的な質感の高さが備わっていた。しかも、敢えてそれをイタリアの文法とはまったくちがうデザインの衣に包んである。前衛的なモードを着こなしつつ、存分に知性を漂わせる生粋のアスリート。それは現在のヒーロー像のひとつにピタリと符合する。
じつはこの07年、R8とまったくおなじ感想を抱いたクルマがもう一台あった。ゴールデンウィークの最中に日本を離れ、ドイツのニュルブルクリンク周辺で乗った、日産曰くの「高性能新型車」。空力特性に影響するというほどの擬装がほどこされたそのクルマはアウトバーンを怒濤の加速力で突き進み、速度が上がれば上がるほど安定する不気味なスタビリティを備え、なんの緊張もなくあっさりと300km/h付近まで僕を誘った。のちにサーキットでその破天荒な運動性の高さを知り、こと性能にかけては、黙って2000万円以上の支払いを求められていたオーバー300km/hクラブの面々に強烈な一撃がお見舞いされると確信する。言わずもがな、それはGT-Rのことだ。
最高速度は316km/h、0ー100km/h加速は3.9秒
そう、GT-RとR8。ある意味、もっとも保守的かつ閉鎖的ともいえるスーパーカーのマーケットに、前者はコストパフォーマンスで、後者はクオリティで、革命的なインパクトを与えたといっても過言ではない。これまでになかった価値の提示で、既得権益に等しかったこのセグメントは、今、結果的に地殻変動を起こしている。直近に発表されたフェラーリ458イタリアとポルシェ911ターボのディテールやスペックを追うと、これらの攻撃を充分意識した内容であることがクルマ好きならば読み取れるだろう。
そうはいってもR8には弱点がなかったわけではない。なかでも見過ごせないポイントは動力性能だ。420psを発揮する4.2リッター V8ユニットによって得られるデータは最高速度301km/h、0ー100km/h加速4.6秒。これは彼らが発売当初からライバルと目していたポルシェ911カレラ4Sをキッチリ凌駕するものだ。しかし、911のピュアスポーツモデルであるGT3、おなじくミッドシップレイアウトを採るフェラーリF430、あるいは血縁関係ともいえるランボルギーニLP560-4といったところに対しては、若干スペック的に劣るものとなっていた。充分に速いのはわかる。しかし世界最高のスペックとそれがもたらす刺激がほしい。このマーケットを支持するユーザーの貪欲さのまえに、R8は線の細いモデルとして映っていたフシがある。
そのギャップを埋めるべく、いよいよ上陸したのが5.2リッターV10を搭載するモデルだ。その最高出力は525ps、最高速度は316km/h、0ー100km/h加速は3.9秒と、スペックを追えば前述のライバルたちを凌駕、あるいは肩を並べるところにきているのがわかる。しかしV8モデルに対しての外観上のちがいは、光沢フィニッシュがほどこされたグリル類やフロントフェンダーに小さく配されたV10のエンブレム、エキゾーストエンドがオーバル形状となるほか、特徴的なサイドブレードのエアダクトが若干大型化されるなど、さりげない化粧直しが入る程度だ。そのあたりのほどこしもまたアウディらしい。
アウディコミュニケーションセンター
0120-598-106
BRAND HISTORY
Audi(アウディ)のエンブレムは“フォーリングス”。その輪ひとつひとつが自動車メーカーのアウディ、DKW(デーカーヴェー)、ホルヒ、ヴァンダラーを表しているのはご存じだろう。いずれもザクセン州に本拠を置き、20世紀のはじめ、ドイツの自動車産業を牽引したブランドである。しかし、第一次世界大戦後に起きた世界恐慌の煽りをくらった4社は、生き残りをかけて、1932年にアウトウニオンを結成。DKWがモーターサイクルと小型車、ヴァンダラーが中型車、アウディが高級中型車、そして、ホルヒがラグジュアリーカーに特化する戦略をとることになった。
しかし、第二次世界大戦の敗戦により旧東ドイツのザクセンはロシアの占領下となり、アウトウニオンは消滅。これを見越して、旧西ドイツのバイエルン州インゴルシュタットに新生アウトウニオンが設立される。BMWやメルセデス・ベンツとちがい、工場のない状況からの苦しいスタートをしいられたアウトウニオンであったが、DKWデリバリーバンなどの生産により徐々に体力をつけていった。
1964年末にフォルクスワーゲン傘下に収まったアウトウニオンは、ほどなくしてアウディの名を冠した新型車を世に送り出す。そして1969年には、ネッカースウルムに本拠を置くNSU(“ヴァンケルエンジン”の開発で知られる)を合併し、アウディNSUアウトウニオンとなり、1985年からはアウディとして現在にいたる。クワトロをはじめとするテクノロジーと、モータースポーツ活動に裏付けられたダイナミック性能、エレガントなデザイン、そして、質感の高い仕上がりが、アウディの人気を牽引している。