第10回 デザインで見るオリンピック 中編
第10回 デザインで見るオリンピック 中編
How to see about design特別編「デザインでみるオリンピック」中編では、メキシコ五輪を紹介します。若干20代でメインデザイナーに起用されたランス・ワイマン、当時のメキシコの文化背景にも迫ります。いまではたいへん希少ともいえるグラフィックワークをお楽しみください。
聞き手・構成=高橋猛志、武井正樹Photo by Jamandfix
1968年のメキシコ五輪は、東京五輪の発展系。その当時のメキシコは後進国だったため、メキシコ文化を知らしめようという意図もあったようです。それを象徴するかのような色使いや、模様が導入されているのがビジュアルをみると読みとれます。プロデューサーはペドロ・ラミレス・バスケス。ロゴのデザインを手がけたのはアメリカのデザイナー、ランス・ワイマンです。当時20代でメインデザイナーに起用されました。
彼はもともとミッドセンチュリーを代表するデザイナー、ジョージ・ネルソンの事務所「ジョージ・ネルソン アソシエイツ」ではたらいていました。1960年代、アメリカとソ連の冷戦中に、ジョージ・ネルソン アソシエイツは、国の機関に頼まれてプロパガンダ雑誌の編集をしていました。その内容はアメリカの産業がいか進んでいるかを全編ロシア語で掲載していたのです。その時期、ランス・ワイマンもいちスタッフとして、国際的な重要人物とコネクションができていた……。といった裏話があります。
ビジュアルでの認識を確立。色鮮やかなデザインワーク
メキシコ五輪当時、この国の教育は行き届いていない関係で識字率も低く、文盲が圧倒的に多かったようです。五輪を開催するにあたり、そういったひとびとたちに視覚的に認識されるように、メキシコ五輪のグラフィックは、ほとんどビジュアルで表現されています。メキシコはマヤ文明など古くから絵文字を使った文化があったため、視覚的に物事を認識させる力に長けていました。それゆえにある意味グラフィックデザインは進んでいたんですね。ロゴに使われているシマ模様にも意味があります。メキシコの先住民族にウイチョル族というのがいたのですが、彼らはマジックマッシュルームを服用して、幻覚症状の時にひもを編んで、ひとつの模様を製作するといったアートがありました。それがシマ模様のソースとなっているようです。68年といえばサイケデリックの時代。オプティカルアートがもてはやされていたころで、そういった民族性と時代のトレンドをうまく融合したんです。
時代はパリの五月革命、東大紛争があったり、世界的に見ても動乱がありました。デザインとしても、フランスでは68年に「ポストモダン宣言」がなされています。時代がこれまでの「モダン」に対し、反抗が出てきたのです。ブルジョワを排除、宗教上の仏像もどんどん壊す。平等な社会をつくるために文化を壊していいのか? という問題が世界的に噴出しはじめます。理性でおさえられていると鬱憤がたまる。そういった不満が放出し、1972年のミュンヘン五輪に影響が広がっていくことになります。