藤原美智子の「色」ものがたり第9回 珊瑚色の着物
2009.02 「珊瑚色の着物」
ヘアメイクアップアーティストとして活躍される藤原美智子さんに、「色」にまつわるエピソードを語っていただく連載。
色を自在に扱うことから生まれる新しい表情はつねに注目を浴びて、だからこそその視覚を刺激する「色」は、彼女に雄弁に語りかける。
2009年2月のテーマは「珊瑚色」。母の着物姿、膝枕の感触、遺伝子──。
文=藤原美智子Photo by Jamandfix
ほほに触れる絹の柔らかくひんやりとした気持ち良い感触と、はんなりと優しい珊瑚色の美しさ
あれは小学1、2年生のころだったろうか。美容師をしている母が着物に凝った時期があった。母は着付けの仕事もしていたし花嫁衣装も扱っていたので、着物は身近なものだったにちがいないが、彼女自身が着物を着ることは年に数回のことだったように思う。それが、ある日を境に日常も仕事中も着物を着るようになったのだ。
着物を着たうえに白の割烹着を付けて美容室で立ち働いている母に理由を聞いてみたのだが、「ちょっと、ね」とふくみ笑いをしただけだった。でも、理由はなんであれ、着物姿の母はとても綺麗に見えたし、何より“優しく、おしとやかなお母さん”という印象に私の目に映ったので、それで大満足だった。なにしろ母は子供の私からしても、お転婆な女性だったので、はんなりと女らしいお母さんという感じがなにかとてもうれしかったのだ。私は素直に甘えるのが不得意な子どもだったが、このときばかりは母につきまとってベタベタと甘えていたように記憶している。
今でも鮮明に覚えているのは、珊瑚色の着物を着た母に膝枕してもらったこと。ほほに触れる絹の柔らかくひんやりとした気持ち良い感触と、はんなりと優しい珊瑚色の美しさに、うっとりしたことである。「あと、もう少し!」などと言い、しばらく膝枕をしてもらったほど子どもの自分には気に入った状況だったのだ。
もちろん、いつまでもそんな夢心地の状況はつづかなかった。ある日を境に母はまた、いつもの洋装姿にもどり、そしてキャラクターも以前(!)のものにもどったのである。「あーぁ」と、がっかりしたことをよく覚えている。
子どものときの体験は永遠
それから、しばらくしてから母が「私が着付けをすると一日中疲れないし、着崩れないとお客さんに喜ばれるのよねー」と、少し得意気に言ったことがあった。そのときは「へー、そうなんだ」と思っただけなのだが、自分が大人になって仕事をするようになった、あるとき、急に「なるほど!」と気がついたのである。一日中、着物姿で通していた、あの日々はそのためだったんだ、と。どうしたら苦しくなく、着崩れしない着付けができるかを習得するために身をもって研究していたのだ。うーん、何事も一生懸命に取り組んで、最後にはキチンと自分のものにするひとだとは思っていたが、「やはり、そうだったのかー!」とおくればせながら、母のひととなりを見直した次第である。
“子は親の背中を見て育つ”とは言うが、大人になってから気がついたことも、果たして子ども時代のDNAに刻み込まれているものだろうか。でも、母の着物事件(?)は私のDNAに、しっかりと染みついたことはたしかのようだ。なにしろ着物イコール珊瑚色、そして“優しく・はんなり”といった図式が無意識にもできあがっているのだから。
その証拠に、はじめてつくってもらった着物は「絶対、これがいい!」と、珊瑚色の着物にしてもらったのだもの。やはり、子どものときの体験は永遠ということなのかもしれない……!