第5回 「キネマ旬報」編集長と、映画「パフューム」を語る 1
第5回 「キネマ旬報」編集長と、映画「パフューム」を語る 1
雑誌にコラムなどを書き始めて、今年で25周年、四半世紀になります。20代の頃は、おもに映画の話を書いていました。硬派映画専門誌の女王、「キネマ旬報」にも、場違いながら、一昨年まで、4年間近く連載させていただいておりました。そんなこともあって、香水を主役にした映画、「パフューム」を観て、ぜひ語り合ってみたい、と思ったのが、ほかならぬこの人。
「キネマ旬報」編集長の関口裕子さんです。
text by NAKANO Kaoriphoto by TATSUNO RinSPECIAL THANKS:GAGA COMMUNICATIONS INC.
好奇心のインターネット、読み込みの雑誌
中野香織 関口編集長、またお会いできてうれしいです。
関口裕子 どうも、お久しぶりです。連載中はありがとうございました。
中野 こちらこそ。「キネ旬」に連載を始めた当初と連載を終える頃では、映画についてなにかを書くことの意味が、がらりと変わったように感じていたんです。雑誌をわざわざ買わなくても、ネットで映画情報が手軽に得られるようになって。 私自身、80年代のように映画雑誌全誌をむさぼり読んだり、パンフレットを買ったり、ということが少なくなって、紙メディアで映画について書くには、相当な覚悟が必要になってきたな、と。
関口 ネットと雑誌、読んでる人の必要性は違うんじゃないかと思います。 ネットは、出演者や監督、上映時間などの即物的な情報を引き出したり、その映画について感想を書いている人のブログをチェックしたりと、私も利用しますが、必ず見るサイトっていうのは、ありませんね。どちらかといえば、好奇心を満たすためのもの。でも雑誌には、より深く掘り下げた情報、もう一歩踏み込んだ独自のコンテンツを求められます。
中野 じっくり読み込める映画誌、という意味では、「キネ旬」は、ほんとうにがんばってますよね。
担当編集者マコトくん 同感です。失礼ながら久々に「キネマ旬報」を買わせていただきましたが(笑)、監督インタビューなど読み応えがある記事ぞろいで、そうそう<雑誌>って本来、こうだよね、これが<雑誌>ってものだよね、と改めて感心しました。
関口 ありがとうございます。ネットと雑誌はフィールドが違う、と思っています。競ってどうこう、じゃなく、棲み分けている、というか。
中野 好奇心の満足と、じっくり読み込む喜び、その両方をこのウェブマガジンの連載では目指そうと思っているんですが(笑)。 理想に遠いどころか、どっちつかずじゃないかと後ろめたくなったりもして…。
担当編集者マコトくん 相当な覚悟、してください(笑)。
神? 天才? 悪魔? 天使?
中野 競ってどうこう、の問題じゃないのは、映画とその原作本に関しても言えることと思うんですが、「パフューム」、いかがでしょう、関口さんはどちらからお入りになりました?
関口 原作は読んでないんです。監督が「ラン・ローラ・ラン」を撮った人、ということにひきつけられたんですよ。監督のトム・ティクヴァは「ヘヴン」っていう映画も撮ってるんですが、この映画が、その年のマイベストワンで。その監督の新作なので、いったいどんなものが出てくるのか、と。
中野 「ヘヴン」…。すみません、観る機会を逸してしまったんですが、どんな映画ですか?
関口 クシシュトフ・キェシロフスキが、脚本を書いてるんですよ。
中野 あの「赤」(「トリコロール」三部作)の! サントラも飽きるほど聞きまくった、大好きな映画です。
関口 キェシロフスキは、「ヘヴン」の題材をダンテの「神曲」に得ていて、「地獄」「煉獄」「天国」の三部作として構想していたそうです。その天国<ヘヴン>の部分だけを映画にしてるんですね。天国の解釈が痛い、というか、人間の根源的なところにつきすすんでいくんですよね。「パフューム」も、そういう意味では、宗教的なところがありませんか?
中野 宗教的…というか、根源につきすすむ感、はありましたよね。私は原作から入ってるんです。池内紀さんの訳がすばらしかったことも大きいと思うんですが、原作を読んで、が~んとやられて。怖い話なのか、美しい香水の話なのか、天才の話なのか、悪魔の話なのか、香水をまとった天使の話なのか、これはいったい何の話なのか、よくわからないまま、魂をわしづかみにされて。映画化、と聞いて、いてもたってもいられませんでした。
関口 悲しいわけでも感動するわけでもなく、ほんとに何の話なのか、わかりませんよね。
中野 いくつかの映画サイトでは、ホラーに分類されてますが(笑)。
関口 むしろファンタジーの方に持っていってますよね。
中野 アブサード(absurd)な、不条理なばかばかしさに満ちたお話でもありますし。
関口 魚市場で、産み落とされるところから、話が始まりますよね? あれは原作読んでない人にはショッキングじゃないかな。
中野 いかにも匂ってきそうなぐにゃぐにゃの魚の内臓のなかに、赤ちゃんが、ぽとりと(笑)。
関口 何をここで言わんとしてるのかな、って考えちゃったんですよ。深読みが好きなもので(笑)。キリストも厩(うまや)で生まれているでしょう? やっぱり、神の要素をもった人間として描いているのかな?と。
中野 しかも、においを持たない人間なんですよね。においをもたないって、悪魔の性質なんですって。つまり主人公は、神でもあり、悪魔でもある、と。
関口 それが究極の香水をまとうことによって、天使になる。
中野 天才で、神で、悪魔で、天使…。<選ばれた人>だから、しぶといんですよね。生命力が。
関口 生命力を発揮して泣いたことで、お母さんを死に至らしめるんですよね。
中野 そうそう、彼と関わった人間がみんな、彼と別れるなり、死ぬ(笑)。
関口 恩人に次々に死をもたらしていく…って、やっぱり悪魔の子ってことなのかな。
中野 恩人があっけなく死ぬことでそれぞれのエピソードが完結して、話がとんとんと次にいく。もう、アブサードのきわみ。映画的には笑えませんか?
関口 そうそう、ダスティン・ホフマンの家が崩れるシーンなんて、あんなの、ふつうはありえないですよね。長屋なのに、あの家だけ崩れる(笑)。
中野 原作では、火事になるんですよ。
関口 火事よりも、あんなふうにがらがらっと一瞬にして灰になる、というほうが、映画的ですよね。
中野 そうそう、悲劇感がなくて、死んだ人に感情移入しなくてもいいように撮ってる。原作をセンスよくデフォルメしていますね。その意味では、この映画は原作に忠実どころか、原作のエッセンスをより濃く、効果的に再現しているように見えました。
[profile]
関口 裕子
「キネマ旬報」編集長
1987年、東京学芸大学卒業。デザイン会社を経て、90年、株式会社キネマ旬報社に入社。00年に編集長、01年取締役編集長に就任。