POGGY’S FILTER|vol.11(後編)南塚真史さん、赤司竜彦さん
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2019年11月8日

POGGY’S FILTER|vol.11(後編)南塚真史さん、赤司竜彦さん

セレブリティを巻き込んだアート・バーゼルの熱狂

POGGY ワタリウム美術館のオン・サンデーズが好きで。あのお店で扱っている服は、“アート目線で選んだファッション”なのですが、逆に“ファッション目線で選んだアート”をいつかやりたいと思っていました。そうして、今年初めて香港のアート・バーゼル(1970年よりスイスで開催されている世界最大級の現代アートフェア。現在はマイアミ・ビーチと香港でも開催)に行ったんですね。いままではアート関係者以外入れなかったんですよね。
南塚 もともと画商同士のトレーディングの場なので、閉鎖的で高飛車なんです。まず、プレビューの日が2日間あって、チケットも初日の朝9時から入れる超VIPカード、次が昼1時から入れるカード、夜6時から入るカードと分かれていて、一番とんでもないコレクターは、ギャラリーのパスを持っているという(笑)。それがこの20年でマーケットが拡大していく中、一般コレクターの参加が増えてきて、マイアミのアート・バーゼルにBeyoncé(ビヨンセ)が来たり、香港だとアート・バーゼルで何を買ったかをアピールすることが、アジアのセレブリティのステイタスになっているほどです。
POGGY そういう流れになるきっかけってあったんですか?
赤司 POGGYさん、それずっと気になさっていますよね。何か起点があったんじゃないかって。それこそ、カウズだったのでしょうか? 
南塚 カウズは拡大に貢献していると思いますけど……。

ラグジュアリーがアートを必要とする

赤司 そのちょっと前があるはずですよね。なんだろう? 村上隆とルイ・ヴィトンでしょうか?
南塚 それは大きいと思います。セレブリティを巻き込んだアート・ムーブメントがカウズの前にありましたね。村上・ヴィトンのコラボは、2003年から始まっていますから。
赤司 弊社も2007年にシャネルとBE@RBRICKを作ってます。
POGGY ラグジュアリーとコラボしたBE@RBRICKはフェンディが最初ですか?
赤司 そうです。2006年だったと思います。あれは面白かったですね。ある日、突然フェンディ日本支社の社長から電話がかかってきて、フェンディとストリートを紐付けしたものを展示したいということでBE@RBRICKを作らせていただいたんです。それが好評で、日本独自企画だったものが本国のキャンペーンにまで広がり、6000%のBE@RBRICKを作ってほしいと言われて。
南塚 6000%だと全高5mくらいですか。
赤司 巨大ですよね。それをフェンディ本社の前に設置して写真を撮るので、フェンディのロゴが入るようにしてほしいって。最終的に本国の選ばれた十数店舗に3000%のBE@RBRICKを置くことになったんですけれども、あれは完全にいまのインスタ映えを先取りしていました。
POGGY 最初にBE@RBRICKを作ってほしいと言った、フェンディ日本支社の社長のセンスもすごいですね
赤司 その方はフェンディのキャンペーンを成功させたあとは田崎真珠でもいろいろなお仕事を手掛けていました。業界でも有名だそうで、大きな会社をかっこよくしては、また違う会社に移っていくというブラック・ジャックみたいな人です。

ラグジュアリーとアート、そしてストリートへ

POGGY 2000年代にアメリカのラッパーがヨーロッパのラグジュアリーブランドを次々と着始める流れがあったんですけど、同じ頃カニエ・ウェストはジュンヤ ワタナベとか日本のブランドを好んでよく着ていたんです。カニエはOriginalFake(オリジナルフェイク/2006年〜2013年にカウズとメディコム・トイの共同運営によるファッションブランド)にもよく行っていたのですよね?
赤司 いっぱい買ってくれましたね。
POGGY 当時カニエはPastelle(パステル)という自分のアパレルブランドを立ちあげようとしていて、SOPH.(ソフ)とかPHENOMENON(フェノメノン)といった日本のデザイナーにも参加を呼びかけていたのです。あの頃、リーバイスとかニューエラの日本だけでしか売っていない別注品もたくさんありましたよね。
赤司 うちもやっていました、リーバイスのBE@RBRICK。
POGGY そういう日本独自の感覚をカニエとかキム・ジョーンズが、自己流にアレンジしたことで広がっていったような気がします。いまオリジナルフェイクのヴィンテージを一生懸命探している若い人たちが、すごく多いんですよ。カウズというアーティストだけで、一緒にブランドを作る発想はどのようにして思いついたんですか?
赤司 2004年の「Colette meets COMME des GARCONS」(コレット・ミーツ・コム デ ギャルソン)」で、カウズがルシアン ペラフィネとニットを作ったんです。それが欲しくてカウズに聞いたら「数枚しか作っていないらしくて、僕ももらえるかわからないんだ」と言われたのです。「だったら、一緒に服を作ろうよ!」というところからオリジナルフェイクが生まれたんです。買えないんだったら、自分たちで作っちゃおうと。
POGGY BE@RBRICKがラグジュアリーの側面とストリートの側面、両方からファッションと結びついていく中、ストリートの側面ではSTASH(スタッシュ)がキーパーソンだったのかなと思っているんですけれども、その点はいかがでしょう。
赤司 スタッシュだったり、パスヘッドだったり、うちのスタッフがもともと仲良かったことが大きいですね。90年代、うちとやる前にフューチュラがフィギュアを作っていたのです。いま考えるとすごい話なんですけど、石膏でできたフィギュアをブリスターに入れて、輸送してきたら半分以上が壊れていたことがあって。トイメーカー的な視点から、ちゃんと素材を吟味して作ったほうがいいよって、アドバイスしたのです。そこから、なんとなく話が膨らんでいった感じですね。
POGGY そうしてできあがったものを見て、“自分もやりたい”といろんなアーティストがやって来たんですね?
赤司 当時、あの周辺のアーティストたちがBE@RBRICKをキャンバスのように使って、そのルールを面白がってくれたおかげで、ずいぶんと裾野が広がった印象があります。
南塚 いま、うちのギャラリーに出入りしてるアジア圏の若いコレクターは、みんな自宅に行くとレア物の1000% BE@RBRICKのコレクションを持っています。それが彼らのステータスになっていて、そういうおもちゃのコレクションから派生してアートを買い始めているのです。いままでにない現象が起こっているので、これは面白いなと思いますね。その文脈にいる分水嶺がカウズであり、そのプロダクトをずっと作っていたのがメディコム・トイなんです。
POGGY バイイングでデザイナーのオフィスに行くと、そのほとんどの人がBE@RBRICKを飾っています。小さい頃、札幌で他の人の家に行くと熊の木彫りが必ずある、みたいな感じで(笑)。
赤司 たぶん、これまでPOGGYさんが買い付けてきた洋服にしろ、うちが作ったBE@RBRICKにしろ、南塚さんのギャラリーがキュレーションしている作家さんのアートにしろ、お金を持っている人からすると、全部ボーダーレスで地続きなんですよね、新しい層のコレクターが増えてきたなって感じがします。
南塚 ニュージェネレーションですね。

現代アートに新しい流れを作るスケートカルチャー

南塚 去年マイアミのバーゼルにうちのアーティストのHAROSHIの作品をブースで出したら、オープンした瞬間に、ものすごい勢いで人が入ってきたのです。だから抽選を行ったんです。他のギャラリーの人たちには「あのギャラリーは何をやってんだ? アート売るのに抽選箱を作ってるぞ」って笑われましたけど(笑)。
赤司 HAROSHIさんはいま、世界中から注目されているアーティストですよね。南塚さんが同年代のHAROSHIさんとお仕事しようと決めたのは、どういうきっかけだったんですか?
南塚 もともとHAROSHI君は Harvest by haroshi(2003年に嶋田春とHIROSHIの2名でスタートした、使い古されたスケートボードを加工してプロダクトを製作するユニット)の頃からの知り合いなんです。彼はずっとスケーターの文脈の中で作品制作を繰り返していたのですけれど、そこからどうやってアートの文脈に転換するかという相談を受けたのです。僕の方でいくつかアイデアを出したところ、その方向で最初にやったのが2年前の「GUZO」(2017年4月22日〜6月10日 @NANZUKA)という展覧会です。
赤司 あそこでグンとボトムアップした印象がありますね。
POGGY ジェームス・ジャービスの個展を観に行ったとき、南塚さんは「彼の絵はスケーター・ビューで描かれている」とおっしゃっていたじゃないですか? あれで僕、ハッとしたんですが、いまのストリートアートの盛り上がりってグラフィティだけではなく、実はスケーターのカルチャーが大きな流れを作ってるのではないかなと思って。
南塚 だと思います。サーファーが波を見るように、スケーターが街を歩きながらここなら滑れるなとか、ここでメイク(トリックを成功させること)したら楽しいなといった遊べるポイントを探していく感覚が、いまのストリートの根幹にあって。そのセンスがかっこいいから、洋服に落とし込んでもアート作品になってもかっこいい。あと、伝説的なスケーターたちがいまも生きていて、自分の言葉を伝えていることも重要ですよね。マーク・ゴンザレスをはじめ、彼らはだいたいアーティストになっているんです。
赤司 確かにみんなアーティストになっていますね。
南塚 HAROSHI君に言わせると、恐怖心があるとできない世界だから、みんな頭イカレてるそうです(笑)。それくらいエクストリームな人だからこそ、クリエイティブで面白いものを作れるんでしょうね。

2Gが目指す未来、これからの渋谷について

POGGY まだまだ話題は尽きないですが、最後に再び「2G」の話題に戻って、この新しいスタジオに赤司さん、南塚さんが期待していることをお願いします。
赤司 もともとホームタウンが渋谷なので、面白いこと、刺激的なことをたくさんもらってきた身としては、ちょっとでも恩返しできたらいいなって、気持ちがあります。そして「2G」を見た若い子たちに、新しいバトンをパスしていきたい。例えば10年後、「2Gを見たから僕たちいまこんなことをやっているんだ」って言ってもらえたらハッピーですね。同時に「2G、いまだにかっこいいよね」と言われたいです。かっこよかったっていう、過去形にはしたくないので。
南塚 僕も中学生から大学生までずっと渋谷で遊んでいたので、90年代後半の裏原のクリエイティブな熱狂が忘れられないんです。いま見ても圧倒的にかっこいいですよね。スケシンさんや藤原ヒロシさんの目利き能力は本当にすごい。やっぱり裏原のよさってインディペンデントだったことだと思うんです。ある種の文脈やオーソリティに迎合しないところでモノを作っていくスタンスが、僕のギャラリーのあり方につながっているので、「2G」もそういう発信基地になればいいですね。ここで生み出されるもの、提供されるものは生モノでありたい。常に期間や数量に制限があって、消費されるものではない。そこは大事だなと思います。
POGGY 僕は40年間、ファッションだけにお金をつぎ込んできたので、最近ようやくアート関連のものやBE@RBRICKが少しずつ増えてきて、部屋のどこに何を置くか考えるのがすごく楽しいんです。ファッションの世界では昔から“女性はモード、男性はスタイルを身に付けるべきだ”と言われていますが、スタイルはお金で買えないものなので、「2G」という場でどういうアートを飾って、どういうBE@RBRICKを置いて、どういう服を着て、みたいなことを伝えられたら嬉しいですね。
赤司 とにかく「2G」のオープンが楽しみでしかたないです。早く見たいなって。
南塚 こんなショップ、世界中探してもどこにもないですから。
2G
11月22日(金)オープン

渋谷パルコ2F
渋谷区宇田川町15-1
                      
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