連載・田中 玲|其の九「女の長髪」
其の九「女の長髪」
モデル田中 玲の連載エッセイ、2009年・春・弥生。彼女ならではの感受性からこぼれ落ちてくる“言の葉”を紡いで、3月のテーマは「女の長髪」について。
最近手に入れた「ピーターメイソン」のブラシは……。
写真・文=田中 玲
「髪は女の命」とはよく聞く言葉ですけれど、その通り
私はここ20年くらい、髪の毛を長くしています。たまに2、3センチ切ったりもしますが、だいたい「ロング」と言われる長さにしています。
もちろんボブやショートヘアにしているひとを見かけるといろいろ試したく思いましたけれど、いまだ髪の毛は長いままです。
その理由のひとつには、まだなにも知らない小学生のころに、美容室で「段入れますか?」という問いかけに、私は「段」という意味が解らなかったので、なにはともあれ返事をしておけばよいと思い「はい」と答えてしまい、ばっさりショートカットにされたことがあります。そのころの自分のなりたいイメージとは真逆に。
それ以降ショートヘアが、私にとってトラウマとなって今まで引きずっています。そのトラウマのせいなのか、素敵な髪をしているショートヘアのひとを見かけると「短いのもいいな」なぞと思いつつも、「やはり、女は長髪」という概念ができあがっていました。
「髪は女の命」とはよく聞く言葉ですけれど、その通り。短長さまざま髪型はありますが、1ミリのちがいで顔の印象、自分の満足、他者からの印象など変わってしまう。もちろん女性だけではなく男性も気になる大切な部位なのでしょう。
最近手に入れた「ピーターメイソン」のブラシは、私のなかの長髪に対する憧れのもっとも重要なツールであり、ひさびさに手に入れたブラシのなかのブラシで、髪の毛を解く。するすると髪を撫でていると髪にしっとりとした重みもふくんでゆく。ただ髪の毛を解かすという、という単純作業が優雅なときに変わります。
「女の長髪」は自己満足では終わらない秘密があるのではないでしょうか?
「流れる髪、風に舞う髪、指を擦り抜ける髪」。どれも妖艶です。そこに憧れがあるからこそ、私はずるずると髪をのばしつづけるのでしょう。まだしばらくは。