藤原美智子の「色」ものがたり第10回 再び巡ってきた、永遠のピンク色
BEAUTY / THE EXPERTS
2015年5月11日

藤原美智子の「色」ものがたり第10回 再び巡ってきた、永遠のピンク色

2009.03  「再び巡ってきた、永遠のピンク色」

ヘアメイクアップアーティストとして活躍される藤原美智子さんに、「色」にまつわるエピソードを語っていただく連載。
色を自在に扱うことから生まれる新しい表情はつねに注目を浴びて、だからこそその視覚を刺激する「色」は、彼女に雄弁に語りかける。
2009年3月のテーマは「ピンク色」。ピンクは私にとって心の自由度を表す色──。

文=藤原美智子Photo by Jamandfix

一巡して、またもどってきた自分のなかの「わぁ、かわいい」感覚

世の中には女性は好きでも、男性にとっては「どこがいいの?」と、首を傾げるものは数多く存在する。
たとえば、花やスパンコールをつけた長い付け爪とかキラキラと光る派手色の小物類とか、ぬいぐるみとか……。もちろん、それらを好まない女性もいるし、好きな男性もいる。または、年齢によって好き嫌いも大いに分かれることだろう。


私が歳を重ねてから好きになったもののひとつに、「ピンク色」がある。とはいっても、生まれてはじめて好きになったのではない。子どものころはピンク色のお出かけビニールバッグや髪留めなどにも、「わぁー、かわいい!」と大はしゃぎしたものだ。それが、20歳ごろから20年間くらいはピンク色のピの字も忘れて過ごしていた。それは“かわいい”よりも、“カッコイイ”ことのほうに重きを置いていたから。もちろん、仕事においては、“かわいい”も“カッコイイ”もなんの分け隔てなく接していたのだけれど。

自分が“カッコイイ”に傾倒したのには訳がある。なにしろ若いころの私は丸顔で女の子っぽーい顔立ちだったので(決して思いこみではない。当時の、自他共の評価である)、それに甘い色やかわいい服を着せたらトゥーマッチ過ぎて目もあてられない。それが嫌で、黒っぽいマニッシュな格好ばかりするようになり、ついでに「カッコイイほうが格好良い!」という好みになっていったのだ。

それが、40歳を過ぎたころからだろうか。甘い色も花柄もフリルも素直に着られるようになったのは。顔立ちの変化も大きな要因だが、なによりも、気持ちの自由度の広がりが子どものころの無邪気な「わぁ、かわいい!」感覚を甦らせてくれたように思う。

ところで、男子と女子の好みのちがいを端的に表しているのは、この「わぁ、かわいい!」という言葉に集約されているのではないだろうか。その感覚が男子のDNAには稀薄だから(たぶん)、単に“かわいい”が理解できないだけなのだし、女子は理解できないことが理解できないのだ。そう考えると、理解できないことに悩む(ほどでもないが)必要もない。お互い、「そういうDNAなのね」とサラリと交わしあえば済む程度のことなのだろう。

それにしても一巡して、またもどってきた自分のなかの「わぁ、かわいい」感覚。それは、なんと自由で楽しいんだろう。“隣の芝生が青く見える”年齢を超え、人の視線や思惑に囚われられなくなる年齢になり、そして素直に自分を受け入られるようになった今だからこそ、のことなのだろう。これが年齢を積み重ねることの良さなのかもね、と最近つくづくと感じ入る私である。そうした心境が、「わぁ、かわいい」の代表格であるピンク色に集約されているように思う。そう考えると、ピンクは私にとって心の自由度を表す色といえるかも。こうなったら、“ピンク大好きおばあちゃん”を目指そうかしらん!? でも、きっと、そんなおばあちゃんを男性は理解に苦しむだろうなー。

           
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