連載・田中 玲|其の七「舌の記憶」
Beauty
2015年2月9日

連載・田中 玲|其の七「舌の記憶」

新年を迎え、空気も気持もあらたに。
私の「食」の基礎、ルーツについて今回は記してみたいと思います。

其の七「舌の記憶」

文=田中 玲写真=中川昌彦

生まれてはじめて口にしたものは、母乳であろう。乳児に大切な栄養が沢山つまり、それを本能のままにせがむ私。続いてはきっと離乳食。どちらも記憶に残るものではない。

記憶の網をたどるように思い返しながら、はじめて意識をして食べたものは、小さな実の葡萄だったような気がする。もちろん葡萄よりも前に食べたものもあるだろうけれど、私の記憶のなかでは葡萄がはじめての食べ物である。その頃葡萄が好きだったせいもあって記憶に残っているのだろうか、小さな葡萄の粒を急いで食べても一向に無くならない葡萄の実、急ぎつつも大切に口に頬ばり込んだ。

その後の割と意識のはっきりとした幼少のころは、子どもらしく、肉や甘いものを好み、野菜は余り食べない、とくに色が嫌で食べない、食わず嫌いな食べ物が多かった。たとえば、ナス。余りに鮮やかで黒光りした紫は、見た目にちょっとした恐怖すら感じさせ、食べる気が起きない代物でした。

そんな日々がつづき、10代後半にようやくナスをはじめ種々の野菜のおいしさを知りました。そのきっかけは、そのころ家の近くに農園があり、そこで穫れたての野菜を買っていて、とても味の強く濃い野菜を煮物などに調理してもらいよく食べていたからです。

料理好きの母の料理の影響もあり、自分でも煮物など調理できるようになったのもそのころから。丁寧に出汁をとり、素材の味を活かし、ゆっくりと炊く煮物は、味付けも極々薄く、関東育ちで関西好みの母はいつも優しい色と味の料理です。

母はとりわけ調味料にも数々のこだわりがあり、たとえば、醤油でも、濃い口、薄口、白醤油、刺身醤油。砂糖も氷砂糖やグラニュー糖などの純度の高いものから、雑味のある色濃い砂糖まで、作る料理によって使い分けています。ごま油も風味や香りの異なる数本を揃えている。全ての調味料に共通しているのは「余分なものが入っていない」。シンプルなものであり、シンプルだからこそ食材そのものも味を引き立て、結果、健康や美容にも繋がることなのでしょう。食材で有機野菜や無農薬にこだわるのも大切ですが、基本となる調味料にもこだわることの大切さを教わりました。私の台所も母とおなじ調味料で揃え、和食の味つけもほぼおなじ。としっかり舌が覚えています。

でもやはり、眼と舌と感情の全ての記憶から忘れられないのは、幼いころのクリスマス料理です。毎年決まってピラフをお腹一杯に詰めた鳥の丸焼きと、かぼちゃのスープ、ケーキ、とすべて手作り。その他色彩に溢れた料理と部屋中に輝きながら漂い佇む幸福な匂いと歓喜。今でもかけがえの無い特別な日です。

いつか、この輝きを私自身で作られるように、そして「私の味」となるようにはまだまだ修行を積まなくては。でも大丈夫。舌の記憶の引き出しに大切に蔵ってあるから。

調理器具の中で一番愛用の木べら。母から譲り受けたものです。調布の深大寺の民芸店で購入。使い込んでいくうちにどんどん味わい深い木べらになって来ました。

           
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